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スイスアルプスで家族の記録

2021-11-06 05:06:58 | 日記
スイスアルプスで家族の記録を見つけるのを助けてくれた奇跡
フィル・テリビリニ
筆者はアメリカ合衆国カリフォルニア州在住です。
わたしの家族は,父方のスイスの先祖についてほとんど知りませんでした。しかし,天の御父の導きの御手のおかげで,空欄を埋めることができました。



10代のころ自分の家系図をながめながら,父方の家系図はどのように空欄が埋まっていくのだろうかと思ったことを覚えています。わたしの父,ジョセフ・テリビリニはアメリカ人第1世です。彼の父親ジウセッペは,わたしたちがよく知らないスイスアルプスの小さな村からアメリカへ移住して来ました。自分の家族歴史を進展させたいと思っていたので,直面していた壁をどのように越えたらよいか分かるように助けを求めてよく祈っていました。

しかし,天の御父はこれらの壁を御存じでした。そして,わたしの伝道の召しを皮切りに,父方の系図を埋める助けとなるイタリアからアラバマ州に至る6つの奇跡を通して,御父が導いてくださるのを感じました。

奇跡 その1

わたしはずっと,先祖がかつて住んでいたスイスで伝道することになるだろうという思いを持っていました。そのため,1970年にイタリアで奉仕する召しを受けたときは驚きましたが,わくわくしました。言語訓練伝道部(現在の宣教師訓練センター)で,わたしの先祖が住んでいたスイス南部は,自分の伝道部のエリアだと分かりました。天の御父がその特定の場所にわたしを召されたのには理由があると分かりました。

奇跡 その2

伝道中に,同僚とわたしはスイス南部を含むエリアのゾーンリーダーの割り当てを受けましたが,車で伝道するエリアでした。

わたしたちは先祖の出身地であるヴェルジェレットという村を訪れて,わたしのいとこの一人を訪ねました。彼は村を案内し,地元の教会の神父を紹介してくれました。そしてお願いすると,神父はその地域の重要記録の本を見せてくれました。それから帰りましたが,その後の伝道中に大きくなっていく種がわたしの心に植えられました。


奇跡 その3


伝道の残りがあと1か月になって,帰還する前に先祖の記録を見つけるために行動を起こす必要があると感じました。何か自分にできることはないか祈ると,数か月前に見せてもらった記録をコピーしてもらう必要がある,とはっきりとした御霊の促しを感じました。わたしは伝道部会長にスイスにある先祖の出身の村に戻る必要があると感じていることと,その理由を説明しました。その村は87マイル(140km)も離れていましたが,伝道部会長はそこに行く許可をくれました。

奇跡 その4

曲がりくねった山道を通って,ヴェルジェレット村の集落に着いたのはもう夕暮れ時でした。わたしたちは村の重要拠点となっているカトリック教会に車を停めました。同僚とわたしは,通りの反対側にある,ろうそくが灯されている墓地が気になりました。

墓地に入ると,今まで感じたことのないような御霊の導きを強く感じました。その気持ちと新鮮なアルプスの空気が心に刻んだ印象は決して忘れることはありません。その墓地では,一つおきにわたしの名字が墓石に刻まれていました。わたしの祖父の墓石も見つけましたが,骨折した患者が彼のところに治療を受けに来たと記されていました。

わたしたちは教会に戻って,あの神父を探しました。そこには年配の男性がいて,今日は「Il Giorno dei Morti」つまり「死者の日」という祭日(それで墓地にろうそくが灯してあったのです)だと教えてくれました。そして,神父は近隣の村でミサを行っているため,2時間ほどで戻って来ると言いました。

同僚とわたしは待ちましたが,神父が戻って来たときに,数か月前に会ったことを伝えて教会の重要記録をもう一度見せてもらえるか尋ねました。

神父は同意してくれました。


奇跡 その5

神父は何百年もたっている古い本の入った箱を持って来ました。神父に,わたしたちの教会では,170マイル(274km)離れたイタリアのパルマで古い教会の記録をマイクロフィルムに記録保存していることを伝え,複写して保存するために数週間この記録を借りることはできないか尋ねました。

神父は再び同意してくれました。

わたしは驚きました。 村を出たとき,わたしたはたった今起こったことについて驚きを隠せず,気が変わった神父が車を追いかけてきてはいないかと,車のバックミラーを確認したほどです。2週間後に,わたしたちは約束どおり記録を返しました。

奇跡 その6

その記録はラテン語で書かれていて,装飾文字が用いられているうえに,劣化していたため,解読するのは困難でした。しかし,ほんの数年前,ファミリーサーチ上で,ヴェルジェレット村の何百もの記録が先祖にリンクされていることに気がつきました。3代か4代までしかさかのぼれなかった系図が,7代から9代まで広がったのです!

教会員ではないアラバマ州の系図専門家が全世界におよぶ家系図の一部をシェアしてくれたことが分かりました。彼はわたしがイタリアで複製してマイクロフィルムに保存した本の記録にアクセスして,それを解読してファミリーサーチにアップロードしたのです。この男性はほんとうにすごい人です。これまで何度か協力して作業を行ってきました。彼は,記録にある名前や他の情報をアップロードするのは,教会がファミリーサーチ上で多くの記録を利用できるようにしてくれている恩返しだと説明しました。

おかげで今では,父方の扇形系図チャートも名前でいっぱいになっています。そして,彼らの神殿の業を行う祝福にも恵まれました。

あの時,カトリックの神父が,他の宗派の若いアメリカ人宣教師に,貴重な重要記録を複製するために国外に持ち出すことをなぜ許可してくれたのかしばしば不思議に思ったものです。先祖がわたしのために祈っていたのでしょうか。あるいは神父の心が和らぐように祈ってくれたのでしょうか。

それは分かりませんが,恐らく両方でしょう。しかし,わたしたちが天の御父に助けを求めるときに,奇跡をも起こすことがおできになるということを知っています。デール・G・レンランド長老が約束したように,家族歴史の業は,幕の両側の人々のために多くの祝福となります。「神はわたしたちを強くし,助け,支えてくださいます。また,きわめて深い苦悩を聖別してくださいます。わたしたちが家族歴史を集めて,先祖のために神殿に参入するとき,神は,とばりの両側で同時にこれらの約束された祝福の多くを成就してくださいます。」主がこの業を指揮しておられるので,あなたが主を信頼して,イスラエルの集合に携わるとき,主はあなたと家族に奇跡をもたらすことがおできになるのです。

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家族を一つに

探すのが実に困難な名前は,実在する人の名前であることを忘れないでください。皆さんはその人たちのおかげでこの世に存在し,いつか霊界で再会するのです。……先祖の心はあなたと結ばれています。彼らの望みは皆さんの手にあります。先祖の探求を続けると決意するとき,皆さんは自分の能力を超えた力を得ます。

大管長会第一顧問 ヘンリー・B・アイリング管長「わたしのもとに来なさい」『リアホナ』2005年5月号,80

※本日もお読みいただいてありがとうございます。

このお話は末日聖徒イエス・キリスト教会リアホナ2021年7月号からご紹介しました。

良い1日をお祈りします。

「わたしがあなたがたを導いて行く」

2021-11-06 04:53:43 | 日記
わたしに従ってきなさい
教義と聖約77-80章

「わたしがあなたがたを導いて行く」
ミルトン・カマルゴ兄弟

中央日曜学校会長会第一顧問
わたしたちは霊的には子供かもしれませんが,主を信頼するなら,主がわたしたちを導いてくださいます。



教義と聖約第78章17-18節で,救い主は次のように言っておられます。

「まことに,まことに,わたしはあなたがたに言う。あなたがたは幼い子供であり,父がどれほどの大いなる祝福を御手の中に持っていて,あなたがたのために備えておられるかをまだ理解していない。

あなたがたは,今はすべてのことに耐えることはできない。しかし,元気を出しなさい。わたしがあなたがたを導いて行くからである。王国はあなたがたのものであり,その祝福もあなたがたのものであり,また永遠の富もあなたがたのものである。」

わたしたちは皆,人生における経験について考えるとき,必ずや,主が自分を導いてくださったときのことを思い出すことでしょう。

ある宣教師の信仰

わたしは,主が何人かの人たちを導いてくださったときのことを覚えています。わたしはそのとき,ブラジル・ポルトアレグレ南伝道部で伝道部会長を務めていました。宣教師の一人に口蓋裂という疾患があり,彼はその治療を受けたことがありませんでした。彼が話をすると,空気が口の上から鼻に抜けていきました。ほかの人たちが彼の言葉を理解するのは困難でした。

この若い長老はわたしに,自分の問題について祈ったことを話してくれました。答えを見いだすのをわたしが助けてくれると御霊がささやいたのだと,彼は言いました。その純粋で確固とした信仰に,わたしは霊が鼓舞されました。わたしは神に頼り,解決策を見つけられるよう助けを求めました。

簡単な手術で問題を解決することができるのですが,手術を受けるまでのプロセスは簡単ではありません。もし私費で手術を受けるなら,この宣教師の家族にとってはあまりに高額になります。一方,公の医療制度を使えば,何度も予約が必要になり,彼の伝道の残りの期間を使い果たしてしまうことになりそうでした。


妻の信仰

成し遂げるのが難しい使命にぶつかる度に,わたしは妻の信仰と助けに頼ります。わたしはこの宣教師が置かれた難しい状況を妻に説明し,地元の公立病院に相談してほしいと頼みました。どうにかして費用をかけず,無理のない期間で手術ができる方法はないものだろうか。

助けを求めて祈った後,妻は病院へ行きました。妻は受付と話をするために長い列に並びました。列が進むにつれ,前に並んでいる人たちの相談がどのように処理されているかが聞こえてきました。たいていの人は,半年後,時にはそれ以上後に予約を取ってからもう一度来るように言われていました。

それではわたしたちの宣教師にとっては長すぎると,妻には分かっていました。妻は促しを感じ,列を離れて別のドアを入りました。そこで妻は,別の職員を見つけました。妻は自分が何者であるかを伝え,宣教師が必要としている内容を説明しました。




職員は妻に,その日病院の別の階で手術をしている外科医と直接話をするよう指示しました。妻は外科医に,宣教師がどのようなことをしているか,そしてもし口蓋裂の手術を受けることができたら,この宣教師にとってどのような祝福となるかを説明しました。

外科医は幾つか質問をしました。その後,こう言ったのです。「2週間後に手術の予定を入れるということでいいですか。」外科医は病院の用紙に必要事項を書き入れました。そこには,この手術は地域社会の利益になる,自分はこの手術に個人的に興味がある,という説明が書かれていました。医師はその用紙を助手に渡し,予定を入れておくよう言いました。

10日後,外科医は宣教師の手術を行いました。ほどなく伝道地に戻ったこの長老はとても元気で,はっきりとした声で話をしました。新たな熱意を胸に,主が自分を導いてくださったことを認めていました。

この宣教師の経験は,御父がわたしたちの祈りに耳を傾け,手を取ってわたしたちを導いてくださるという証です。

神がおられなければ,わたしたちは取るに足りないものである

霊的に言えば,わたしたちは幼い子供のようなものです。天の御父がわたしたちのために用意してくださっている大いなる祝福を,わたしたちは理解していません。肉体的に成長する中で,わたしたちは自分たちの生活に影響を及ぼしている地上のもろもろの法則を徐々に理解していきます。しかしわたしたちは決して地上の知識を,天の御父がわたしたちのために備えておられる大いなる祝福を理解することよりも大切にすべきではありません。

旧約聖書の偉大な預言者モーセは,ある経験を通じて,自分がほんとうに知っていることがどれほどわずかであるかを思い知りました。モーセは,「世界とその果てと,現在いる人の子らと,過去に創造された人の子らのすべてを見……,これらのことに……ひどく驚くとともに,不思議に思〔い〕」ました。それから,神は去って行かれました。モーセは一人残されると,地に倒れました。


「さて,多くの時間が過ぎて,モーセは人としての本来の力を再び取り戻し,独り言を言った。『今これで,わたしは,人は取るに足りないものであることが分かった。このことは,思ってもみないことだった。』」(モーセ1:8-10)

もし主が,わたしたちが主の力を受けて行えることをすべて見せてくださったとしたら,わたしたちは圧倒されてしまうことでしょう。モーセと同じように,神がおられなければ自分は取るに足りないものであることを思い知るでしょう。

一歩ずつ

しかし,主はわたしたちを圧倒するのではなく,一歩一歩導いてくださいます。そのおかげでわたしたちは,自分だけではできないことを成し遂げることができるのです。

「わが思いは,あなたがたの思いとは異なり,わが道は,あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。

天が地よりも高いように,わが道は,あなたがたの道よりも高く,わが思いは,あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:8-9)

主が教義と聖約第78章18節で言っておられるとおり,わたしたちは「今はすべてのことに耐えることはでき」ません。わたしたちはまだ,主が理解しておられることをすべて理解することはできません。では,わたしたちは何をすべきなのでしょうか。主は次のようにこたえておられます。「元気を出しなさい!」

元気を出して聖約の道を歩むということには,幼子のように謙遜であることが含まれます。わたしたちは進んで御父から教えを受け,御父に導いていただかなければなりません(教義と聖約112:10参照)。人生は非常に複雑で,わたしたちには旅のあらゆる細部をコントロールすることはとうていできません。また,自分や自分の大切な人たちがこの地上で経験するすべてのことを理解することもできません。

しかし,主を信頼し,主に手を取って導いていただくとき,わたしたちは主の王国において,自分たちにはとうてい想像が及ばないほどのことを成し遂げることができます。天の御父の子供たちの人生に,さらに祝福をもたらせるようになります。自分たちの人生に現されている救い主の御手に,さらに気づけるようになります。主の無限の憐れみと愛に,さらに感謝の気持ちを感じられるようになります。

祝福は皆さんのものです

最後に,主は次のことを思い起こさせることにより,わたしたちを導いてくださいます。「王国はあなたがたのものであり,その祝福もあなたがたのものであり,また永遠の富もあなたがたのものである。」(教義と聖約78:18)

先ほどの宣教師の話に戻りましょう。彼は助けを求めるよう導かれ,祝福されて手術を受け,今でははっきりと意思の疎通ができるようになりました。そして彼は,バプテスマを含め,福音とその祝福を受ける準備ができている人々へと導かれました。わたしはまた,妻の模範についても考えます。主の導きを受けながら,妻の証は強くなっていきました。そして主は天の窓を開き,祝福を注いでくださいました。

わたしは純粋で力強い信仰に満ちたこの若い宣教師と一緒に働くことができたことを感謝しています。そしてわたしは,主に導いていただくことの模範を示してくれる妻と永遠にともに住めることを感謝しています。

ほんとうに王国と祝福はわたしたちのものです。

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※このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会リアホナ2021年7月号からご紹介しました。

創世記 2:18また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

伴侶が必要なことの、大切さが分かります。

今日も良い1日をお祈りします。