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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

是枝裕和監督の「自虐史観」は軽薄そのもの

2019-03-12 21:22:05 | 国内の反日勢力という存在
米国の第91回アカデミー賞外国語映画賞に日本映画として10年ぶりにのノミネートされていた是枝裕和監督の「万引き家族」は受賞を逃し、アルフォンソ・キュアロンという監督の「ROMA」という作品が外国語映画賞を受賞。「万引き家族」は普通の平均的な日本人の家族像を描いているのではなく、「日本に住む『非常に特殊な』家族」を描いているのであって、ある意味でこの映画は「日本」を描いていることにはならないと思うし、映画の意図そのものが不明過ぎて、私などは見る気も起らないのですが。

以下は以前ヤフーブログに記事投稿したものです。


2018/5/20(日) 午後 8:33

「万引き家族」で第71回カンヌ国際映画祭の最高賞となる「パルム・ドール」を是枝裕和監督が受賞した。今、彼の受賞後のインタビューでの発言が「炎上」している。韓国の主要紙「中央日報」が喜んでとりあげているくらいだから、強烈な内容である。北朝鮮と韓国にとって都合のいい「反日発言」である。
(下に「中央日報」からそのままインタビュー記事を転載しています)


この発言で特に「アジア近隣諸国にもうしわけない」「日本もドイツのように謝らなければならない」と、自分が戦争を経験したこともないくせに本気で言っているなら、この人物ははただの「ステレオタイプ」であり、明らかに軽薄な「自虐史観」を「無難なスタンス」だと思っている、日本人としての矜持のない単純な「思考停止」に近い人物だと思う。特に後の発言は韓国人が日本を攻撃するときの決まり文句である。


韓国と中国での公開と観客動員を狙ってのリップサービスだと思う。本当に深い洞察などなく、世界がどれだけ複雑で非情かをわかっていない、底の浅い人に見えてしまう。世界は善と悪で二分できるほど単純ではない。


「自虐史観」は連合国による戦後の「プレスコード」という言論統制や、様々な世論操作や、工作活動で刷り込まれたものでもあり、自分で考えることを放棄した「左翼=文化人気取り」の「思考停止」に近いものなのだ。


そのように発言する人というのは相手への無批判の同情をみせて相手を懐柔しているに過ぎず、それによって相手自身の自省を妨げており、つまり相手を「未熟でこちらが我慢してやるべき存在」だと見下している態度の裏返しなのだ。


うるさい相手を黙らせるだめらせるために低姿勢を示してみせるだけの態度なのであり、軽薄なスタンスである。「謝る」ということは真剣でなければならず、あのような場で発言すべきではないし、彼はその立場ではないと思う。


そもそも、まずもう少しきちんと偏見のない目で戦前戦後の客観的な歴史を勉強なさった方がよいと思う。日本は何度も何度も政権が変わる度に謝罪してきたことは事実なのだ。


アジア諸国の内、ビルマ、フョリピン、インドネシア、ベトナムとは二国間協定を結んで謝罪と戦後賠償を行い、ODAによって様々な貢献を行ってきた。


韓国との日韓基本条約締結時は、日本と国交を回復する韓国の立場としては(韓国にとっては北朝鮮は国家としては認めていなかった即ち)「韓国が朝鮮半島を代表する国家」であるという立場で日本と締結したはずの条約であるのだが、韓国に対する賠償は、ドイツの戦後賠償と同じように「日本政府及び個人の日本人の『在外資産』を放棄することによる賠償」という形がとられ、それに加え「独立祝い金」、経済援助、技術移転、ODAなど様々に真剣に支援してきた。
 
だからこそ、日米が支援した韓国と、中国、ロシアが支援してきた北朝鮮があれほども経済発展で差があるのだ。謝罪も繰り返し繰り返し政権が変わる度に行われ、1984年には全斗煥大統領に直接昭和天皇が、1990年には盧泰愚大統領に直接今上天皇の謝罪のお言葉があった。これを要するに下の発言のように(謝罪が足りてない、もっと謝ろうと)言ってるが是枝裕和という人物なのだ。



中国は「日本に対する戦後賠償を放棄」したのだが、日中国交正常化後の1979年から2013年までに有償資金協力(円借款)を3兆3164億円、無償資金協力を1572億円、技術協力を1817億円というODAを実施しており、政権が変わるたびに日本の謝罪は繰り返されてきた歴史がある。







「日本の戦争謝罪」一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の戦争謝罪発言一覧



以下は「中央日報」(5月17日付)からそのまま引用
http://japanese.joins.com/article/462/241462.html

--物語の着眼となった契機は。

「数年前に、日本では亡くなった親の年金を受け取るために死亡届を出さない詐欺事件が社会的に大きな怒りを買った。はるかに深刻な犯罪も多いのに、人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか、深く考えることになった」

--血の混ざらない家族について描いている。

「日本では今も家族は『血縁』というイメージが固定化されている。特に、2011年大地震以降、このような家族の絆を大げさに強調する雰囲気について疑問を感じていた。国際的な状況もある。カンヌで会った多くの人々が、私に『私は里子なんだ』『私には養子がいる』と打ち明ける」

--主人公は社会のセーフティネットから疎外されている。

「日本は経済不況で階層間の両極化が進んだ。政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ」

--経済不況が日本をどのように変えたか。

「共同体文化が崩壊して家族が崩壊している。多様性を受け入れるほど成熟しておらず、ますます地域主義に傾倒していって、残ったのは国粋主義だけだった。日本が歴史を認めない根っこがここにある。アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない。だが、同じ政権がずっと執権することによって私たちは多くの希望を失っている」

--前作と同じく、父子関係が印象的だ。

「映画で少年の祥太(城桧吏扮)は父(リリー・フランキー扮)と呼んでいた人がそれほど信じられないことに気づく。私の父は典型的な会社員だったが、私にも似たような感情があった。親に対する確固たる印象が崩れる瞬間、大人になるのだということを言いたかった」

--本当の家族とは。

「決まった答えも定義もない。だが、この映画に関していうなら、永遠に一緒にいられなくても、共に過ごした時間がそれぞれの人生の中に深く刻印されること、それ自体が家族なのではないかと思う」



これまでの彼の作品について振り返ってみると、
2004年の「誰も知らない」のときには、柳楽優弥が史上最年少、日本人初で最優秀主演男優賞を獲得したものの、これは監督に与えられた勲章ではなかったが、それによって日本国内でも有名監督となった。


「誰も知らない」は、父親がそれぞれ別々の子供4人(出生届すら出されていない)をネグレクトして男の元へ出掛けて帰ってこない母によって置き去りにされ、ある日ベランダで転倒して頭を強打したまま衰弱死してしまった妹の遺体を、上の子供らが埋葬しに行く(確か羽田空港の近くの原っぱに、だったと記憶している)というかなり極端で、日本の平均的な家庭とはかけはなれた家族を描いていた。

犬や猫ではあるまいし、人間の子供にはもっと知恵がある。仮に「学校教育」を受けていなくてももう少し「生きる知恵」があるのが日本人の子供たちであり、コンビニに来る子供の様子が乞食のようで、明らかに親からネグレクトされている様子なら、普通に常識的な行動(この場合警察や児相への通報)をみせるのが日本の平均的な大人だ。普通の日本を描いていない。


「置きざりにれにされる子どもの話」というのは現実にあるし、兄弟で餓死していたという話も耳にしたこともあるが、それは2~3歳以下の乳幼児で起こる事例であって、あの年齢の子供(1番上は小学校6年生相当、学校には1度も通っていない)という事例は聞いたことがないし、非常に特殊でかつ非現実的ケースで、あまりにも極端なものを描いているという点であざとい感じがした。日本の社会の極端な最底辺を描いているだけという印象。柳楽優弥は瞳や顔もきれいで名演技だったと思うし、監督より子供らの演技が素晴らしかったというのが正しいと思う。設定は「受け狙い」としか思えない極端な設定。


その後、是枝作品に興味がなかったが、「海街diary」などは、原作が「カリフォルニア物語」の吉田秋生で、原作の方を読んでみたいな、くらいの印象。
鎌倉の由比ガ浜は家族が住んでいていつも見慣れた景色で目新しくもないし。


「そして父になる」(2013年)は主演の福山雅治が嫌いなのでみる気がしなかった。


カンヌ映画祭のパルムドールって、その国の暗部を描いた作品に与えられる賞のようだ。親捨ての「楢山節考」(1983 今村昌平)、浮気した妻をその場で殺す短絡的な殺人者のその後を描いた「うなぎ」(1997 今村昌平)


今回の映画も見る気はしない。「万引き家族」(2018 是枝裕和)も日本の家族崩壊とかを取り上げた作品のようで、「社会の最底辺という暗部」を描いているらしい。要するに、そういう映画でしか受賞できない賞のようである。



コメント

知らなかった!凄いなと喜んでいましたが、楢山節考そうですね!東北ではそうなんだみたいに思っていましたが、矢張り左翼連中か!
2018/5/20(日) 午後 9:08 [ MIC ] 返信する


> MICさん
彼(是枝監督)の描く悲惨な「日本社会」は、社会が人間不信と憎悪に満ちた「特亜の社会」を日本に置き換えているだけだと思います。「海街」の演出でも、ちゃぶ台を囲んで立膝で食べる日本人はいません。韓流に出てくる人々の所作です。
2018/5/20(日) 午後 10:24 kamakuraboy


確か、天皇陛下を始めとして総理大臣も閣僚も、何十回も謝ってきているのに、今更、だれが謝っていないといえるのかと思います。

これは是枝裕和の確信犯の印象操作、たちが悪い嫌がらせです。是枝は日本を愛する人ではありませんね。
「謝らなければならない」という発言の間違いについて、是枝は、日本国民に謝れといいたい。
2018/5/21(月) 午前 0:44 泉城


> 石田泉城さん
本当に、そうですね。歴代の総理大臣だけではなく、昭和天皇や、今上天皇にも不敬で、お言葉は「日本」からの謝罪であるという重みがあるから、例も李明博発言で、日本人は心底怒ったわけなのに。是枝監督は底が浅い人物だと思います。
2018/5/21(月) 午前 4:42 kamakuraboy


カンヌ映画祭のパルムドールは最も陰険な映画に与えられる特殊な賞と考えたほうがいいと思います。2度受賞した今村昌平の描く映画も日本人の暗部や在日の家族を描くなど暗いものばかりです。

是枝裕和監督・脚本の「万引き家族」は、そのタイトルだけで、これはおかしな映画だと感じられます。万引きで生計を立てている異常な一家の物語でしょう。
是枝監督はいわば確信犯です。

そのありえない異常さに驚いて賞を与えた捏造・デマの映画だと断じておきます。
2018/11/18(日) 午後 8:32 泉城


> 石田泉城さん
コメントをありがとうございます。是枝監督という人物の背景は知りませんが、彼は要するに「確信犯的」売国奴かもしくは「ただの馬鹿」(左翼=インテリだと思い込んでいる単細胞)ですね。

軽薄そのものだと思うし、この人の作品で描かれている日本人は、例えば「海街diary」の中で卓袱台の前で女性が「立膝でご飯を食べる」といった具合で、日本女性などでは全くあり得ない描かれ方ですよ。このことはしきりにネット上で指摘されていました。あんな食べ方をする日本女性はいないと。

「海街」の原作は吉田秋生の漫画で、鎌倉の家族を描いた作品なのですが。

あのような食事の仕方は「韓流」映画やドラマでしばしば目にする床に立膝で座って「床の上に直接置いた鍋や大皿料理を囲んでつつく」といったような、かなり行儀の悪い韓国式の食事の仕方そのもので、韓流ドラマの中でしばしばチェ・ジウなどもそういう所作の演技をしていました。

つまり是枝監督という人物が描く家族像とは、はっきり言えば在日家族をイメージしての作品だと理解しております。
2018/11/18(日) 午後 9:44 kamakuraboy


確かに万引き家族は在日家族ですね。

文科省の祝意拒否とともに文化庁の助成金をいわば「万引き」した是枝監督や、ライブで反日映像を流したり紫綬褒章を無造作に扱うサザンの桑田などは、ネオ・ウリであると思います。
純粋に映画や音楽を創作するのではなく、有名人の立場を利用して「ウリジナル思想」で日本国や日本人を蔑む言動を行うのは許せません。
これまでの是枝への助成金は没収すればいいでしょう。桑田への紫綬褒章は取り消せばいいでしょう。
しっかりした措置が望まれます。
2018/11/18(日) 午後 11:14 泉城


> 石田泉城さん
私も同感です。これらの方々の「表現者である前の人としての在り様」に疑問を感じます。「表現者」ならば何をしても許されるという考えは間違っていると思います。

日本国民であるならば「畳」や「床の間」に土足で上がるようなふるまいは出来ないはずで、全国中継されている紅白で、紫綬褒章をわざわざおしりのポケットから片手で引っ張り出してみせるような無礼で下品なふるまいは、「何様だよあんたは」という感じがして、見ていて不愉快でしたね。
2018/11/19(月) 午前 0:27 kamakuraboy

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