白マムの以心伝心

タイトル「日本のこと 日本のもの」
をあらためました。
オーフェン・マムの
とりとめのない雑多なブログです。

節分

2012-02-05 11:23:51 | 風物詩


<鬼をよせつけない結界、あるいは勧請縄の役目>


声をだして豆まきをしましたか?


3日は、日中はお日様が照り温かでしたが
夜は空気が冷たくて、
まるで糸電話のように、ピンとはった糸が
どんなに些細な音も伝えてくれそうでした。

でも、
期待した音。
声はどこからも聞こえてきませんでした。

私が子供の頃、昭和時代の節分の日といえば
夜になると家々から
「鬼は外 福は内」と威勢のよい声が
聞こえてきたものです。

いつの頃からでしょうか。
気がつくと、節分の日は普段の夜と
同じしじまに包まれています。


どうして大きな声をだして豆まきしないの?
と、
問うと、
答はみな同じです。

「恥ずかしい」。

そういえば、豆まきにかぎらず、家々から
大きな笑声やら、叱りつける声やらが聞かれないように
なって久しいですね。

これは淋しいことだなあと私は思います。


さて、
子どもの頃の節分にはふたつの忘れられない
思い出があります。


ひとつは、少し恥ずかしい思い出です。

常日頃からなにかにつけて一方的で高圧的な父が
母をなじりだし、それに飽きると家を出て行きました。
父になじられている間、黙って耐えていた母は
父の姿が見えなくなると、やおら豆をわしづかみして
庭にむかって投げつけて
「鬼は外 鬼は外」と声あげた、というより
おらびだしたのでした。

このことに私は感傷的なものを盛り込むつもりはありません。
ただただ忘れ得ぬ思い出です。


ふたつめの思い出は、幼馴染のKちゃんことです。

kちゃんの家は由緒のある古くからの顔役さんの家です。
豪壮な家は堀に囲まれて石橋を渡り門をくぐるなまこ塀
のお家です。

節分の日に母と駄菓子屋さんに豆を買いにいくとKちゃんと
お母さんがやはり豆を買いにきていました。
kちゃんのお母さんは落花生をたくさん買い求めます。
いぶかしがった私の母が「なぜ」と問うと、
おばちゃんは「豆をまくと不潔だから食べられないでしょ。
落花生だったらだいじょうぶでしょ」と。
昭和30年代末のこと、衛生感覚がいまほど行きとどいて
おらず、それを聞いた私は、今でいうところの
カルチャーショックを受けてしまいました。
そして、今思えば笑えますが、本気で
「家柄の差」を感じ傷ついたのでした。
その当時の我が家は家中に落ちた豆を拾って口にいれて
いたのですから。


さて、節分ですが、季節の変わり目には邪鬼(邪気)が
生じやすいということではじまった「お祓い」が元。

多分この季節は流感が猛威をふるい多くの人が命を落としたのでは
ないでしょうか。
それが邪気、お祓い、となったのでしょう。

ウィキペディアをのぞいて、「アレ?」と思ったことがひとつ。
節分は3日とはかぎらないということ。
4日の時もある。
もっといえば、
1984年までは、4年に1度の閏年2月4日だった。


4年に一度!?
一生懸命記憶をたどるのですが、子供の頃4年に1度だったのやら?
母が生きていれば、問うのですが、それもかなわず、
皆さんの記憶はどうですか?
それともウィキペディアの文章の解釈を私が間違っているのでしょうか。
どなたかご教示をくださればと思います。

*上記↑についての追記
   たびささんがコメントをくださいましたの
   でコメント欄をご覧ください。*



なににせよ、節分の日くらい、隣近所を気にせずに
大きな声をだして鬼を追い払い福を呼び込みたいものです。
特に、このような世の中ですから。




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
4年に1度。 (たびさ)
2012-02-05 19:41:34
ウィキペディアが言いたいのは、
節分が4年に1度ということではなく、
日付が、4年に1度、閏年に2月4日になって
あとの3年は、2月3日だったという意味ではないですか?
返信する
たびささんへ (mom)
2012-02-05 21:05:20
あっ!
そういうことか。
今わかりました。

実はね、「1984年までは」ってところにずっとこだわって
いたの。
私が*才のときまで4年に1度だったけ・・・?
って、
そこから1歩も進めなかったの。

長い歴史のなかで立春の前日というのは、
4日のこともあるし3日のこともあるってことね。
ずっと考えていたの・・・。
節男って名前の友人は節分の日に生まれたから
つけられたってきいてたから、えっと彼は・・・とか
今日一日そんなことばかり考えていた。
やはり白マムの道は険しい。
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