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☆『短歌を詠む科学者たち』(松村由利子・著、春秋社)☆
短歌はわずか三十一文字の芸術である。三十一文字の短さだからこそ、歌を詠む人の想いがそこに凝縮され、歌人の人生さえも端的に表現され、こころの内が見えてくることがある。本書は7人の科学者が詠んだ短歌を紹介しながら、7人の歩んだ人生や研究の軌跡を追っている。
取り上げられている科学者は、掲載順に湯川秀樹(理論物理学)、斎藤茂吉(精神医学)、柳澤桂子(生命科学)、石原純(理論物理学)、永田和宏(細胞生物学)、湯浅年子(実験物理学)、坂井修一(情報工学)の7人であり、柳澤、永田、坂井の3名は存命の方々である。以下、各人毎こころに残った一首を紹介してみたい。
湯川秀樹(1907-1981)は言わずと知れた日本人として初めてノーベル賞(物理学賞)の栄誉に輝いた理論物理学者である。湯川は老荘思想に造詣が深かったことは有名であるが、幼い頃から歌にも親しんでいたようである。湯川はまた科学者として原爆投下にこころを痛め、戦後平和運動に尽力したことでも知られている。
天地のわかれし時に成りしとふ原子ふたたび砕けちる今
「天地」は「あめつち」と読み、科学者ならではの原子・原子核の捉え方とともに、それが砕け散ることの恐れも歌われているように思う。
斎藤茂吉(1882-1953)は著名な歌人として広く知られているが、精神科医・精神医学者としての顔は歌人の陰に隠されてしまっている感がある。茂吉の次男である北杜夫(本名斉藤宗吉、作家・精神科医)の小説やエッセイに若い頃からファンを自認するくらい親しんできたので、父である茂吉の人生もそれなりに知ってはいたが、研究や研究の現場を詠んだ歌には新鮮な興味を覚えた。
実験の為事やうやくはかどれば楽しきときありて夜半に目ざむる
ここにいる茂吉は明らかに科学者としての茂吉であろう。
順風満帆な人生を送っている最中、突然原因不明の難病に見舞われ、長く病床に就かざるを得なくなり死をも覚悟したとき、人は何をよすがに生きるのだろうか。柳澤桂子(1938-)は生命科学者としての前途を約束されながら思いもよらぬ病に倒れ、いまも病床から多くのエッセイや歌集を発表し続けている。生きる証のような柳澤の著作や歌を感動の一言で済ますのはあまりに軽々しいが、こころが揺さぶられ、そして慰められる事実は読んだ者でなければ理解はできないであろう。
人生を成就できない悲しみは月で汲み上げ銀河に流す
人生の悲しみを宇宙と相対化し、宇宙に流す潔さ。柳澤の悲しみがそれほどに大きかったことも推し量ってしまう。
科学や物理を知らなくとも、相対性理論やアインシュタインの名前くらい知っている日本人は少なくないだろう。そもそもは石原純(1881-1947)によるところが大きいように思う。石原は理論物理学者としていち早く相対性理論に注目し、アインシュタインの下で学んだ日本人である。歌人原阿佐緒との恋愛事件で東北帝国大学を追われ、その後科学ジャーナリストとして相対性理論などを世に広めた。いわばサイエンスコミュニケーションの先駆者である。岩波書店の科学雑誌『科学』の創刊にも携わった。
名に慕へる相対論の創始者にわれいま見ゆるこゝろうれしみ
憧れの相対論の創始者であるアインシュタインに初めて会う嬉しさが、まっすぐに伝わってくる。
試しにアマゾンで「永田和宏」と検索してみると、歌集や短歌に関する本と細胞やタンパク質などに関する生物学書が同時にヒットする。何も知らなければ別々の「永田和宏」と思うかもしれない。永田和宏(1947-)は歌人にして細胞生物学者であり、どちらも「著名な」が付くほどの人物である。2010年に乳がんで亡くなった妻の河野裕子も歌人として有名な方である。永田と河野が共に歩んだ愛し愛された人生は実に羨ましい。だからこそか、河野を失った永田の悲しみはあまりに大きく涙を誘う。
よく笑ふ妻でありしよ四十年お婆さんのあなたと歩きたかつた
妻を亡くした後も、永田は研究においても短歌においても、一流の仕事を成し遂げ続けている。
いまでこそ国内外で活躍する女性科学者は少なくないが(それでも国際的に比較すれば日本は見劣りする状況だろう)、湯浅年子(1909-1980)は創設されて3年後の東京文理科大学(東京教育大学を経て現在は筑波大学)で、日本で初めて女性として物理学を専攻し、第二次世界大戦勃発直後にフランスに渡り研究に挺身した実験物理学者である。敗戦直前に帰国したが再びパリに渡り、その後は研究とともに日仏の架け橋として活躍した。湯浅の『パリ随想』は時々思い出したようにページを繰るのだが、女性科学者の目を通して往年のパリが描かれた好エッセイである。
次元の異なる二つの世界なるか故里日本とこのヨーロッパ
日本で生まれながらも長くフランスに居を構え、日仏を往還した湯浅ならではの感慨のように思う。
坂井修一(1958-)は7人の中で唯一おぼろげに名前だけ覚えていた。どこで見たのかもわからないが、科学者あるいは技術者であるらしいという程度で、何が専門なのかも知らず、ましてや多くの歌集を出すほどの著名な歌人であることも全く知らなかった。坂井は幼い頃から虫や理科に興味を抱きながら、歴史や物語、詩歌にも魅せられていたという。東大理科一類に進学した坂井は専攻を物理学か情報工学にするかで迷ったが、結局情報工学に進み、その後大学院を経て電総研や東大などでコンピュータ(情報工学)研究の最前線に立ち続けている。人類の行く末や人間と科学技術との関係にもこころを砕き、寺田寅彦に深く共感する坂井の歌は、現代的な視点に立ち同時代を生きているということもあってか、実に読みやすく他の6人にはない親しみやすさを感じてしまう。
紙の本、ビデオ、CDなくなつてなんてライトな老人ホーム
みづからを修正しつつ生きのびるITはいつか人間めきて
これは決して未来を詠んだものとは思えない。時代はすでにこの先を行きつつあるのではないか。坂井だけは二首紹介したが、同時代人としての思いを共有したかったからである。いずれ坂井の歌集を読んでみようかと思う。
あらためて短歌が科学者たちのこころの内を照らす一条の光のように思えてくる。
著者の松村由利子さんは二十年あまり毎日新聞に記者として勤め、科学環境部(いわゆる科学部)にも5年間所属していたという。一方で歌集を出している歌人でもある。科学と短歌との関わりについてわかりやすく紹介するという意味では、まさに適任者である。数年前、同じコンセプトで書かれた『31文字のなかの科学』を読んで以来、続編を期待していたので、本書は待ちに待った出版だった。それにもかかわらず、いろいろあって手に取ったのは数ヶ月前であり、ほぼ休日ごとに1章ずつ読み進めていたので読了まで時間がかかってしまった。それにしても1章ごとが仕事の疲れを癒やしてくれる楽しいひと時であった。
これを書いている途中、12年前(2007年)に『科学を短歌によむ』という本を紹介していることに気がついた。湯川、柳澤、石原、永田の歌も紹介している。一昔前の自分が書いた文章を読むのは気恥ずかしいものだが、今よりも含蓄のある文章を書いているようにも思える。少なくとも借りものではない自分の言葉で素直に書いているように見える。過去の自分に好感を持ってしまうというのもおかしな話であるが。いまの文章が過去のものより劣っているとすれば、それは何故なのか。歳のせいにはしたくない。やはり読書量の圧倒的な減少だろうか。言葉に関わる感性が鈍ってきているのかもしれない。短歌は言葉の感性を育むとも言われる。「巧拙はともかく、生きる糧として短歌がよめたらと思う」、「気楽な楽しみとしてもう一度挑戦してみようか」と書いているが、いま一度(少し本気で?)挑戦してみようか。
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短歌はわずか三十一文字の芸術である。三十一文字の短さだからこそ、歌を詠む人の想いがそこに凝縮され、歌人の人生さえも端的に表現され、こころの内が見えてくることがある。本書は7人の科学者が詠んだ短歌を紹介しながら、7人の歩んだ人生や研究の軌跡を追っている。
取り上げられている科学者は、掲載順に湯川秀樹(理論物理学)、斎藤茂吉(精神医学)、柳澤桂子(生命科学)、石原純(理論物理学)、永田和宏(細胞生物学)、湯浅年子(実験物理学)、坂井修一(情報工学)の7人であり、柳澤、永田、坂井の3名は存命の方々である。以下、各人毎こころに残った一首を紹介してみたい。
湯川秀樹(1907-1981)は言わずと知れた日本人として初めてノーベル賞(物理学賞)の栄誉に輝いた理論物理学者である。湯川は老荘思想に造詣が深かったことは有名であるが、幼い頃から歌にも親しんでいたようである。湯川はまた科学者として原爆投下にこころを痛め、戦後平和運動に尽力したことでも知られている。
天地のわかれし時に成りしとふ原子ふたたび砕けちる今
「天地」は「あめつち」と読み、科学者ならではの原子・原子核の捉え方とともに、それが砕け散ることの恐れも歌われているように思う。
斎藤茂吉(1882-1953)は著名な歌人として広く知られているが、精神科医・精神医学者としての顔は歌人の陰に隠されてしまっている感がある。茂吉の次男である北杜夫(本名斉藤宗吉、作家・精神科医)の小説やエッセイに若い頃からファンを自認するくらい親しんできたので、父である茂吉の人生もそれなりに知ってはいたが、研究や研究の現場を詠んだ歌には新鮮な興味を覚えた。
実験の為事やうやくはかどれば楽しきときありて夜半に目ざむる
ここにいる茂吉は明らかに科学者としての茂吉であろう。
順風満帆な人生を送っている最中、突然原因不明の難病に見舞われ、長く病床に就かざるを得なくなり死をも覚悟したとき、人は何をよすがに生きるのだろうか。柳澤桂子(1938-)は生命科学者としての前途を約束されながら思いもよらぬ病に倒れ、いまも病床から多くのエッセイや歌集を発表し続けている。生きる証のような柳澤の著作や歌を感動の一言で済ますのはあまりに軽々しいが、こころが揺さぶられ、そして慰められる事実は読んだ者でなければ理解はできないであろう。
人生を成就できない悲しみは月で汲み上げ銀河に流す
人生の悲しみを宇宙と相対化し、宇宙に流す潔さ。柳澤の悲しみがそれほどに大きかったことも推し量ってしまう。
科学や物理を知らなくとも、相対性理論やアインシュタインの名前くらい知っている日本人は少なくないだろう。そもそもは石原純(1881-1947)によるところが大きいように思う。石原は理論物理学者としていち早く相対性理論に注目し、アインシュタインの下で学んだ日本人である。歌人原阿佐緒との恋愛事件で東北帝国大学を追われ、その後科学ジャーナリストとして相対性理論などを世に広めた。いわばサイエンスコミュニケーションの先駆者である。岩波書店の科学雑誌『科学』の創刊にも携わった。
名に慕へる相対論の創始者にわれいま見ゆるこゝろうれしみ
憧れの相対論の創始者であるアインシュタインに初めて会う嬉しさが、まっすぐに伝わってくる。
試しにアマゾンで「永田和宏」と検索してみると、歌集や短歌に関する本と細胞やタンパク質などに関する生物学書が同時にヒットする。何も知らなければ別々の「永田和宏」と思うかもしれない。永田和宏(1947-)は歌人にして細胞生物学者であり、どちらも「著名な」が付くほどの人物である。2010年に乳がんで亡くなった妻の河野裕子も歌人として有名な方である。永田と河野が共に歩んだ愛し愛された人生は実に羨ましい。だからこそか、河野を失った永田の悲しみはあまりに大きく涙を誘う。
よく笑ふ妻でありしよ四十年お婆さんのあなたと歩きたかつた
妻を亡くした後も、永田は研究においても短歌においても、一流の仕事を成し遂げ続けている。
いまでこそ国内外で活躍する女性科学者は少なくないが(それでも国際的に比較すれば日本は見劣りする状況だろう)、湯浅年子(1909-1980)は創設されて3年後の東京文理科大学(東京教育大学を経て現在は筑波大学)で、日本で初めて女性として物理学を専攻し、第二次世界大戦勃発直後にフランスに渡り研究に挺身した実験物理学者である。敗戦直前に帰国したが再びパリに渡り、その後は研究とともに日仏の架け橋として活躍した。湯浅の『パリ随想』は時々思い出したようにページを繰るのだが、女性科学者の目を通して往年のパリが描かれた好エッセイである。
次元の異なる二つの世界なるか故里日本とこのヨーロッパ
日本で生まれながらも長くフランスに居を構え、日仏を往還した湯浅ならではの感慨のように思う。
坂井修一(1958-)は7人の中で唯一おぼろげに名前だけ覚えていた。どこで見たのかもわからないが、科学者あるいは技術者であるらしいという程度で、何が専門なのかも知らず、ましてや多くの歌集を出すほどの著名な歌人であることも全く知らなかった。坂井は幼い頃から虫や理科に興味を抱きながら、歴史や物語、詩歌にも魅せられていたという。東大理科一類に進学した坂井は専攻を物理学か情報工学にするかで迷ったが、結局情報工学に進み、その後大学院を経て電総研や東大などでコンピュータ(情報工学)研究の最前線に立ち続けている。人類の行く末や人間と科学技術との関係にもこころを砕き、寺田寅彦に深く共感する坂井の歌は、現代的な視点に立ち同時代を生きているということもあってか、実に読みやすく他の6人にはない親しみやすさを感じてしまう。
紙の本、ビデオ、CDなくなつてなんてライトな老人ホーム
みづからを修正しつつ生きのびるITはいつか人間めきて
これは決して未来を詠んだものとは思えない。時代はすでにこの先を行きつつあるのではないか。坂井だけは二首紹介したが、同時代人としての思いを共有したかったからである。いずれ坂井の歌集を読んでみようかと思う。
あらためて短歌が科学者たちのこころの内を照らす一条の光のように思えてくる。
著者の松村由利子さんは二十年あまり毎日新聞に記者として勤め、科学環境部(いわゆる科学部)にも5年間所属していたという。一方で歌集を出している歌人でもある。科学と短歌との関わりについてわかりやすく紹介するという意味では、まさに適任者である。数年前、同じコンセプトで書かれた『31文字のなかの科学』を読んで以来、続編を期待していたので、本書は待ちに待った出版だった。それにもかかわらず、いろいろあって手に取ったのは数ヶ月前であり、ほぼ休日ごとに1章ずつ読み進めていたので読了まで時間がかかってしまった。それにしても1章ごとが仕事の疲れを癒やしてくれる楽しいひと時であった。
これを書いている途中、12年前(2007年)に『科学を短歌によむ』という本を紹介していることに気がついた。湯川、柳澤、石原、永田の歌も紹介している。一昔前の自分が書いた文章を読むのは気恥ずかしいものだが、今よりも含蓄のある文章を書いているようにも思える。少なくとも借りものではない自分の言葉で素直に書いているように見える。過去の自分に好感を持ってしまうというのもおかしな話であるが。いまの文章が過去のものより劣っているとすれば、それは何故なのか。歳のせいにはしたくない。やはり読書量の圧倒的な減少だろうか。言葉に関わる感性が鈍ってきているのかもしれない。短歌は言葉の感性を育むとも言われる。「巧拙はともかく、生きる糧として短歌がよめたらと思う」、「気楽な楽しみとしてもう一度挑戦してみようか」と書いているが、いま一度(少し本気で?)挑戦してみようか。
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