たっきーです。
今日は0のつく日、4月20日です。
シリーズは第3章です。
がん患者の方、その家族の方の何かの参考になれば幸いです。
「癌から奇跡の復活 ・ 第3章②」
【不安と感謝・・・】
マッサージと通院の繰り返しが続いている中、副作用とみられる症状により体重の減少が止まらず、体力も衰える一方で、先生に相談した結果、抗がん剤の服用を一時中止することになりました。
点滴は栄養補給などいろいろな種類のものが行われ、一日がほとんど点滴で終わる日が続きました。
妻や家族、そして担当医の先生や看護師さんに随分心配をおかけしましたが、私にとって、またまたショックな事態が起こりました。
それは、私が初診時からお世話になっていた片桐先生が異動となられたことです。片桐先生は私の病気についてすべてのことを一番わかっていただいており、全幅の信頼を寄せていました。その先生が変わるということは私にとって大きな不安要素でした。
医者と患者の関係はどうあるべきか・・・なかなか難しいことですが、これまで先生は私のどんな相談に対しても、優しく気軽に答えて下さり、当然ながら『完治するまでしっかりと診ていただける』ものだと思っていました。
勝手な解釈ですが、軽い病気であれば先生が変わってもあまり心配することは無いと思うのですが、私の場合、残念ながらそうではありません。この時点での先生の交代は、ある意味「生きる!必ずうまくいく」という私の信念が揺らいでしまうのではないかと思われました。
しかし無常にも月日は流れ、先生がこちらで勤務される最後の日を迎え、お礼の挨拶に伺うことが出来ました。
先生には大変お世話になり、感謝の念で一杯です。 片桐先生、本当にありがとうございました。
2012年7月からは、高原先生が担当医となられました。
高原先生は、初対面ではなく私が入院中に病棟で診察をしていただいていたことがあり、私の症状を把握されているため、話がしやすく助かりました。
この頃になると食事も少しは食べられるようになりました。その中で、喉の通りがいい「とろ玉うどん」が一番食べやすかったのですが、それでも完食はできずいつも半分以上は残していました。以前程ではないですが、また食事が楽しみになってきました。
寒さと冷えが一番苦手な私にとって、夏になることはとっても嬉しい事ですが、放射線を浴び続けた私にとって引き続き先生から「紫外線に気を付けなさい」と言われていたので、残念ながら外出はできるだけ控え、マッサージに通うことと、気分転換で親友に時々天気の良い日にお昼を食べに連れ出してもらう程度で、ほとんどの時間を自宅で過ごしていました。
一方で、仕事と両立して私の面倒を一生懸命みてくれていた妻が、私の病気を完治させるためということで、25年間勤めた会社を退職しました。
私としては「本当にご苦労様」というねぎらいと「申し訳ない」という複雑な思いでしたが、それよりも、感謝の気持ちが一番強かったですね。最終日に帰宅した妻に「本当にありがとう!これからもよろしく。」と伝えました。
退職した妻は、本当は他に自分のやりたいことがあったと思いますが、私の為に、病院の治療と民間の治療等について猛勉強をし、特に食事については、徹底して工夫した食事を毎回作ってくれました。
しかし、その食事療法は多岐に渡り試行錯誤を重ねました。今では笑い話ですが、塩分がほとんどないもの、生のしぼりたて野菜ジュース、玄米菜食などありとあらゆる『体に良いと思われる事』を試していました。作ってくれた妻には悪いのですが、味覚がない私にとって、正直この頃は食事が苦痛に感じました。
毎朝生にんじんジュースを飲んでいた時など全身黄色くなり、黄疸が出たのではと先生に相談したこともありました。しかし、このことで「点滴でなく、口からものを食べないと身につかない」ということを思い知らされました。また、毎日妻が側にいるという安心感を強く感じていました。
誰かがいつも側にいてくれると、少々しんどくても気分転換に外出をしたくなるもので、ある日思い立って、県北の温泉宿に出掛けました。駅からの送迎バス付きですが。
温泉に入ると体が温まるのはもちろん、体のしんどさよりも、違った環境に自分が行けたという喜びの方が大きく、これが自信となり、もっと外出回数を増やそうと思ったものです。
この頃には、抗がん剤治療で髪の毛はすべて抜け、一時ツルツルの頭になっていました。自分では外見はほとんど気になりませんでしたが、周囲の目はやはり違っていて普段かぶっていなかった帽子をかぶるようになっていました。
そんな頭髪も半年後には再び生えてきて一安心。散髪に行けるほど伸びました。
そして少しずつ気力と体力が戻り始めた頃、手術後初めてのCT検査を受けましたが、検査結果は次回の受診日に聞くことにしていました。
それから何事もなく数日が過ぎたある日の夕方、突然に「検査結果についてお伝えしたい事があります。」と病院から電話がかかってきました。
検査の結果について病院から連絡などこれまでに一度もなく、思わず妻と顔を見合わせました。背筋に冷たいものを感じました。
次回へ続く
今日は0のつく日、4月20日です。
シリーズは第3章です。
がん患者の方、その家族の方の何かの参考になれば幸いです。
「癌から奇跡の復活 ・ 第3章②」
【不安と感謝・・・】
マッサージと通院の繰り返しが続いている中、副作用とみられる症状により体重の減少が止まらず、体力も衰える一方で、先生に相談した結果、抗がん剤の服用を一時中止することになりました。
点滴は栄養補給などいろいろな種類のものが行われ、一日がほとんど点滴で終わる日が続きました。
妻や家族、そして担当医の先生や看護師さんに随分心配をおかけしましたが、私にとって、またまたショックな事態が起こりました。
それは、私が初診時からお世話になっていた片桐先生が異動となられたことです。片桐先生は私の病気についてすべてのことを一番わかっていただいており、全幅の信頼を寄せていました。その先生が変わるということは私にとって大きな不安要素でした。
医者と患者の関係はどうあるべきか・・・なかなか難しいことですが、これまで先生は私のどんな相談に対しても、優しく気軽に答えて下さり、当然ながら『完治するまでしっかりと診ていただける』ものだと思っていました。
勝手な解釈ですが、軽い病気であれば先生が変わってもあまり心配することは無いと思うのですが、私の場合、残念ながらそうではありません。この時点での先生の交代は、ある意味「生きる!必ずうまくいく」という私の信念が揺らいでしまうのではないかと思われました。
しかし無常にも月日は流れ、先生がこちらで勤務される最後の日を迎え、お礼の挨拶に伺うことが出来ました。
先生には大変お世話になり、感謝の念で一杯です。 片桐先生、本当にありがとうございました。
2012年7月からは、高原先生が担当医となられました。
高原先生は、初対面ではなく私が入院中に病棟で診察をしていただいていたことがあり、私の症状を把握されているため、話がしやすく助かりました。
この頃になると食事も少しは食べられるようになりました。その中で、喉の通りがいい「とろ玉うどん」が一番食べやすかったのですが、それでも完食はできずいつも半分以上は残していました。以前程ではないですが、また食事が楽しみになってきました。
寒さと冷えが一番苦手な私にとって、夏になることはとっても嬉しい事ですが、放射線を浴び続けた私にとって引き続き先生から「紫外線に気を付けなさい」と言われていたので、残念ながら外出はできるだけ控え、マッサージに通うことと、気分転換で親友に時々天気の良い日にお昼を食べに連れ出してもらう程度で、ほとんどの時間を自宅で過ごしていました。
一方で、仕事と両立して私の面倒を一生懸命みてくれていた妻が、私の病気を完治させるためということで、25年間勤めた会社を退職しました。
私としては「本当にご苦労様」というねぎらいと「申し訳ない」という複雑な思いでしたが、それよりも、感謝の気持ちが一番強かったですね。最終日に帰宅した妻に「本当にありがとう!これからもよろしく。」と伝えました。
退職した妻は、本当は他に自分のやりたいことがあったと思いますが、私の為に、病院の治療と民間の治療等について猛勉強をし、特に食事については、徹底して工夫した食事を毎回作ってくれました。
しかし、その食事療法は多岐に渡り試行錯誤を重ねました。今では笑い話ですが、塩分がほとんどないもの、生のしぼりたて野菜ジュース、玄米菜食などありとあらゆる『体に良いと思われる事』を試していました。作ってくれた妻には悪いのですが、味覚がない私にとって、正直この頃は食事が苦痛に感じました。
毎朝生にんじんジュースを飲んでいた時など全身黄色くなり、黄疸が出たのではと先生に相談したこともありました。しかし、このことで「点滴でなく、口からものを食べないと身につかない」ということを思い知らされました。また、毎日妻が側にいるという安心感を強く感じていました。
誰かがいつも側にいてくれると、少々しんどくても気分転換に外出をしたくなるもので、ある日思い立って、県北の温泉宿に出掛けました。駅からの送迎バス付きですが。
温泉に入ると体が温まるのはもちろん、体のしんどさよりも、違った環境に自分が行けたという喜びの方が大きく、これが自信となり、もっと外出回数を増やそうと思ったものです。
この頃には、抗がん剤治療で髪の毛はすべて抜け、一時ツルツルの頭になっていました。自分では外見はほとんど気になりませんでしたが、周囲の目はやはり違っていて普段かぶっていなかった帽子をかぶるようになっていました。
そんな頭髪も半年後には再び生えてきて一安心。散髪に行けるほど伸びました。
そして少しずつ気力と体力が戻り始めた頃、手術後初めてのCT検査を受けましたが、検査結果は次回の受診日に聞くことにしていました。
それから何事もなく数日が過ぎたある日の夕方、突然に「検査結果についてお伝えしたい事があります。」と病院から電話がかかってきました。
検査の結果について病院から連絡などこれまでに一度もなく、思わず妻と顔を見合わせました。背筋に冷たいものを感じました。
次回へ続く