す新興宗教の信者が私に話しかけてきました。
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勧誘です。
〜
そこに友人が現れました。
〜
友人は事情を知らなかったのですが、一目その信者の顔を見ただけで、「さっきの人、新興宗教の勧誘か何か?」と言ってきたのです。
彼に言わせると、目が澄みすぎているのです。
きっとその教祖を信じきっているからでしょう。
自信に満ちて目が澄んでいるのはいいですが、盲信的に澄みすぎているのも考えものです。
【朝3分間のデカルト】
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盲信していても、その中にいたら、盲信していることすら気づかない。
側から見たら 観る人によっては異様な光景に見えるだろう。
また、
その人を見る目は、その人を通り越してその組織を観ることにもなる。
その盲信者は 枠から出てしまえば、また視野が変わる。
あぁ、でも仕方がない。
盲信するには個々に、それなりの訳がある。
そこで、感銘を受けたから、
何かを受け取れたから、
そこが救いだから、
そこしかないから
共に歩みたくて、居続けるわけで、、。
自分は、 もう盲信する目も無い。