たっきーです。
今日は0のつく日、4月10日です。
4月からはシリーズは第3章です。
がん患者の方、その家族の方の何かの参考になれば幸いです。
「癌から奇跡の復活 ・ 第3章①」
【通院治療へ・・・】
退院して自由に行動ができるようになると喜んでみたものの、現実はそんなに甘いものではありませんでした。入院生活による体力の衰えは著しく、思うように動かない体で不都合なことがいっぱい出てきました。 手術の後遺症ですが、筋肉が固まってしまったのか、右腕が動かないことや首が回らないことなどこれまで経験したことのない状態で、箸の上げ下げも難しく、左右を見るときは首と一緒に体ごとその方向に動かしてものを見る感じです。
退院1週間後に手術したところに貼ってあったテープを取ってもらうため病院を訪れました。傷痕は細い線が出来たくらいで、見た目にはほとんどわかりません。看護師さんからも「きれいきれい」と言われるほどでした。 これで私の体には治療に関するすべての付着物はなくなりました。
しかし、これで治療が終わったわけではなく、再発予防を含めてこの日からあらたに飲み薬による治療が始まりました。
この薬は「ティーエスワン」という抗悪性腫瘍剤で、一日2回、超夕食後に1回カプセル3個、2週間飲んでそのあと1周間休みです。これまでの治療で唾液がほとんど出なくなったうえに口が渇く、体がだるいなどの状況が続き、カプセルを飲むのも一苦労でした。食事に至っては、相変わらずの味覚障害と唾液不足で、食べたものが口の中にくっついてしまい、また、噛む力・顎を動かすのも怖く少しの量を口に入れては水やお茶で流し込む感じでした。水分ばかりでお腹がいっぱいになってしまうため、必要なカロリーには到底達していなかったでしょうね。
また、放射線治療のあと喉の痛みや腫れが残っており、嚥下障害で飲み込んではむせの繰り返しで、あんなに楽しかった食事の時間が苦痛になりました。「本当に食事などしなくていい、横になって休んでいる方がいい。」と思う日が何日もありました。
さらに、首周りの神経が過敏になっていることもあってか、着ている肌着が皮膚に触れるだけでピリピリ痛みが走るのでイライラし、いろいろなことを思うようになり違った病になったのではという日が続きました。
それでも我慢しながら出来る限り食べるようにし、リハビリ・マッサージも週一回は必ず通い固まった筋肉のほぐしに務めました。
しかし、手術、入院生活によって一旦固まった筋肉をほぐすことは、普段の凝りと違い一筋縄ではいかないようです。治療院の先生も「2~3年はかかりますよ」と仰られ、「えっ、そんなにかかるの?」と呆然としました。
ですが、気持ちを切り替えて、先生に言われた通り、毎日自分で出来る運動を、痛みに耐えながら続けていました。
二回目の通院で血液検査などは問題なかったのですが、二回目の「ティーエスワン」を服用し始めて間もなく、人生で初めてというほどの激しい下痢症状が約1周間続いたのです。毎日、食べてもすぐにトイレに駆け込む状態で、食事するのも怖くなりました。当然食欲など湧くはずもなく水分不足も重なってふらふらするようになりました。自分でもびっくりするほど、本当に“げっそり”した姿で、見る影もありません。
急遽病院に行き診察してもらうと脱水症状で即、点滴が始まりました。エネルギーの補給・ヴィーンD 注500mlを二本です。結構長い時間がかかりましたが終わると少し元気になった感じでした。
この間、食事は中々摂りづらく3日に一回のペースで点滴してもらいました。この時期自宅では私一人で、フラフラの状況はしばらく続き、ほとんど横になって休んでいましたが、急に立ち上がると意識がなくなり倒れたことが数回ありました。
ついには、立って二歩ほど歩いたのは覚えていますが、そのあと意識はなくなり倒れた時にドアノブか何かにぶつかったのでしょう、気がついた時はドアの前で倒れたままで顔の周りは血の海という事態が発生してしまいました。
鼻は痛く少し曲がったようでしばらく何が起きたのかわかりませんでしたが、鼻血が出たのだと。多量の血を見ると気分はますます悪くなり、動くのも慎重になり体重もついに入院時に比べて20キロ減って42キロになってしまいました。
さすがにここまで急激に体重も落ちると筋肉はなくなり、普通に歩くことも出来なくなり杖が必要になりました。
一度悪い方に向かうと段々気力も体力も弱り、退院して6ヶ月後頃には、まさに人生で最悪の状態を迎えました。そして、毎日点滴にはタクシーで通うようになっていました。
また、食事をするのがとても辛く、何を食べるにしても量は僅かで、味はなく生きるために食べ物を無理矢理口に入れるというある種 “苦行” といった感じで食事をしていました。
唾液が出るのが少ないので、口の中は常に乾いた状態であるため、歯にも影響が出始めました。歯科医から口の中に塗る保湿クリームも処方してもらい少しは楽になる時もありました。普段何も気にしていない唾液ですが、これほど唾液が重要であるとは、思ってもみませんでした。
さらに、飲み薬の副作用は目にも出はじめ、目ヤニがやたら出るのです。
ついつい擦ってしまうので、角膜に傷がついたのでしょう、目がしょぼしょぼするなど不快な状態で、眼科で目に塗る軟膏薬をもらいましたが、自分で塗るのはすごく怖かったので、妻にお願いして塗ってもらっていました。
退院して良くなるばかりと信じていましたが、逆に体のあちこちがボロボロになって行くように感じました。栄養補給の点滴も毎日するような事態になる中で、親友も心配して頻繁に声をかけてくれました。しかしこの時期、先生から 「紫外線にはあまり当たらないように」と言われていたので、気分転換での外出もままならず、「負けない!気力、気力、気力・必ずうまく行く」という言葉をを頭の中で唱えて過ごすのが精一杯でした。
次回へ続く
今日は0のつく日、4月10日です。
4月からはシリーズは第3章です。
がん患者の方、その家族の方の何かの参考になれば幸いです。
「癌から奇跡の復活 ・ 第3章①」
【通院治療へ・・・】
退院して自由に行動ができるようになると喜んでみたものの、現実はそんなに甘いものではありませんでした。入院生活による体力の衰えは著しく、思うように動かない体で不都合なことがいっぱい出てきました。 手術の後遺症ですが、筋肉が固まってしまったのか、右腕が動かないことや首が回らないことなどこれまで経験したことのない状態で、箸の上げ下げも難しく、左右を見るときは首と一緒に体ごとその方向に動かしてものを見る感じです。
退院1週間後に手術したところに貼ってあったテープを取ってもらうため病院を訪れました。傷痕は細い線が出来たくらいで、見た目にはほとんどわかりません。看護師さんからも「きれいきれい」と言われるほどでした。 これで私の体には治療に関するすべての付着物はなくなりました。
しかし、これで治療が終わったわけではなく、再発予防を含めてこの日からあらたに飲み薬による治療が始まりました。
この薬は「ティーエスワン」という抗悪性腫瘍剤で、一日2回、超夕食後に1回カプセル3個、2週間飲んでそのあと1周間休みです。これまでの治療で唾液がほとんど出なくなったうえに口が渇く、体がだるいなどの状況が続き、カプセルを飲むのも一苦労でした。食事に至っては、相変わらずの味覚障害と唾液不足で、食べたものが口の中にくっついてしまい、また、噛む力・顎を動かすのも怖く少しの量を口に入れては水やお茶で流し込む感じでした。水分ばかりでお腹がいっぱいになってしまうため、必要なカロリーには到底達していなかったでしょうね。
また、放射線治療のあと喉の痛みや腫れが残っており、嚥下障害で飲み込んではむせの繰り返しで、あんなに楽しかった食事の時間が苦痛になりました。「本当に食事などしなくていい、横になって休んでいる方がいい。」と思う日が何日もありました。
さらに、首周りの神経が過敏になっていることもあってか、着ている肌着が皮膚に触れるだけでピリピリ痛みが走るのでイライラし、いろいろなことを思うようになり違った病になったのではという日が続きました。
それでも我慢しながら出来る限り食べるようにし、リハビリ・マッサージも週一回は必ず通い固まった筋肉のほぐしに務めました。
しかし、手術、入院生活によって一旦固まった筋肉をほぐすことは、普段の凝りと違い一筋縄ではいかないようです。治療院の先生も「2~3年はかかりますよ」と仰られ、「えっ、そんなにかかるの?」と呆然としました。
ですが、気持ちを切り替えて、先生に言われた通り、毎日自分で出来る運動を、痛みに耐えながら続けていました。
二回目の通院で血液検査などは問題なかったのですが、二回目の「ティーエスワン」を服用し始めて間もなく、人生で初めてというほどの激しい下痢症状が約1周間続いたのです。毎日、食べてもすぐにトイレに駆け込む状態で、食事するのも怖くなりました。当然食欲など湧くはずもなく水分不足も重なってふらふらするようになりました。自分でもびっくりするほど、本当に“げっそり”した姿で、見る影もありません。
急遽病院に行き診察してもらうと脱水症状で即、点滴が始まりました。エネルギーの補給・ヴィーンD 注500mlを二本です。結構長い時間がかかりましたが終わると少し元気になった感じでした。
この間、食事は中々摂りづらく3日に一回のペースで点滴してもらいました。この時期自宅では私一人で、フラフラの状況はしばらく続き、ほとんど横になって休んでいましたが、急に立ち上がると意識がなくなり倒れたことが数回ありました。
ついには、立って二歩ほど歩いたのは覚えていますが、そのあと意識はなくなり倒れた時にドアノブか何かにぶつかったのでしょう、気がついた時はドアの前で倒れたままで顔の周りは血の海という事態が発生してしまいました。
鼻は痛く少し曲がったようでしばらく何が起きたのかわかりませんでしたが、鼻血が出たのだと。多量の血を見ると気分はますます悪くなり、動くのも慎重になり体重もついに入院時に比べて20キロ減って42キロになってしまいました。
さすがにここまで急激に体重も落ちると筋肉はなくなり、普通に歩くことも出来なくなり杖が必要になりました。
一度悪い方に向かうと段々気力も体力も弱り、退院して6ヶ月後頃には、まさに人生で最悪の状態を迎えました。そして、毎日点滴にはタクシーで通うようになっていました。
また、食事をするのがとても辛く、何を食べるにしても量は僅かで、味はなく生きるために食べ物を無理矢理口に入れるというある種 “苦行” といった感じで食事をしていました。
唾液が出るのが少ないので、口の中は常に乾いた状態であるため、歯にも影響が出始めました。歯科医から口の中に塗る保湿クリームも処方してもらい少しは楽になる時もありました。普段何も気にしていない唾液ですが、これほど唾液が重要であるとは、思ってもみませんでした。
さらに、飲み薬の副作用は目にも出はじめ、目ヤニがやたら出るのです。
ついつい擦ってしまうので、角膜に傷がついたのでしょう、目がしょぼしょぼするなど不快な状態で、眼科で目に塗る軟膏薬をもらいましたが、自分で塗るのはすごく怖かったので、妻にお願いして塗ってもらっていました。
退院して良くなるばかりと信じていましたが、逆に体のあちこちがボロボロになって行くように感じました。栄養補給の点滴も毎日するような事態になる中で、親友も心配して頻繁に声をかけてくれました。しかしこの時期、先生から 「紫外線にはあまり当たらないように」と言われていたので、気分転換での外出もままならず、「負けない!気力、気力、気力・必ずうまく行く」という言葉をを頭の中で唱えて過ごすのが精一杯でした。
次回へ続く