白マムの以心伝心

タイトル「日本のこと 日本のもの」
をあらためました。
オーフェン・マムの
とりとめのない雑多なブログです。

シュトーレン の 窯出しがはじまりました  ベーカリーオーフェン

2017-11-17 16:13:36 | 風物詩



今年もベーカリーオーフェンの
シュトーレンの季節がやってきました。







一台 \2,970 (税込み)
地方発送承ります(ゆうパック)。
その場合は送料をいただきます。
ご要望の方はまずはお電話をください。

電話はなるべく午後1時以降をお願いいたします。
午前中は製造で忙しくケンモホロロの
対応になってしまいます。
↑申しわけありません。

tel: 0422-54-4321
mail: ofenpan@yahoo.co.jp
ベーカリーオーフェン





薄く、薄くカットしてお召し上がりください。
オーフェンマムは5ミリほどの薄さにカットします。
保存は常温です。
冷蔵庫にいれると、バターがかたまってしまいます。
勿論密封です。
1ヶ月はおいしくいただけます。














                  *2016年 シュトーレン物語はコチラをご覧ください。

                       オーフェン マムより


中ノ子勝美作 古型博多人形 雛土鈴

2012-03-04 16:09:45 | 風物詩
*お引っ越しのお知らせ
 当ブログは、下記へ移転しました。
 白マム印 日本のこと日本のもの
 どうぞお越しください。*





前回、古型博多人形のお雛様をご覧いれましたが
今回はその土鈴です。

高さは12cmと土鈴としては大きいといえます。
鳴る音はこの大きさに土ですから転がるような
愛らしい音とはいえず、ころんころんと平仮名書き
が似合う音といえます。






この男雛女雛ひと組の土鈴は昭和56年に
4代目中ノ子勝美によって作られたものです。

博多人形は1600年頃に福岡にて、
白水家、正木家、中ノ子家が考案したと
いわれています。

作風は当然洗練されていくのですが
本来の土臭い人形作りをまもったのが
中ノ子吉兵衛で、中ノ子勝美が
繊細な博多人形と区別するために
昭和28年に「古型」という冠を博多人形の前に
つけ初代2代の作品を復元しました。






私が幼いころは、型からはずされた無数の博多人形が
整然とならんで天日干しされる姿をよく空き地で
みかけたものです。



  

<お知らせ>
ブログお引っ越ししました。お引っ越し先はfc2ブログです。
コチラ(←クリック)に新装開店しました。
これからも宜しくお願いします。

マムより


お雛様

2012-03-01 12:03:59 | 風物詩






連れとの二人の暮らしですが、
毎年この季節になると
お雛様を段ボール箱からとりとりだします。

これも毎年のことですが、
このお雛様のお顔をみると
私が子供の頃の母との思い出が
蘇ります。




小学校の1年生の時のお話です。

当時子どもたちの間で流行っていたお人形は
カール人形。
横にすると目を閉じる金髪の巻き毛のお人形さんです。
流行っていたといっても高価なものでおねだりして
簡単に買ってもらえるようなものではありませんでした。

私は信用組合からもらった打出の小槌が
描かれた貯金箱に毎日毎日小銭をいれました。
1円やら10円やら50円をこつこついれました。
この貯金箱がいっぱいになったら
デパートにいって、「カール人形」を買う。
我ままで堪え性のない私でしたが、
カール人形が手に入るならと三日坊主にならずに
入り口まで、いっぱいの小銭が貯まりました。
貯金箱をいっぱいにするのには随分の月日が
かかったものです。

小銭は3,000円に達していました。
デパートまではバスで1時間もかかります。
ちょうど博多にでかける用事のあった母に
私はお金をたくしました。

母が帰ってくるのが待ち遠しかったのは
言うまでもありません。

日が傾きかける頃、母は大きな直方体の箱を下げて
戻って来ました。

その箱の形に瞬間的に疑問を持ったのですが
深く考えずに包みをといて、
姿をあらわしたものにがっかりし尻もちをついて
しまいました。
それが、毎年段ボールから今もだす「立ち雛」です。

私は「カール人形を買ってきてね」、と母に頼んだのです。
そして母も私がそのためにお金を貯めていたことを
知っていたのに・・・。

母は言いました。
「お母さん、お雛様が欲しかったの」。

その言葉を聞くや、悲しくてやりきれなくて泣きだして
しまいました。
その涙をぬぐった手で、女雛様の顔をさわってしまったのです。
するとどうでしょう。
お雛様の眉と目がくずれてぼやけてしまいました。
それを見た母は、私をきつく叱ったのですから、
子ども心にも不条理なお話です。








人生の不条理をはじめて知ったわたくし的大騒動です。





<古型博多人形内裏雛 中ノ子勝美作>



時を経て私自身の意思で購入したお雛様は
福岡出身ということもあり、
古型博多人形作家の4代目 中ノ子勝美氏に
依頼して作っていただいたものです。



さて、子供のころ大騒動のうえ飾られることになった
木目込みの立ち雛ですが、
男雛と女雛をどちらに飾っていいかわからない・・・
という困った問題がもちあがりました。

昭和30年代は、情報がすくなくてすべてが曖昧。
地元の家具屋さんやおもちゃ屋さんをのぞくと
男雛が右もあれば左もある。
問うと、なべて「うちは前からこうだったから」。

長じて、実はどちらも正解と知ることになります。
関東と関西は男雛と女雛の位置が逆です。

関西は「天子南面して東に座す」という古来の儀式にのっとり
紫宸殿を背にして向かって右に男雛を飾ります。
それでは関東はなぜ左かというと、
明治維新で西洋文化がはいり、大正天皇即位時に
天皇の立ち位置が変わり向かって左にお立ちになって
以来現在にいたるというわけです。

ところが、ネットでチャールズ皇太子他のヨーロッパの
王族の結婚式画像を調べますと、大聖堂からでておいでの
立ち位置やバルコニーでの立ち位置が変わっていたりと
判然としません。
国民へのサービスとして位置をおかえになるのかもしれませんね。

それに比べて日本の皇族はつねにむかって殿下が左においでです。









「お内裏雛」とはお雛様1対(男雛・女雛)をいうのですが、
近頃は、「男雛」を「お内裏さま」といい「女雛」を「お雛さま」
というのが一般的になってしまっています。
これは誰もがこの季節に歌ったことがある童謡「うれしいひなまつり」
の歌詞「おだいりさま と おひなさま」が定着しての誤用です。







    雛二つ桃一枝や床の上
        (正岡子規 明治29年作)




      




節分

2012-02-05 11:23:51 | 風物詩


<鬼をよせつけない結界、あるいは勧請縄の役目>


声をだして豆まきをしましたか?


3日は、日中はお日様が照り温かでしたが
夜は空気が冷たくて、
まるで糸電話のように、ピンとはった糸が
どんなに些細な音も伝えてくれそうでした。

でも、
期待した音。
声はどこからも聞こえてきませんでした。

私が子供の頃、昭和時代の節分の日といえば
夜になると家々から
「鬼は外 福は内」と威勢のよい声が
聞こえてきたものです。

いつの頃からでしょうか。
気がつくと、節分の日は普段の夜と
同じしじまに包まれています。


どうして大きな声をだして豆まきしないの?
と、
問うと、
答はみな同じです。

「恥ずかしい」。

そういえば、豆まきにかぎらず、家々から
大きな笑声やら、叱りつける声やらが聞かれないように
なって久しいですね。

これは淋しいことだなあと私は思います。


さて、
子どもの頃の節分にはふたつの忘れられない
思い出があります。


ひとつは、少し恥ずかしい思い出です。

常日頃からなにかにつけて一方的で高圧的な父が
母をなじりだし、それに飽きると家を出て行きました。
父になじられている間、黙って耐えていた母は
父の姿が見えなくなると、やおら豆をわしづかみして
庭にむかって投げつけて
「鬼は外 鬼は外」と声あげた、というより
おらびだしたのでした。

このことに私は感傷的なものを盛り込むつもりはありません。
ただただ忘れ得ぬ思い出です。


ふたつめの思い出は、幼馴染のKちゃんことです。

kちゃんの家は由緒のある古くからの顔役さんの家です。
豪壮な家は堀に囲まれて石橋を渡り門をくぐるなまこ塀
のお家です。

節分の日に母と駄菓子屋さんに豆を買いにいくとKちゃんと
お母さんがやはり豆を買いにきていました。
kちゃんのお母さんは落花生をたくさん買い求めます。
いぶかしがった私の母が「なぜ」と問うと、
おばちゃんは「豆をまくと不潔だから食べられないでしょ。
落花生だったらだいじょうぶでしょ」と。
昭和30年代末のこと、衛生感覚がいまほど行きとどいて
おらず、それを聞いた私は、今でいうところの
カルチャーショックを受けてしまいました。
そして、今思えば笑えますが、本気で
「家柄の差」を感じ傷ついたのでした。
その当時の我が家は家中に落ちた豆を拾って口にいれて
いたのですから。


さて、節分ですが、季節の変わり目には邪鬼(邪気)が
生じやすいということではじまった「お祓い」が元。

多分この季節は流感が猛威をふるい多くの人が命を落としたのでは
ないでしょうか。
それが邪気、お祓い、となったのでしょう。

ウィキペディアをのぞいて、「アレ?」と思ったことがひとつ。
節分は3日とはかぎらないということ。
4日の時もある。
もっといえば、
1984年までは、4年に1度の閏年2月4日だった。


4年に一度!?
一生懸命記憶をたどるのですが、子供の頃4年に1度だったのやら?
母が生きていれば、問うのですが、それもかなわず、
皆さんの記憶はどうですか?
それともウィキペディアの文章の解釈を私が間違っているのでしょうか。
どなたかご教示をくださればと思います。

*上記↑についての追記
   たびささんがコメントをくださいましたの
   でコメント欄をご覧ください。*



なににせよ、節分の日くらい、隣近所を気にせずに
大きな声をだして鬼を追い払い福を呼び込みたいものです。
特に、このような世の中ですから。




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