遠藤雷太のうろうろブログ

何かを観たら、とにかく400字または1000字以内で感想を書きつづるブログ。

犬童一心監督『ジョゼと虎と魚たち』(2003年)

2005-11-29 18:49:53 | DVD・VHS・動画など

 なんだか考えさせられる話で、三日はあれこれ考えさせられてしまった。考えようとして考えたのではなく「考えさせられた」というところが優れた話である証なのだろう。
 あらすじは簡単で、妻夫木のツネオと池脇千鶴のジョゼが付き合い始めて別れるまでを描いた話。ジョゼは足が不自由で、部屋にこもりきり。まともに人とコミュニケーションを取ろうとしない。
 そんなジョゼと付き合うことになったのが大学生のツネオ。ただ、普通の大学生とあらすじには書いてあったけど、妻夫木の演じる大学生が普通であるはずがない。
 わかりやすく説明してしまうと、ほとんど「シンデレラ」のような話で、障害を持っている貧乏だがかわいい女の子の所に、妻夫木のようなカッコいい大学生がやってくるという話だ。
 ただ「シンデレラ」のままで話は終わらない。二人はあっさり別れてしまう。理由はツネオによると「僕が逃げたから」。形としてジョゼは捨てられてしまう。
 しかし、家にこもりきりだったジョゼがちゃんと恋愛して、一時でも楽しい思い出を作ったのだから、彼女の場合は「マッチ売りの少女」であったとも思える。
 ただ、現代社会は彼女を殺さない。
 何事も無かったようにジョゼは普通の生活を再開する。話はそれで終わる。
 あまりにも淡々としていて障害を持つヒロインの物語としては少し拍子抜け。現実にはもっと厳しい問題が沢山あるはずだ。
 うがった見方をすれば、ジョゼが可愛らしかったから良かったようなものの、不細工だったらツネオのような男は決して現れないだろうし、ジョゼの障害だって足が不自由だという程度だったから良かったようなものの、重度の知的障害だったり、もっと深刻な障害を持っていた場合でも、ツネオは彼女の前で立ち止まらなかっただろう。
 ここまで考えて気づくのは、この映画は「障害」を描いたものではないということだ。
 じゃあ、何を描いているのかというと、やっぱり「恋愛」を描いているのだと思う。
 ツネオとジョゼの関係に限らず、恋愛には困難がつきものだ。この映画では、たまたま(身体的な)障害が二人の間の困難として描かれているが、これは、世の中にある様々な恋愛上の困難に置き換えられるように思える。
 そこまで考えて、最後の「僕が逃げたから」が活きてくる。
 一度でも恋愛を終わらせたことのある人間なら共感できるせりふだったように思う。
 淡々と恋愛の始まりから終わりまでを描いた作り手の姿勢は、結構新鮮に思えた。

コメント (1)
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