ジャズとボサノヴァの日々

Days of Jazz and Bossa Nova

モノクロの記憶 フランソワーズ・アルディのLe Premier Bonheur Du Jour

2015-04-11 22:00:00 | Françoise Hardy
Le Premier Bonheur Du Jour performed by Françoise Hardy

筆者が幼少時代を過ごした1960年代の記憶の殆どが、何故かモノクロだということに疑問に抱いて生きて来た。

新聞は勿論、雑誌の殆どが白黒印刷だったこと、そしてテレビ放送がモノクロだったことが記憶をモノクロ化している大きな理由のであることは間違いがない。加えて街並みそのものに色彩が乏しかったこと、そして街を闊歩する人々の服装も単調な色合いだったことも影響しているだろう。

何よりも当時の自分や家族を撮影した写真がモノクロだから、記憶がモノクロに塗り替えられていった可能性も高い。私にとって60年代はモノクロの時代だ。


1966年にフランソワーズ・アルディが出演して"Le Premier Bonheur Du Jour"をはにかみながら歌っているテレビ映像を見ていたら、モノクロの時代の感覚が蘇ってきた。"一日の最初の幸せ"と名付けられた、わずか2分にも満たないこの曲は、全くフランス語が分からない遠い極東の少年少女を魅了した。戦争ばっかりしているアメリカより、フランスはずっと格好良かった。日本にも多数のフランス歌手が紹介されたが、フランソワーズ・アルディは可憐でありながら知的で、文系少年の憧れだった。

半世紀を経てもなお、瑞々しさを失わない"Le Premier Bonheur Du Jour"は、世界中のアーティストに歌い継がれているが、フランソワーズが歌うと楽曲の良さが俄然生きてくる。この映像を観てモノクロの記憶の意味がすこしづつ分かってきた。

我々は色彩を記憶するのではなく、感動や驚きというエモーションを記憶に留めるのだ。エモーションに伴って記憶の引き出しに仕舞い込まれる色彩は、時を経て褪せていくに違いない。一方でモノクロで覚えた感動やあこがれは原色(モノクロ)のまま強烈に生き続けるのだ。

筆者にとって"Le Premier Bonheur Du Jour"はモノクロの時代の宝物だ。



一日の最初の幸せ(筆者訳)

一日の最初の幸せ
それは太陽の光を
あなたの手が包み込み
私の肩を撫でてくれること

それは、潮風
海辺に吹いている
それはさえずる鳥の声
イチジクの木の枝で

一日の最初の悲しみ
それはドアが閉まること
車が走り去り
やがて沈黙が訪れる

だけどあなたはすぐに戻ってくる
そして、私の人生がまた始まる
一日の最後の幸せ
それはランプが消えること



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