人生の旅路に喜びを見いだす
本日もお読みいただいて、ありがとうございます。
父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。
“Father, forgive them; for they know not what they do.”
「父啊,赦免他們;因為他們所做的,他們不曉得。」
トーマス・S・モンソン大管長
大管長
この人生を大切にしましょう。人生の旅路に喜びを見いだし,友と家族に愛を示しましょう。
愛する兄弟姉妹,今朝,皆さんの前に立ち,謙虚な気持ちになっています。わたしの思いを占めてきた事柄,皆さんに分かち合うべきだと心に感じてきた事柄を話すに当たり,わたしのために皆さんの信仰と祈りをお願いします。
まず,この地上で決して避けられないこと,すなわち,変化するということについて話します。だれでも次のようなことわざを聞いたことがあるでしょう。「変化ほど常に変わらずあるものはない。」
人は一生を通じて,変化に対処しなければなりません。喜ばしい変化も,そうでない変化もあります。愛する人の死,予測しなかった病気,大切にしていたものの喪失など,人生には突然の変化もあります。しかし,ほとんどの変化は少しずつゆっくりと起こるのです。
この大会はわたしが十二使徒に召されてから45年目の大会に当たります。当時,なりたての使徒として,十二使徒定員会と大管長会の14人の傑出した先輩たちを見上げました。一人,また一人と,彼らは天の故郷へ旅立ちました。ヒンクレー大管長が8か月前に亡くなったとき,わたしは自分がいちばん古い使徒になったことを悟りました。45年以上の歳月の間に起きた変化は緩やかでしたが,今振り返ると途方もなく大きなものに思えます。
今週,モンソン姉妹とわたしは60回目の結婚記念日を祝います。新婚時代を思い返すと,当時と今のわたしたちの生活が大きく変化したことに気づきます。結婚生活を始めた日に傍らにいてくれた,それぞれの愛する両親は亡くなりました。何年にもわたって生活を喜びで満たしてくれた3人の子供は,成長して自分たちの家庭を築きました。孫の大半は成長し,今では4人のひ孫がいます。
時々刻々,わたしたちは,かつていたところから,今いるところへと移って来たのです。すべての人の人生は,似たような変化をたどります。わたしが人生で経験する変化と皆さんが経験する変化を比べると,ただその細部が違っているにすぎません。時は決して立ち止まることなく絶え間なく進み,それに伴って,変化が訪れるのです。
死すべき世は,一人一人に与えられた唯一無二の機会です。長く生きれば生きるほど,一生の短さを悟ります。様々な機会が訪れては去ります。地上でのこの短い人生で得られる教訓の中で,最も重要な教訓の一つは,大切なこととそうでないことを区別するよう教えてくれる教訓であると,わたしは信じています。皆さんに切にお願いします。したいことを全部するだけの時間が与えられるような,非現実的な架空の将来のためにあれこれ計画している間に,人生で最も大切な事柄をやり過ごしてしまわないようにしてください。そうではなく,今,人生に喜びを見いだしてください。
わたしは観劇が好きで,妻フランシスから「観劇中毒」と呼ばれるほどです。様々なミュージカルを大いに楽しんできましたが,中でも大好きな作品の一つは,アメリカ人作家メレディス・ウィルソンが書いた『ザ・ミュージックマン』(The Music Man)です。主要な登場人物の一人,ハロルド・ヒル教授の警告的なセリフを紹介します。「明日のことばかり考えていると,気づいたときには,空っぽの昨日ばかりがたまっていた,ということになりますよ。」
兄弟姉妹の皆さん,今日きょう何かをしなければ,明日になって思い起こす価値のある事柄は何もないのです。
以前,この人生哲学の具体例を話したことがありますが,もう一度伝える価値があると思いますので,何年も前にアーサー・ゴードンがある全国向けの雑誌に投稿した話を引用します。
「わたしが13歳,弟が10歳くらいのときのことです。父がサーカスに連れて行くと約束してくれました。しかし昼どきになって電話が入り,急な仕事で,父は町に行かなくてはならなくなりました。わたしと兄は,サーカスには行けなくなったと言われてがっかりすることになるだろう,と心の準備をしました。しかし父は〔受話器に向かって〕こう言ったのです。『町へは行けません。後回しにせねばなりません。
テーブルに戻って来た父に,母がほほえんで言いました。『サーカスはまたいつか来るでしょ。』
父は答えました。『そうだね。でも,子供時代は二度と戻って来ないんだよ。』」
成長し親もとを離れた子供を持つ皆さんの多くは,時々寂しさに襲われ,子供が幼かったあのころをもっと深く味わっておけばよかったと悔やむことがあることでしょう。もちろん,昔に戻ることはできません。時は進むのみです。過去を思い続けるよりも,今日,今ここでできることに最善を尽くすべきです。将来を楽しい思い出で満たすためにできることをすべて行うのです。
今,子育て中の皆さんは,きれいに磨いたばかりの家具に付いた小さな指紋や,家中に散らかったおもちゃ,畳んだ端から崩されていく山のような洗濯物,こういった光景があっという間になくなってしまい,意外にもそのことに大きな寂しさを感じるようになるでしょう。そのことを心に留めてください。
ストレスというものはどんな状況にもあります。最善を尽くして対処しましょう。しかし,ストレスのせいで,最も大切なものをないがしろにしてはなりません。最も大切なものとは,たいていは周りの人のことです。わたしたちは,「自分が相手をどれほど愛しているかを,相手は十分知っているはずだ」と思い込みがちですが,当然そうだと決めてかかってはいけません。知らせなければならないのです。ウィリアム・シェークスピアはこう書いています。「愛情を示さぬ方かたは,愛さぬのと同じこと。」優しい言葉をかけ,愛を示したことで後悔することは決してありません。そのような行為が,最も大切な人との関係から除外されるなら,いつか後悔する日が訪れます。
久しく連絡を取り合っていない友に手紙を送り,子供を抱き締め,親を抱き締め,もっと「愛しているよ」と言い,いつも感謝を伝えましょう。愛すべき人よりも,解決すべき問題の方を重要視しないでください。友は遠くへ去り,子供は成長し,愛する人は次の世へ逝きます。彼らの姿が消え,「もし今なら」「あのときああしていれば」と思うまでは,その人がいるのは当然のことだと思ってしまいがちです。作家のハリエット・ビーチャー・ストーは言いました。「墓前に流された哀絶の涙には,伝えなかった言葉や,やり残した行いが込められている。」
1960年代,ベトナム戦争中に,教会員の兵士ジェイ・ヘスは,北ベトナムで銃弾を受けました。その後の2年間,家族は彼が死んだのか生きているのか分かりませんでした。実は,彼はハノイで捕虜として収容されていたのです。やっとのことで手紙を書く許可が出ましたが,25単語以内という制限がありました。同じ状況に置かれたら,皆さんやわたしは家族に何を伝えるでしょうか。2年以上も会っておらず,再会できるかどうかも分かりません。彼からだと認識でき,家族にとって教訓となる言葉を送りたいと思ったヘス兄弟はこう書きました。「大切なこと。神殿結婚,伝道,大学,前進,目標,家族の歴史を記録に残すこと,年2回の写真撮影。」
この人生を大切にしましょう。人生の旅路に喜びを見いだし,友と家族に愛を示しましょう。いつの日か,明日は底を突くのですから。
新約聖書のヨハネによる福音書,第13章34節で,主は勧告しておられます。「わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互たがいに愛し合いなさい。」
皆さんの中には,ソーントン・ワイルダーの古い戯曲『わが町』(Our Town)をよく知っている人もいるでしょう。そして,物語の舞台となった町グローバーズ・コーナーズを思い出せるでしょう。物語の中で,エミリー・ウェッブは難産のために亡くなります。そして4歳の息子とともに残された若い夫ジョージの孤独と悲しみが描かれます。しかし,エミリーは安らかに世を去ることを望まず,再び人生の喜びを経験したいと思いました。彼女は地上に戻って,もう一度12歳の誕生日を生きることを許されます。最初は若返れてうれしいと思いましたが,喜びはすぐに色あせます。将来起こることを知っていたエミリーには,その日を喜ぶことができません。生きている間に人生の意義とすばらしさにまったく気づけなかったことは,悔やんでも悔やみ切れませんでした。安息の場所に帰る前にエミリーは言います。「人は,自分が生きている一刻一刻に,人生の貴さをかみしめているかしら。」
人生で何が最も大切かを悟ると,受けている祝福に対する感謝の念に満たされます。
ある有名な作家が言いました。「豊かさと貧しさは,並行する現実として人生に同時に存在している。心の中にあるどちらの庭に目を向けるかは,常に本人が意識して選ぶのだ。……人生に足りないものにとらわれないという選択をし,例えば,愛,健康,家族,友人,仕事,美しい自然,〔幸福〕をもたらす事柄を追求することなど,豊かにあるものに目を向けて感謝するなら,自分の幻想が作り出した荒れ地は消え去り,地上の天国を味わうことができる。」
教義と聖約第88章33節にはこうあります。「ある人に贈り物が与えられても,彼がそれを受け取らなければ,それは彼にとって何の益があるだろうか。見よ,彼は与えられるものを喜ばず,その贈り物の贈り主をも喜ばない。」
古代ローマの哲学者ホラティウスは勧告しています。「神がどのような時代を下さろうと喜んで受けよ。喜ぶことを来る年も来る年も先送りするな。そうすれば,たとえどのような状況に置かれようと,幸せな人生だったと言えるようになる。」
何年も前に,ボーグヒルド・ダールの話に感動しました。1890年ミネソタ州でノルウェー出身の両親から生まれ,幼少期から重度の視覚障がいに苦しみました。ハンディキャップがあるにもかかわらず普通の生活を送りたいと強く願った彼女は,固い決意で努力し,自分が取り組んだほとんどすべての分野で成功を収めました。障がいが重すぎるので無理だと言う教育者たちの忠告を聞かずに,彼女は大学に進み,ミネソタ大学から学士号を取得しました。その後コロンビア大学とオスロー大学で学びました。結局は,ミネソタ西部とノースダコタで8つの学校の校長を務めました。
17冊の著作のうちの1冊で,次のように書いています。「見える方の左目には深い傷があって,視界が遮られるので,何を見るにも,その狭い透き間から見ている感じでした。本を読むときには,本を顔に近づけて,目を思い切り左側に寄せるようにしなければなりませんでした。」
1943年,すでに50歳を超えていた彼女に奇跡が起こりました。医療技術の画期的な進歩により,長年奪われていた視力がかなり回復したのです。新しい,胸躍る世界が開けました。飛ぶ鳥や,流し台で光を受けて輝く泡,毎晩見る月の満ち欠けなど,だれもが当たり前だと考えるような小さなことを見てとても喜びました。ある著述をこう締めくくっています。「愛する天のお父様,あなたに感謝します。心から感謝します。」
ボーグヒルド・ダールは,視力が回復する前も後も,受けた祝福への感謝に満たされていました。
92歳で亡くなる2年前の1982年,最後の著述が出版されました。タイトルは『生涯幸せ』(Happy All My Life)です。彼女には感謝の心があったので,試練の中にあっても祝福を見いだし,豊かに生きることができたのです。
新約聖書のテサロニケ人への第一の手紙第5章18節で,使徒パウロはこう述べています。「すべての事について,感謝しなさい。これが,……神があなたがたに求めておられることである。」
重い皮膚病を患った10人の人々の話を思い出してください。
「そして,〔イエスは〕ある村にはいられると,重い皮膚病にかかった十人の人に出会われたが,彼らは遠くの方で立ちとどまり,声を張りあげて,『イエスさま,わたしたちをあわれんでください』と言った。
イエスは彼らをごらんになって,『祭司たちのところに行って,からだを見せなさい』と言われた。そして,行く途中で彼らはきよめられた。
そのうちのひとりは,自分がいやされたことを知り,大声で神をほめたたえながら帰ってきて,イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。
イエスは彼にむかって言われた,『きよめられたのは,十人ではなかったか。ほかの九人は,どこにいるのか。
神をほめたたえるために帰ってきたものは,この他国人のほかにはいないのか。』」
主は預言者ジョセフ・スミスを通して与えた啓示で,こうおっしゃいました。「すべてのことの中に神の手を認めない者……のほかに,人はどのようなことについても神を怒らせることはない,すなわち,ほかのどのような人に向かっても神の激しい怒りは燃えない。」わたしたちが天の御父に感謝する者の一人でいられますように。感謝しないことが深刻な罪なら,感謝は最も崇高な徳の一つに数えられるでしょう。
人生に変化が訪れることは避けられませんが,感謝の心を持ち,最も大切な事柄で一日一日をできる限り満たせますように。大切な人たちを大切にし,愛を言葉と行いで表せますように。
最後に,わたしたち皆が,主なる救い主イエス・キリストに感謝を表せるよう祈ります。主の栄えある福音は「人はどこから来て,なぜここにいて,死ぬとわたしの霊はどこに行くのか」という人生の難題に答えてくれます。
主は祈り方を教え,仕え方を教え,生き方を教えてくださいました。主の生涯は愛の遺産です。病人を癒いやし,虐げられた人を引き上げ,罪人を救われました。
お独りになられる時が来ました。一部の弟子は主を疑いました。裏切る者もいました。ローマの兵士にわきを刺され,怒り狂った群衆に命を奪われても,ゴルゴタの丘には憐あわれみの言葉がこだましました。「父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。」
それより前に,主は,恐らく地上での使命の極致を思い浮かべながら,こう嘆かれました。「きつねには穴があり,空の鳥には巣がある。しかし,人の子にはまくらする所がない。」「客間には……余地がなかった」という言葉だけが主に向けられた唯一の拒絶の言葉ではなく,それは始まりにすぎませんでした。それでも主は皆さんとわたしに主を受け入れるよう招いておられます。「見よ,わたしは戸の外に立って,たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら,わたしはその中にはいって彼と食を共にし,彼もまたわたしと食を共にするであろう。」
悲哀を知っているこの悲しみの人,この栄光の王,この万軍の主はどなただったのでしょう。この御方こそ,わたしたちの主,救い主,神の御子,救いの源であられます。この御方は「わたしに従ってきなさい」と招き,「あなたも行って同じようにしなさい」と教え,「わたしの戒めを守り……なさい」と嘆願しておられます。
主について行き,主の模範に倣い,主の御言葉みことばに従いましょう。そうしながら,感謝という神聖な贈り物を主にささげましょう。
兄弟姉妹の皆さん,人生の変化を受け入れ,何が最も大切かを悟り, 常に感謝を表し,そのようにして旅路に喜びを見いだせますように,心から祈ります。イエス・キリストの御名みなにより,アーメン。
本日もお読みいただいて、ありがとうございます。
このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2008年10月の総大会からご紹介しました。
赤字青字は、追加しています。
父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。
“Father, forgive them; for they know not what they do.”
「父啊,赦免他們;因為他們所做的,他們不曉得。」
喜びの1日になりますように、今日も頑張りましょう。