流星のきずな☆彡

2009.8月からの〜雑記~最近はボャッキー気味

最期のその時

2014-01-26 16:35:55 | 父 母
7日の19時頃早上がりだったからと兄が来た
いままでだったらそんなことは無かったので驚いた
と、同時に少しほっとした

何故かと言うと、この日いつもの2時間おきの体位交換と水分摂取の時間の間隔があいていて
(あれ?なんかほっとかれてる?)と寂しくなっていたから…

寝息も耳をすませば聴こえないくらいの母と閉鎖された部屋にいたら
どうせもうすぐ亡くなるんだから…ほっておかれてるのか?なんて被害妄想まで…

2日前から尿も出無くなっていた母
おむつ交換や体位交換さえも身体に負担がかかるということで
敢えて間隔を開けたということを後で知った

尿が出ない…これは段々血管も狭まっていき、最終的には血液が滞り心臓が止まることになるとナースが言っていた

この日の朝と昼と夜にネクターを持ってきてくれたのだけど
当然飲めなかったから付いている私との介護士さんとの会話もほんの少し

母との一方通行の会話はしていたけど、なんとも言えない気持…不安感だったのかな

臨終の呼吸じゃないかと思わせる浅い呼吸、胸=肺に入っていないような
口元をぎゅと閉じて口の中だけで息をしてる感じ
うっというか言葉になっていない音、なんとも形容しがたい音が規則的に聴こえてはいた
「お母さん、その呼吸って苦しくないの?」なんて聴いてみた
自分も同じ感覚で真似て呼吸してみた
…非常に苦しい…プールで潜水している感じ

施設での看取りを希望した際に
酸素マスクや点滴等の延命につながる治療はしないことに決めたから
母の身体には何も医療用の器具は付いていなかった

せめて酸素マスクでもと一瞬思ったがそれは延命になるわけで
ここまで自分の寿命を全うしようとしている母に対してそれはエゴを押しつけることだと思った

ぷくーというかうっというか違和感を感じる呼吸はこの日の15時くらいから続いていた

兄に言うと「ちょっと嫌な呼吸だな…」とぼそり…
そうなんだよ。でも、この呼吸数日前もしていて朝には普通に戻ったから…

21時まで親子3人で会話して
「じゃぁ明日も仕事が早く終わったら来てやってね」と言って兄は引き揚げた

22時頃体位交換とネクター
少し飲めたように見えたが、ほんのり口の中を湿らせたかどうかというところ…
この時部屋の温度が高すぎると指摘され、大慌てで設定温度を下げた
母にとって汗をかくようなことがあったらそれは一瞬にして…だそうだ

0時におむつの交換、この時私は寝ていたようだ…(ごめんねお母さん)
ちょっと心配なので2時間置きに見周りにきますねと言われた
えっ?いよいよか?いや、そんなことは無い…でもこの呼吸…と不安がよぎる

それからは寝ずにいようと母の傍に丸椅子を持って行き
頭を撫でたり、顔をさすったり、音楽を流してとりとめのない話をした

母の顔に私の手をかざして「気を送ったり」…どこかの変な宗教の真似事かよ
と自分自身でつっこんだりした

父から貰った水晶のネックレスを二人で持ち、
水晶からパワーをもらったり…

あれほど宗教チックなことは嫌いな私が何をやっていたんだろうと思う

ふと母を見ると呼吸の間隔が開いた
あれ?お母さん?あれ????まさか?

「お母さん、ねぇ、私の名前呼んで?○子って言って?ねぇ、もう一度でいいから、お願い、まだ逝かないで」
と懇願していた

それまでぎゅっと閉じていた唇が両端の口角を上げるようにぱぁーと開いた
それが笑ったように見えた

テレビで観るような首がガクッとなる…なんてことは無く
仰向けで天井(空)を見るような感じだった

「えっ?やだっ、お母さん、お母さん」と何度も呼びかけた

ベッドサイドのナースコールのボタンをなかなか押せずにいた
押した所でどうにもならないことは解っていたから…
けど、母の死亡診断書をみたら私がナースコールを押した時間が死亡時刻になっていた

1月8日午前1時0分だったようだ

それからすぐに兄に電話した
電話の向こうで絶句した

うちの家族にも電話した
正確な時間は解らないけど、2組とも2時くらいには駆け付けたようだった

施設で、それも深夜亡くなった場合
医師の死亡確認は翌朝の8時頃になると事前に言われていた
そしてその医師が来るまでたとえナースであろうともちろん介護士であろうと
誰も遺体に手を触れてはいけないそう

結局、どういう最期だったかを説明して、私を残して、皆一旦自宅に戻った

朝8時頃医師が来て母の死亡を確認した
テレビで観たように「ご臨終です」と言われた
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする