少し前に書いて、投稿せずにいた記事なのですが、投稿することにしました。
まず、私はLGBTを否定する立場なのではありません。「ジェンダーフリー」とLGBTは似て非なるものだと思います。
これはアーカンソー州リトルロックで2018年8月頃に開催された集会に登場した「翼のあるヤギの」バフォメットの像で、州議会議事堂に設置してあるそうです。
悪魔の寺院の共同創設者であるルシアン・グリーブスという人物は「最初の修正集会」に集り歓声の上げる群衆に話したそうです。
それは、「公共の場は宗教的なメッセージから解放されるべきであるか、悪魔主義者のアイコンを含むすべての信仰の表現に開かれるべきである」と。
この像の7.5 フィートの数字は、悪魔主義者にとっての多元主義、法の平等、寛容、和解の象徴である、とグリーブスは金曜日にNPR(注)に説明したそうです。
彼がそれをその特定の場所に保管場所から運び出した理由は、敷地内に恒久的に設置された別の記念碑、十戒に抗議するためでした。
米国に15の支部があり、カナダに1つの支部がある全国組織である悪魔の神殿は、公共の財産でのキリスト教の宗教的展示にのみ反対。
これはちょうど、今、弾劾騒動で有名になった下院のペロシ議長の「父や娘などのジェンダー用語を違法化する下院規則を起草する」という異常な何かに通ずるものを感じます。この人も悪魔の神殿の信者のように思えます。
米国議会のこの馬鹿げた規則は次の117回議会で投票されるそうですが、この規則が可決されると「父、娘、母、息子のようなジェンダー用語は非合法化される」のだそうです。ただ「親と子」という言葉だけを使用するのだとか。
なんとまぁ馬鹿げた規則をつくろうとしているのでしょうか。よその国の下院の規則など関係ないといえば、関係ないのですが、この80歳のマフィアのファミリー出身の民主党下院のボスは基本的にかなりエキセントリックな人物のようですね。
私には「悪魔の神殿」の主催者であるグリーブスとペロシが重なります。両者には社会規範、公序良俗、固定観念を悪とし、秩序なき社会を目指している人々のように思えてなりません。
ルシアン・グリーブスは以下のようなことを集会で言っているそうです。
「私たちは、他人の信念を私たちに強制することと同じように、私たちの信念と象徴をあなたに強制することにほとんど関心がありません」共和党のジェイソン・ラパート上院議員は、国会議事堂の敷地内での十戒の配置を承認した2015年の法案を後援し、憲法修正第1条に基づく言論の自由のすべての権利を「尊重」しているとTHV11(注)に語った。しかし、彼は続けた、「アーカンソーの人々は、私たちがあなたの冒涜的な発言に同意しないと言う権利があります...そして本当に十戒に対する戦争です。」上院議員はまた、「アーカンソー州議会議事堂の敷地内に攻撃的な彫像が恒久的に建てられる前に、地獄で非常に寒い日になるだろう」と付け加えた。ラパートの記念碑に反対するグループは悪魔の寺院だけではありません。このグループは、アメリカ自由人権協会の州支部が提起した訴訟に参加しようとしています。この訴訟では、展示は差別的で違憲であると主張しています。裁判官は、グループが事件に参加できるかどうかを判断します。半山羊の半人像は、もともとオクラホマ州の10の戒めの像に抗議するよう依頼されましたが、2015年の州最高裁判所の判決により、6フィートの花崗岩の構造は違憲であると判断されたため、グリーブスはそれをサイトから撤回しました。今、彼はNPRに「私たちはアーカンソーに焦点を合わせている」と語った。以下のようNPRのビル・チャペルが報告された「アーカンソー州議事堂の十戒記念碑の最初のバージョンは、それが昨年の夏、車によって破壊された24時間未満の前に続きました。」その破壊に責任のある同じ男はまた、オクラホマの十戒の記念碑を破壊しました。
LGBTは心と体の性が一致しない人々のことで、昨年話題となった映画「ミッドナイトスワン」などで描かれていたそれらの人々の「生きづらさ」も想像できます。私はこの映画を映画館に足を運んで観に行き、「異端者として生きる」人々の悲劇性には共感しますし、映画を観ていて涙がでました。
しかし「ジェンダーフリー」が「どちらかの性であることを区別しない立場」であるとすれば、それは公序良俗、社会規範などの破壊主義ということに繋がりかねない。
先日バイデン大統領(仮)が出した「LGBT差別禁止の大統領令(仮)」はなどは余りにも短絡的で、これは明らかにおかしい。社会の公序良俗を破壊しかねないものを多くの人々の議論を経ずに「大統領令(仮)」として出すのは独善的過ぎますね。
LGBTはある意味で「異端者」だし「少数派」だし、大多数の利益とは所詮共存しにくい。大多数の人々の利益を優先にするのは社会のバランスをはかる上で必要なことだと思います。
社会通念、社会規範を完全に取り除いてしまえば、その果てにあるのは弱肉強食、善悪の境界のない、無秩序なカオスの世界でしかないように思えます。
(注)NPR:
ナショナル・パブリック・ラジオとは、アメリカ合衆国の非営利・公共のラジオネットワーク。
(注)THV11
米国アーカンソー州リトルロックに認可されたCBS系列のテレビ局。
引用元:
この考え方の背景にあるのは「家族や伝統文化の否定」で究極にあるのは、無国籍的世界観だと思います。つまり左翼思想ですね。日教組に属している教師は偏りがあり過ぎて日本では嫌われていますし、斜陽となってきました。
日本には七五三、桃の節句、端午の節句などあって、「伝統文化」を守る国民性はどこの国よりも強いと思います。
「小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は666である。」
悪魔の教会の本部はニューヨークにあり、フロリダ、ミネアポリス、フィンランド、イタリアなどの各地に支部が存在するそうなのです。どのような活動を行って、その目的が何であるのか、、、
民主主義において思想・信仰の自由は保障されているにおいて自由権ですが例えばナチズムなどは否定されているわけで、自由権との兼ね合いで、思想・信仰の自由の範囲というのは非常に難しいですね。
LGBTが生まれてくるのは、胎内環境説が有力ですね。堕天使ルシファーを半陰陽の象徴であるかのように思って、ジェンダーフリーの思想が悪魔崇拝と結びつきやすいのかもしれません。
ペロシの「父」「娘」などの言葉を違法化する件についてはまるで悪魔のようで病んだ異常性を感じさせます。
日本では、橋下徹、玉木雄一郎が主張する戸籍廃止・夫婦別姓の考えと通じるものがあります。これらの主張は日本伝統の家族制度の崩壊、個人勝手主義の台頭に繋がり公序良俗、社会規範などを破壊します。
河野太郎や小泉進次郎なども否定していませんから末恐ろしいです。
LGBTを守ることに焦点を合わせすぎて大多数の一般人の気持ちを大切にしないのは間違っています。LGBTは生産性がないと杉田水脈の言葉を切り取って女性蔑視と執拗に批判するのもおかしいです。
米国と日本の政治家や行政の意識が同じ方向を向き、それをメディアが吹聴するのは危険だと思います。