今日は阪神・淡路大震災から25年目に当たるということで、あちらこちらでメモリアルの式典などが催された様ですが、日本の方は忘れていらっしゃるかもしれませんが、そのちょうど1年前はロサンゼルス郊外のノースリッジを震源とした地震があった日なんです。
そうです、1994年1月17日。
午前4時半でした。ドドドドドという地響きに続いてユッサユッサ揺れた気がします。なんたって26年前ですから。ただ私はベッドから起き上がることもできず、仰向けに寝たまま両手でベッドを掴み、ひょっとしたらこれが一巻の終わり!と怖くなったのを覚えています。そのうち本棚が倒れ、お気に入りのルームランプが台から落ちて、「そうだ、ドアを開けないと」と思い、今じゃ着られない様なセクシーな寝巻き姿で出ていくと、目の前のプールが右に左に津波を起こしていて、階上に住んでいたアメリカ人のお兄さんたちが「大丈夫か!?」と声をかけてくれました。
幸い私たちのアパートにダメージはなかったのですが、数ブロック先のビルは崩壊していました。断層って怖い。私の部屋も皿が壊れるでもなく、お土産の小物がすっ飛んで壊れたのと、ルームランプにヒビが入ったのと、それだけでした。
ところが、ちょいと北にあったインターステートハイウェイの5番はぐにゃりと曲がったり落ちたり、アメリカの高速はやっぱり地震に弱いよね、なんてのがその時の話題だったと思います。
その時の様子はこちらで。
死者は57人、負傷者8700人だそう。
ここで、日本と違うのは、火事による災害がそれほど広がらなかったことの様な気がします。勿論、震源の辺りでは酷かったですが。
アメリカでもNBCロサンゼルスが当時のニュースをアーカイブからアップロードしていました。 englico が生活していた当時のニュースです。23分の長さです。
カルテック(カリフォルニア州立大学せなくて、カリフォルニア工科大学だったと思います。昨日間違えてました)の地震学者のお姉さんもよくテレビに出てました)
災害は忘れたころにやってくる。
あの当時、サンフランシスコでも地震があって、しばらく南カリフォルニアで地震が続いたのですが、ここのところは聞きません。このニュースを出して、市民に知らせているのは良いことだと思います。
私がその報道で衝撃を受けたのが
避難所の様子でした
食事がブュッフェスタイルでとても美味しそうで豊か
ロスにいた日本人の知人が国籍を取ったわけでもないのに
市民として32万の補助金を市から貰ったとも言っていて
これらは未だに信じられません
報道されないと無かったことのようになりがちですが
私の中で誤解を恐れず言えば
わりと事なきを得た震災
という位置づけです
その時その場にいらしたとは
よくぞご無事で
神戸市民の半数が阪神大震災を知らない
と言う報道もありました
語らなければ忘れられてしまいますね
私の友達はサンタモニカから公園まで歩いて避難したとか言ってました。被災したところは本当にひどいところはひどかったんですが、本当に部分的でした。私の住んでいたアパートや周りは被害がなかったのに、数本道路を超えたところの高層ビルは崩れてました。
アメリカでの災難、たくさんありますよ〜!
思えば、早よ日本に帰ってこい!っつーご先祖様の導きだったかも。