私の恩師、桂糞丸師匠は、死にました。
様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。
桂糞丸先生との出逢いは、或る 晴れた日の午後でした。
靴紐が解け、道端で屈み、それを結わいでいたところ、後ろから、背中を踵でおもくそ蹴り上げられ、思わずつんのめり地平面に手を突き伏していた私が後ろを振り返ると、「…お前、邪魔だカス!」そう下目遣いで仰せられ、更に、私の顔面に唾を吐く、クソカツ先生が其処に居られました。私には、唾の軌道が虹のように見えました。
それから、私のことを、まるで汚物でも見るような眼差しで一瞥すると、そのまま何も言わずに立ち去り、せせら笑いながら遠ざかるクソカツ先生の後ろ姿に、私は、心底、痺れてしまい、気がつくと、その後ろ姿を夢中で追い駆けていました。
それからの私の生活は、それまでとは見違えるようでした。
愛を叫んでは愛を殺し、希望を紡いでは希望を穿ち、夢を探しては夢を壊し、正に、サーチ & デストロイな日々でした。
****氏に至っては、「一族もろとも根絶やしにしよーぜ?」と、眼を輝かせながら仰られ、先祖の墓まで荒らしに新潟まで遠征したのも、今となってはいい思い出です。
こんなこともありました。奇犬を強殺しといて何喰わぬ顔して、明後日の方を見やり、ポリスマンに見つかるやいなやそのまんまHOLD UPしてさようなら。あざとく、あざやか過ぎる手口でありました。
毎日が充実していました。
毎日が美しいものでした。
毎日がかけがえのないものでした。
そんな、二人のしあわせな 日々の終わりは、突然やって来ました。
なんだかいつもと違うクソカッちゃんの、鈍曇った表情に、私は、憂いを憶えずにはいられませんでした。
そして、一言、「神々に愛される者は夭逝する。」とだけ、告げられたのです。
長い別れになるかも知れないが、必ず、帰って来る。と云う意味でした。
事実を知ったのは、それから、ずうっと後のことです。
クソカツ死すとも、クソカツ魂は死なず。黄泉の渕から、みなさんの脳内に直戴、怪電波を送り続けています。
私はそれをより判りやすく伝える為のお手伝いをしているだけです。
ほら、そこのあなた!耳を澄ませば、クソカツ先生の唸り声が聴こえるではありませんか?
8月29日 二代目 桂糞丸
【腐った世の中の文学退治...】
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