2018/6/10(日) 午前 10:30
1987年に伊米中合作、ベルナルド・ベルトリッチ監督・脚本で作られ、同年のアカデミー賞を9部門を受賞した芸術大作映画「ラストエンペラー」の中で描かれていた清朝末期は、皇帝溥儀は幼く、周囲の官位の者達は皇帝に盲従するようでいて中身は腐敗しきっており、政治体制が機能しておらず、民衆の多くもアヘンに冒され国全体が弱体化して病んでいるという姿であった。
それを一人の英国人の目を通して語られていくというスタイルをとっていた。
ここで登場する「英国人」は完全に中立的、非政治的立場の「視点」にすぎす、ストーリーの中で何の役割もない、つまり「ナレーター」なのである。
あの映画では、皇帝溥儀の妻婉容にアヘンをすすめ、彼女をアヘン中毒患者にしてしまう描写として帝国主義日本のスパイである川島芳子が描かれていた。日中戦争、太平洋戦争が終わり、満州国は終焉し、ラストエンペラー溥儀は中国共産党体制(1949年建国)下の、普通の一人の市民として生涯を終えるのである。
最後にその壮大な「紫禁城」の「皇帝の椅子」の下に幼い皇帝溥儀が隠しておいた「こおろぎ」の入った小さな箱を、普通の一老人となった溥儀がとり出して、少年に差し出す、箱を開けてみるとこおろぎがいて、振り返ると誰もいないというエンディングが、この映画全体の中の圧巻のシーンで、映画の幻想的な余韻を作り出し、「時は幻、権力も幻」ということを表しているかのようであった。
確かに日清戦争(1894年7月~1895年3月)で清を倒し、その後、皇帝溥儀を形だけの「満州国」の執政とする傀儡国家をつくったのは日本であった。しかしその手前のところで清をアヘン漬けにしてボロボロに弱体化させ、さらに「アヘン戦争(1840~42)」で軍事力の圧倒的な差で叩き、香港を割譲させ(1842年)、九龍半島を割譲させ(1860年)、新界を租借させ(1898年)というように、「眠れる獅子」ではなく「眠れる豚」と揶揄しながら、次第に弱体化させていったのは帝国主義の大英帝国であったことも事実である。
「歴史修正主義」ではないが、日本が「満州国」(1932~1945年)を作らなくても恐らく、列強による清の分割統治が進んで早晩、国家としては滅んでいたのではないだろうか。
軍事力という「実効的な力」において清は近代化に遅れ、アヘン貿易やアヘン戦争で国家財政も疲弊しきっており、1911年には「辛亥革命」のような革命も起き始めており、他のアジアの国々同様に列強と更なる衝突が起きれば歯がたたず、国家としては機能せず、清朝は早晩滅ぶ運命だったのではないだろうか。
映画「ラストエンペラー」では撮影に本物の「紫禁城」(現在の「故宮」)や天安門広場を使い、それ故に壮大なスケールで、清から現在の中国共産党に生まれ変わっていく様が描かれている。つまり中国共産党の全面協力なしでは作れなかった映画なのである。
あの映画は、伊のベルトリッチという天才監督の芸術作品という姿をとりながら、同時に「映画」という媒体を通して、中華文化圏の人々、欧米の人々、同時に日本を含むアジアの人々、要するにあの映画を観る全ての人々に対し、「清王朝を滅ぼし中華文化圏を蹂躙したのは帝国主義日本であった(帝国主義の残忍さ)」「帝国主義に対して生まれた中国共産党は正当である(中国共産党は紆余曲折はあっても清廉である)」という一種の「イデオロギー映画」でもあるところが非常に巧妙だと思う。
皮肉なことに、この映画の3年後の1989年6月4日「中国の民主化」を叫んだ大学生達を、まさにこの映画の舞台であった天安門広場で、戦車によって生きたまま踏みつぶし、国家の生まれ変わりを願い立ち上がった中国の若者達への容赦ない虐殺が行われた「天安門事件」が起こったのである。
「天安門事件」の発端はこの映画が中国の若者の愛国心を呼び起こし「社会を変えることは可能」という期待をもたせたこともひとつの要因であったのかもしれないが、同時に「中国共産党の独裁」という政治体制への民衆の不満が爆発寸前であったが故に、「イデオロギー映画」としての「ラストエンペラー」が作られたともいえるのかもしれない。
コメント
こんばんは、kamakuraboyさん
このころの私はYMOのRYDEENに衝撃を覚えて坂本龍一の曲や出演にばかり目が奪われて問題意識が薄かったのだと思います。
こおろぎのシーンは覚えています。
「時は幻、権力も幻」ということを表しているかのようだと、なるほどさすがに感受性が豊かですね。そこまで私は捉えられずにぼーっと見ていた気がします。
帝国主義に対して生まれた中国共産党は正当であるとする「イデオロギー映画」という認識も薄かったです。
本当にぼーっとして観ていたんですね。
また、映画上映時期が、中国共産党の独裁体制への民衆の不満が爆発寸前の時期であったとする分析にもなるほどと思います。
映画「ラストエンペラー」の説明としてとても適切かつ的確ですね。
2018/12/25(火) 午前 1:12 泉城
> 泉城さん
こんばんは。この映画は「暗殺の森」のベルトリッチ(イタリア人)監督の作品です。
「暗殺の森」も大変なイデオロギー映画です。
イタリア人はヒットラーと手を組んだムッソリーニによって「ファシズム国家化した時代」も経験しており、扇動される民衆の愚かさというか怖さを知っている、20世紀初頭の歴史に対してとりわけ複雑な感情を持っていると思うのです。
イタリアは日本やドイツのようにバッサリと裁かれることもなく、一方で欧米人は帝国主義そのものの残忍性も実は1番よく知っているわけですし。
現在の中国が「中国夢」に拘るのも、欧米や日本などかつての帝国主義国家への怨念のような感情があると思います
2018/12/25(火) 午前 3:07 kamakuraboy
> 泉城さん
最終場面の「こおろぎのシーン」はとりわけ監督が映画の中で言いたかったこと、余韻として残したかった場面だと思うのです。
心に余韻が残るのが何故なのかと考えると、現実には子供の頃の溥儀がしまっておいたこおろぎが、彼が老人になったときに箱の中で生きているはずはない。つまり、あのシーンは幻ということですね。
だから、あのシーンで映画が何を言いたかったのだろうかと考えれば、皇帝であった溥儀がただの市井の老人になっている=「権力などは幻」で「時も含めたこの世の一切のものがある意味で幻」ということを言いたかったのかもしれないな、と思います。
2018/12/25(火) 午前 3:07 kamakuraboy
> kamakuraboyさん
おはようございます。
彼が老人になったときに箱の中で生きているはずはない。つまり、あのシーンは幻ということですね。
・・・・・全くそうですね。納得です。
それに気が付かなかった自分がちょっと悔しいです。
2018/12/25(火) 午前 8:29 泉城
時も含めたこの世の一切のものがある意味で幻という点も、とてもよくわかります。
2018/12/25(火) 午前 8:30 泉城
> 泉城さん
そのベルトリッチ監督も先月亡くなりましたね。ふと、「1900年」「ラストタンゴ・イン・パリ」などをじっくり観てみたくなりました。
2018/12/25(火) 午後 5:47 kamakuraboy
> kamakuraboyさん
「1900年」は観たことがありませんが、あらすじを読むと面白そうです。
「ラスト・タンゴ・イン・パリ」は、観たことがあります。
上映当時、大胆な性描写で芸術かポルノか裁判にまでなった問題作なので映画の評価は大きく分かれます。
現代であればそれほど問題にはならなかったと思います。
テーマ曲は、ポールモーリアの美しい音楽ででよく知られています。ポールモーリアの曲はどれも美しいですね。
2018/12/25(火) 午後 7:03 泉城
> 泉城さん
おはようございます。「ラストタンゴ・イン・パリ」」を昨夜観ました。テーマ曲は確かにポールモーリアの演奏で有名なタンゴ風の曲ですね。
この映画の性描写は少々過激な部分はあるものの、生身の人間を描くというリアリティを追求するための表現のひとつだと思います。
クライマックスと思われるシーンの中で、自殺した妻の亡骸に向かって「たとえ夫が200年生きても、妻の真の姿は決してわからない。たとえ宇宙を理解できたとしても それでも 君の正体はわからないだろう 君は一体誰だ?」という台詞があります。
つまりこの映画は、人の心の中は互いに謎だらけで、一人一人の人間が互いに孤独な独りぼっちであるということを描きたかったのではないかと思います。
イタリアで上映禁止になったり、ベルトリッチ監督が訴えられたのは、性描写の過激さもさることながら、教会に対する冒涜とも取れるシーンがそこかしこにあって問題だったようです。(イタリアはローマカトリック教会の総本山のバチカンがありますし)
2018/12/26(水) 午前 9:07 kamakuraboy
> 泉城さん
それに加えてマーロン・ブランドの台詞だけがほぼ全て仏語ではなく英語で(パリのアメリカ人といったところ)しかもスラングだらけのアドリブが多くて、その内容が少々過激すぎたということでしょうか。
当初はヒロインのジャンヌ役をドミニク・サンダで撮りたかったそうですが、彼女が出ていたら全く違う映画になっていたのでしょうね。マーロンブランドの過激過ぎるアドリブの台詞もあそこまでとびださなかったでしょうし、恐らく問題のレイプシーンの演出もなかったと思います。(実はリアリティを出すため、撮影の前にヒロイン役の女優にそのシーンのことは告げられていなかったという裏話もあるようですし)
主演女優が誰であるかは映画にとってかなり重要ですね。
2018/12/26(水) 午前 9:09 kamakuraboy
全くの余談です。
2006年に初めての北京視察団に参加しました。
当時は國の招待状が無いと入国制限が有ったそうです。
旅客機は往復共ボーイング737で片側一列の狭い機体で各業種の工場を案内されてから八達嶺へ向かい万里の長城へ一般道の横に要人用の道路を渋滞を他所にバスに乗せられ初めて長城の一部を見て想像を超えた雄大さを今でも覚えてます。
更に紫禁城故宮博物院内も殆どの展示物が触れる近さの簡単なロープ柵で映画に出て来る玉座も天蓋も、ほぼ真下近くで撮した写真が残ってます。
長城も博物院も修理されてて見た限りでは重機は無く人の手で作業され一般道路もビル建築も足場は竹材で組まれてました。
2018/12/26(水) 午後 1:06 jinsen99
中、一日の自由な時間は以前に商社へ研修に来てた中国高官奥さんに案内され二人で出来たての地下鉄に乗り造成中のオリンピック会場とか一般人が入れない友誼商店で買い物したり御主人は高官で家には番兵が居て送迎はベンツで100台有る内の一台だとも聞き地下鉄内では上半身裸の男性を見て彼女の衣装が化粧が際立って見えたのも変に思い納得もしました。
彼女の紹介で愛新覚羅系列の書家に逢い為書き入りの書を頼み更に愛新覚羅 溥儀の弟君の溥傑の満州文字の書が有るからと言われ彼女のてまえも有り持ち帰りました。
北京動物園では初のパンダを見てて迷子に成り昔の学習が少しだけ役立ちました。
それ以降の中国旅行でも驚きが一杯で面白い國です。
北京博物院は清の時代の遺物が中心で台湾の故宮博物院の贓物とは格段の違いを思い蒋介石と日本軍の力を感じます。
長く成りました。
2018/12/26(水) 午後 1:07 jinsen99
> jinsen99さん
こんにちは。コメントをありがとうございます。北京視察団ということですが、素晴らしいツアーをなさったようですね。2006年当時、中国からの招待状をもらうお立場だったということですね。
JINSENさんって、日中間の大きなビジネスを展開なさっておられた方なのでしょうか?以前、会社を経営しておられたと伺ったような記憶がありますが。
ご指摘のように、台湾にある国立故宮博物院の方は「世界一の中国美術工芸コレクション」として名高く、北京博物院よりもかなり見応えがあるようですね。「蒋介石と日本軍の力を感じます」という感想でいらっしゃるし、台湾に格段の親しみをもっておられるご様子ですね。
本来第二次世界大戦の戦勝国は台湾で(現在の中国は建国からして戦後ですし)でも台湾の方々には親日的な人々が多いと聞きますし。台湾の国立故宮博物院の方を見てみたい気がします。
2018/12/26(水) 午後 4:03 kamakuraboy
はい。台湾大好きです!
今では古い物を壊し開発し発展してますが訪れると歴史的な重みを中国は感じさせて呉れます。
台湾は年号からして民国107年です。
台湾の故宮博物院は30回以上参観しましたが念願の王羲之の書を心残りですが拝観出来てません。
中国の一党主義の話題が上りますが一党だからこそ出来る成し遂げる事を好き嫌いを別にして理解しないと僕は思ってます。
今の日本はアヤフヤな説明で誤魔化し多数で決定するのは正しい民主とは思えません。
是非、両方の博物院を参観をお薦めします。
*誤解。当時は珍しかった合弁会社の親会社と取引が有っただけです。
2018/12/26(水) 午後 6:20 jinsen99
1987年に伊米中合作、ベルナルド・ベルトリッチ監督・脚本で作られ、同年のアカデミー賞を9部門を受賞した芸術大作映画「ラストエンペラー」の中で描かれていた清朝末期は、皇帝溥儀は幼く、周囲の官位の者達は皇帝に盲従するようでいて中身は腐敗しきっており、政治体制が機能しておらず、民衆の多くもアヘンに冒され国全体が弱体化して病んでいるという姿であった。
それを一人の英国人の目を通して語られていくというスタイルをとっていた。
ここで登場する「英国人」は完全に中立的、非政治的立場の「視点」にすぎす、ストーリーの中で何の役割もない、つまり「ナレーター」なのである。
あの映画では、皇帝溥儀の妻婉容にアヘンをすすめ、彼女をアヘン中毒患者にしてしまう描写として帝国主義日本のスパイである川島芳子が描かれていた。日中戦争、太平洋戦争が終わり、満州国は終焉し、ラストエンペラー溥儀は中国共産党体制(1949年建国)下の、普通の一人の市民として生涯を終えるのである。
最後にその壮大な「紫禁城」の「皇帝の椅子」の下に幼い皇帝溥儀が隠しておいた「こおろぎ」の入った小さな箱を、普通の一老人となった溥儀がとり出して、少年に差し出す、箱を開けてみるとこおろぎがいて、振り返ると誰もいないというエンディングが、この映画全体の中の圧巻のシーンで、映画の幻想的な余韻を作り出し、「時は幻、権力も幻」ということを表しているかのようであった。
確かに日清戦争(1894年7月~1895年3月)で清を倒し、その後、皇帝溥儀を形だけの「満州国」の執政とする傀儡国家をつくったのは日本であった。しかしその手前のところで清をアヘン漬けにしてボロボロに弱体化させ、さらに「アヘン戦争(1840~42)」で軍事力の圧倒的な差で叩き、香港を割譲させ(1842年)、九龍半島を割譲させ(1860年)、新界を租借させ(1898年)というように、「眠れる獅子」ではなく「眠れる豚」と揶揄しながら、次第に弱体化させていったのは帝国主義の大英帝国であったことも事実である。
「歴史修正主義」ではないが、日本が「満州国」(1932~1945年)を作らなくても恐らく、列強による清の分割統治が進んで早晩、国家としては滅んでいたのではないだろうか。
軍事力という「実効的な力」において清は近代化に遅れ、アヘン貿易やアヘン戦争で国家財政も疲弊しきっており、1911年には「辛亥革命」のような革命も起き始めており、他のアジアの国々同様に列強と更なる衝突が起きれば歯がたたず、国家としては機能せず、清朝は早晩滅ぶ運命だったのではないだろうか。
映画「ラストエンペラー」では撮影に本物の「紫禁城」(現在の「故宮」)や天安門広場を使い、それ故に壮大なスケールで、清から現在の中国共産党に生まれ変わっていく様が描かれている。つまり中国共産党の全面協力なしでは作れなかった映画なのである。
あの映画は、伊のベルトリッチという天才監督の芸術作品という姿をとりながら、同時に「映画」という媒体を通して、中華文化圏の人々、欧米の人々、同時に日本を含むアジアの人々、要するにあの映画を観る全ての人々に対し、「清王朝を滅ぼし中華文化圏を蹂躙したのは帝国主義日本であった(帝国主義の残忍さ)」「帝国主義に対して生まれた中国共産党は正当である(中国共産党は紆余曲折はあっても清廉である)」という一種の「イデオロギー映画」でもあるところが非常に巧妙だと思う。
皮肉なことに、この映画の3年後の1989年6月4日「中国の民主化」を叫んだ大学生達を、まさにこの映画の舞台であった天安門広場で、戦車によって生きたまま踏みつぶし、国家の生まれ変わりを願い立ち上がった中国の若者達への容赦ない虐殺が行われた「天安門事件」が起こったのである。
「天安門事件」の発端はこの映画が中国の若者の愛国心を呼び起こし「社会を変えることは可能」という期待をもたせたこともひとつの要因であったのかもしれないが、同時に「中国共産党の独裁」という政治体制への民衆の不満が爆発寸前であったが故に、「イデオロギー映画」としての「ラストエンペラー」が作られたともいえるのかもしれない。
コメント
こんばんは、kamakuraboyさん
このころの私はYMOのRYDEENに衝撃を覚えて坂本龍一の曲や出演にばかり目が奪われて問題意識が薄かったのだと思います。
こおろぎのシーンは覚えています。
「時は幻、権力も幻」ということを表しているかのようだと、なるほどさすがに感受性が豊かですね。そこまで私は捉えられずにぼーっと見ていた気がします。
帝国主義に対して生まれた中国共産党は正当であるとする「イデオロギー映画」という認識も薄かったです。
本当にぼーっとして観ていたんですね。
また、映画上映時期が、中国共産党の独裁体制への民衆の不満が爆発寸前の時期であったとする分析にもなるほどと思います。
映画「ラストエンペラー」の説明としてとても適切かつ的確ですね。
2018/12/25(火) 午前 1:12 泉城
> 泉城さん
こんばんは。この映画は「暗殺の森」のベルトリッチ(イタリア人)監督の作品です。
「暗殺の森」も大変なイデオロギー映画です。
イタリア人はヒットラーと手を組んだムッソリーニによって「ファシズム国家化した時代」も経験しており、扇動される民衆の愚かさというか怖さを知っている、20世紀初頭の歴史に対してとりわけ複雑な感情を持っていると思うのです。
イタリアは日本やドイツのようにバッサリと裁かれることもなく、一方で欧米人は帝国主義そのものの残忍性も実は1番よく知っているわけですし。
現在の中国が「中国夢」に拘るのも、欧米や日本などかつての帝国主義国家への怨念のような感情があると思います
2018/12/25(火) 午前 3:07 kamakuraboy
> 泉城さん
最終場面の「こおろぎのシーン」はとりわけ監督が映画の中で言いたかったこと、余韻として残したかった場面だと思うのです。
心に余韻が残るのが何故なのかと考えると、現実には子供の頃の溥儀がしまっておいたこおろぎが、彼が老人になったときに箱の中で生きているはずはない。つまり、あのシーンは幻ということですね。
だから、あのシーンで映画が何を言いたかったのだろうかと考えれば、皇帝であった溥儀がただの市井の老人になっている=「権力などは幻」で「時も含めたこの世の一切のものがある意味で幻」ということを言いたかったのかもしれないな、と思います。
2018/12/25(火) 午前 3:07 kamakuraboy
> kamakuraboyさん
おはようございます。
彼が老人になったときに箱の中で生きているはずはない。つまり、あのシーンは幻ということですね。
・・・・・全くそうですね。納得です。
それに気が付かなかった自分がちょっと悔しいです。
2018/12/25(火) 午前 8:29 泉城
時も含めたこの世の一切のものがある意味で幻という点も、とてもよくわかります。
2018/12/25(火) 午前 8:30 泉城
> 泉城さん
そのベルトリッチ監督も先月亡くなりましたね。ふと、「1900年」「ラストタンゴ・イン・パリ」などをじっくり観てみたくなりました。
2018/12/25(火) 午後 5:47 kamakuraboy
> kamakuraboyさん
「1900年」は観たことがありませんが、あらすじを読むと面白そうです。
「ラスト・タンゴ・イン・パリ」は、観たことがあります。
上映当時、大胆な性描写で芸術かポルノか裁判にまでなった問題作なので映画の評価は大きく分かれます。
現代であればそれほど問題にはならなかったと思います。
テーマ曲は、ポールモーリアの美しい音楽ででよく知られています。ポールモーリアの曲はどれも美しいですね。
2018/12/25(火) 午後 7:03 泉城
> 泉城さん
おはようございます。「ラストタンゴ・イン・パリ」」を昨夜観ました。テーマ曲は確かにポールモーリアの演奏で有名なタンゴ風の曲ですね。
この映画の性描写は少々過激な部分はあるものの、生身の人間を描くというリアリティを追求するための表現のひとつだと思います。
クライマックスと思われるシーンの中で、自殺した妻の亡骸に向かって「たとえ夫が200年生きても、妻の真の姿は決してわからない。たとえ宇宙を理解できたとしても それでも 君の正体はわからないだろう 君は一体誰だ?」という台詞があります。
つまりこの映画は、人の心の中は互いに謎だらけで、一人一人の人間が互いに孤独な独りぼっちであるということを描きたかったのではないかと思います。
イタリアで上映禁止になったり、ベルトリッチ監督が訴えられたのは、性描写の過激さもさることながら、教会に対する冒涜とも取れるシーンがそこかしこにあって問題だったようです。(イタリアはローマカトリック教会の総本山のバチカンがありますし)
2018/12/26(水) 午前 9:07 kamakuraboy
> 泉城さん
それに加えてマーロン・ブランドの台詞だけがほぼ全て仏語ではなく英語で(パリのアメリカ人といったところ)しかもスラングだらけのアドリブが多くて、その内容が少々過激すぎたということでしょうか。
当初はヒロインのジャンヌ役をドミニク・サンダで撮りたかったそうですが、彼女が出ていたら全く違う映画になっていたのでしょうね。マーロンブランドの過激過ぎるアドリブの台詞もあそこまでとびださなかったでしょうし、恐らく問題のレイプシーンの演出もなかったと思います。(実はリアリティを出すため、撮影の前にヒロイン役の女優にそのシーンのことは告げられていなかったという裏話もあるようですし)
主演女優が誰であるかは映画にとってかなり重要ですね。
2018/12/26(水) 午前 9:09 kamakuraboy
全くの余談です。
2006年に初めての北京視察団に参加しました。
当時は國の招待状が無いと入国制限が有ったそうです。
旅客機は往復共ボーイング737で片側一列の狭い機体で各業種の工場を案内されてから八達嶺へ向かい万里の長城へ一般道の横に要人用の道路を渋滞を他所にバスに乗せられ初めて長城の一部を見て想像を超えた雄大さを今でも覚えてます。
更に紫禁城故宮博物院内も殆どの展示物が触れる近さの簡単なロープ柵で映画に出て来る玉座も天蓋も、ほぼ真下近くで撮した写真が残ってます。
長城も博物院も修理されてて見た限りでは重機は無く人の手で作業され一般道路もビル建築も足場は竹材で組まれてました。
2018/12/26(水) 午後 1:06 jinsen99
中、一日の自由な時間は以前に商社へ研修に来てた中国高官奥さんに案内され二人で出来たての地下鉄に乗り造成中のオリンピック会場とか一般人が入れない友誼商店で買い物したり御主人は高官で家には番兵が居て送迎はベンツで100台有る内の一台だとも聞き地下鉄内では上半身裸の男性を見て彼女の衣装が化粧が際立って見えたのも変に思い納得もしました。
彼女の紹介で愛新覚羅系列の書家に逢い為書き入りの書を頼み更に愛新覚羅 溥儀の弟君の溥傑の満州文字の書が有るからと言われ彼女のてまえも有り持ち帰りました。
北京動物園では初のパンダを見てて迷子に成り昔の学習が少しだけ役立ちました。
それ以降の中国旅行でも驚きが一杯で面白い國です。
北京博物院は清の時代の遺物が中心で台湾の故宮博物院の贓物とは格段の違いを思い蒋介石と日本軍の力を感じます。
長く成りました。
2018/12/26(水) 午後 1:07 jinsen99
> jinsen99さん
こんにちは。コメントをありがとうございます。北京視察団ということですが、素晴らしいツアーをなさったようですね。2006年当時、中国からの招待状をもらうお立場だったということですね。
JINSENさんって、日中間の大きなビジネスを展開なさっておられた方なのでしょうか?以前、会社を経営しておられたと伺ったような記憶がありますが。
ご指摘のように、台湾にある国立故宮博物院の方は「世界一の中国美術工芸コレクション」として名高く、北京博物院よりもかなり見応えがあるようですね。「蒋介石と日本軍の力を感じます」という感想でいらっしゃるし、台湾に格段の親しみをもっておられるご様子ですね。
本来第二次世界大戦の戦勝国は台湾で(現在の中国は建国からして戦後ですし)でも台湾の方々には親日的な人々が多いと聞きますし。台湾の国立故宮博物院の方を見てみたい気がします。
2018/12/26(水) 午後 4:03 kamakuraboy
はい。台湾大好きです!
今では古い物を壊し開発し発展してますが訪れると歴史的な重みを中国は感じさせて呉れます。
台湾は年号からして民国107年です。
台湾の故宮博物院は30回以上参観しましたが念願の王羲之の書を心残りですが拝観出来てません。
中国の一党主義の話題が上りますが一党だからこそ出来る成し遂げる事を好き嫌いを別にして理解しないと僕は思ってます。
今の日本はアヤフヤな説明で誤魔化し多数で決定するのは正しい民主とは思えません。
是非、両方の博物院を参観をお薦めします。
*誤解。当時は珍しかった合弁会社の親会社と取引が有っただけです。
2018/12/26(水) 午後 6:20 jinsen99