背後は、表富士ですね。近づくと見上げる感じでひしゃげてますね。
学校行く前から夏山ガイドのバイトやってたりして庭みたい(←言い過ぎじゃね?)
な感じでしたので、山頂からのスキーには3回行きました。
当時は5合目まで車で行けたのが幸いでした。今では厳しいでしょうね。
最初の車ということもあり、そりゃ大事にしてましたし、
白馬、北岳、穂高、剣、八ツ、富士、蓼科・・・どこへでもいっしょに行きました。
でも、エアコン付いてなくて唯一の空調は三角窓ですから、
冬や雨天時は真っ白に曇ってしまうのです。
フロントガラス用のデフォッガーも丸穴ヒーターだけで、小丸分しか前が見えないという
お茶目で、危険で、よく無事だったと、ほっと胸を撫で下ろしています。
気づいた方もおられるでしょうけど、
フェンダーミラーはある日突然というか腐ってというか転げ落ちてしまったので、
パーツ屋で見つけてきたファミリアクーペ用のものを適当に取り付けてます。
ハンドルはいくらパワステじゃないにしてももうどうなってんの?
と言いたくなるくらい重くて、クライミング行った後で腕がパンプした時なんか
もう地獄でした。
ブレーキも今のとじゃ比較にならないくらいで、山の帰りはフェードしない
ように気をつけて運転しないとまじ危険にさらされることに。
前にも書いてますが、電装系は非常に弱く総取っ替えしたんですが、
その時は学校の同級生が整備士免許持ってたので、
手伝ってもらいつつなんとか交換しました。
でもいじってる時は本当に楽しかったです。
世代が違う年上の方たちからは大事にせい!とよく言われました。
癖がありましたが初めてのお車がこの117だったことがその後に
よい?影響を与え、充実したお車ライフを送るきっかけになったかと。
でも奥様に聞くとトンデモナイしろものだったと即答でした。
下の写真は、頂上直下の9合5勺3500m付近でしょうか。
ガス(雲)の中ですね。見えないところは慎重に降ります。
とまぁそんな風に人生の華やかなりし頃の1ページではありますが、
このPA95(丸目量産型の117クーペ)は、いわくつきです。
時効ですから言いますが代金支払い未完了です。
学校のやさすぃい先輩がほとんどスクラップ価格で売ってくれたのです。
2万/tくらいでしょうか。とりあえず手付1万渡して車受け取って
自分で名変行くぞと・・・数日後、完了。
で、残金支払いをと連絡したんですが、繋がらない。
その時すでに日本にはいなくなってて払えずじまい。なぜに?
そのまま今に至っております。
このブログ見つけても決して取り立てには来ないでくださいね。
いや見つけられないですよ。きっと。ハハハ。でもちょっと不安。
当時の利息で考えたら危険ですよね。
なんせジャパンアズナンバーワンの年代ですから。
f-o-q
2月21日、フェアレディZの父として知られ、北米日産自動車の初代社長を務めた
片山豊さんがお亡くなりになりました。105歳でした。
f-o-qのどこかにぽっかりと穴があいた感じです。
以下は今から4年前、2011年の2月
何かに誘われるように片山豊さんの生まれ故郷である
春野町のK'z ROADを走ってきた時の投稿の再掲です。
<(*_ _)>
Kに至る道Ⅲ
f-o-q は聖地(って言い過ぎか)に赴く。
ここは春野町(旧気田村)の王子製紙気田工場跡。
K'zROADの起点となる場所です。
K'zROADとは、
米国自動車殿堂入りしており、ミスターKの愛称で知られる
「Love Cars~Love People!~Love Life 」
「快走」
片山豊さんの100歳を記念して設定された現浜松市春野町にあるドライブコース。
氏は9代目工場長麻生誠之氏を父にもち、この地に生まれる。
車っていいな。と思えるのは「○○の生みの親、□□の父」ってな感じで
人の顔が見えるものが存在するということで、単なる工業製品とは違う、
心の琴線に触れるものが多いってことですよ。
その中でも、片山さんは「ズィーカーの父」と呼ばれ、このモデルの開発・
販売を企画した方です。
氏の考えは、日本という枠におさまりきらない。
一貫して、
「クルマ作りは、すべて、人が基準。
人が乗って、人が運転するのを妨げない造りでなければならない。
だから、動物的な感覚で、クルマを造れ」
と説く。
ズィーカーが一旦途絶えてしまった頃にも
「エンジンは、 1800 cc か 2000 cc で十分。
人間の五感を満足させることができて、これからの時代、そう、アジアの若者も、
経済的に、そして走りに満足させることができる、そういうクルマにしたい」
と復活を語っていた。
その思いは後にZ33が300万円からという価格で販売された事にあらわれている。
現在も多くの自動車イベントへの出席の他「浜松市やらまいか大使」として
市のPR活動等、精力的に活動されている。
昨今の日本車バッシングの際にも車づくりを原点から見直すように熱く語っていた。
驚くべき方である。
101歳ですよ。自分なら・・・と青ざめながらⅥにつづく。
Kに至る道Ⅵ
帰りはK'zROADをゆっくりとぶっ飛ばす
(いちおう気持ちよく走ると言う自分なりの表現)ことに。
コンビニで遅めの朝食にありつくと、春野文化センターの開館時間に。
往路でも立寄ったセンターの駐車場内、天狗広場に設置された天狗面は、
縦8m横6m、鼻の長さは実に4mにも及ぶ日本一大きいもの。
実車がまるでミニカーですな。
さて文化センターには、ミスターKこと片山豊さんの常設展示がある。
常に人々の笑顔が氏のまわりを取り囲んでいる。
うらやましいかぎりである。
ただし○産時代は、氏の考えや行動に対し、
旧態依然とした社員からは、批判が多かったようで、
(お役人体質の会社では有能官吏タイプでないとやっていけませんからね)
追われるように米国に渡ったのは50も過ぎてから。
逆境の中でのズィーカー開発の際の氏の言葉、
「世界から尊敬されるクルマ(○○)を造る」
は、どんな時代でもどんな業種にも当てはまるんじゃないでしょうか。
今のメーカーは、「クルマじゃなく、お金を作っている」と
批判したのが去年のこと100歳でですよ。
とんでもないおじいさんである。
矮小な自分に気づかされ、ちょっと気落ち気味でしたが、
展示の色紙の言葉に目を見張ったですよ。
「快食、快眠、快便で快走」てな感じでしょうか。
まさに人間かくありたいものです。101歳パワーの源ですな。
そういえば f-o-q の恩師にもやたら「くうねるだす」を強調する人いたけど
+α で、動物以上の人間っぽい、いい言葉になるもんだなぁ。
f-o-q
その後103歳まで免許を更新されていたとか。
恐るべき御方である。
ご夫婦合わせて200歳!なんてのもニュースになってましたね。
まさに、素晴らしき哉、人生!だったのではないでしょうか。
K’z ROAD という名の
今日は我が家の淑女殿も涙に濡れているようです。
謹んでお悔やみ申し上げます
f-o-q
先月の事です。
路面電車の軌道を横切った際、厭な感触があったんですよ。
その後、乗入れ部が整備されてなく段差バンバンの店から出る際には
衝撃が伝わる。
なんかやばいと感じつつ帰宅し駐車場へバック・・・おかしい。
パワー養成ステアリングを切る手に超異常な感じが。
すぐさま停止し、スタビライザー、テンションロッドを確認。
エンドのボルトはついてるしブッシュもあるが、と突付いてみると、スカスカ動く。
逆側かも・・・冷や汗が。
暗がりでリフトアップもできんところだし。
すぐにJDSのS原さんへTEL。近くの業者さんを紹介してもらう。
翌日、業者さんと会う前に借りた車で昨日の足跡をトレース。
例の段差前の路上にワッシャーが落ちているのを発見。
ワハハしつこいんだよね。
で、業者さんと確認。テンションロッドが見事に破断してたよ。ガ~ン
まっ昼間なのにお先真っ暗。
とりあえず積車して工場へ。
さてここからは新たな問題が。パーツがない!
S原さんに確認したところ「新品ないよ、ピロにする?」
ピロ化なんてしたらただでさえヤワイボディに更なる負荷が。
「嫌だったらオークションで中古落したら?」
もう、それっきゃないので直ぐさま、ネットで確認。
あった~。74年240Zの解体パーツが・・・。
って古すぎ。40年ものかよ~。
マイ淑女殿もか・・・。
壊れたおかげで普段見えないとこの錆がまんましっかりと見えま~す。
しかし、背に腹はかえられん。
すぐに入札。もう値段のことなど構ってられない。
とはいえ、粘るお方のおかげでドンドン吊り上げられて痛い出費に。
直接工場に送ってもらい、何とか修理ができたという次第です。
がそもそも交換部品も怪しいし。騙し騙し大人しく乗るようにしますよ。
数日後、例の店の前を通ったら、乗入れが綺麗に整備されてるじゃないか。
苦情が多かったに違いない。
おのれ~。弁償しろ!といいたい気分だよ。
とか思いつつ完了の翌々週は、我が家の小僧君とお気楽に
毎年恒例の男闘呼二人旅にGO!
と行っちゃったりしてるわけです。
f-o-q 一部続く。
走り回ってます。
宇宙規模ですよ。
月までの38万kmなんて目じゃない。
目指せ太陽 1億5000万km ! も、もう少し。
ハレー彗星の尾の長さは最大で1億2000万km らしいので
まぁそれっくらいは走ったんでしょうね。きっと。
脳内ですが f-o-q