イエス・キリストの福音をご紹介します。

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クリスマスに救い主の愛を分かち合う

2021-12-14 21:38:39 | 日記


イラスト/ジュリー・ロジャース
教会が主催した2016年の「Light The World—光となりましょう」クリスマスキャンペーンは,わたしにとってわくわくする体験でした。毎日の課題を達成するのが楽しく,特に,5日目のテーマ「主は病の人を癒された」を心待ちにしていました。

その日,仕事が終わると,わたしは祖父母に会うつもりで薄暗い街の通りを歩いていました。とてもいい気分でした。クリスマスの時季で,辺りはどこも美しく輝いていました。寄付を募る鐘の音が鳴り響いていました。路面電車の乗り場に近づくと,鐘の音は,鐘を鳴らす人を大声でどなりつけるホームレスの女性の声にかき消されてしまいました。

「あんたは偽者だ!」と彼女は叫んでいました。「あたしは空腹でこごえてるっていうのに,あんたは寄付を独り占めしてる。あんたは偽者だ。」

たいていの人は彼女には目もくれず,鐘を鳴らす人も鐘を鳴らし続けました。わたしもヘッドホンをつけましたが,それでもその女性が叫び続ける声が聞こえました。「あんたは偽者だ。おなかがすいたよ。寒いよ」と。

わたしはポケットに20ドル札が入っていることを思い出し,その女性にあげようかなと思いました。「だめだ。だれかにあげるとしても,感じのいい人にあげるべきだ。」そう考えました。そのとき,御霊がその日の課題と,自分がどなたのようになろうと努力しているのかを思い出させてくださいました。イエスは王の王であられたのに,最も弱い立場の人々に奉仕なさったのです。わたしは何をするべきか分かりました。

その女性に向かって歩いて行くと,女性は叫ぶのをやめ,閉じた目から涙をこぼしていました。わたしはポケットから20ドル札を取り出すと,彼女に渡しました。

「大変な一日だったのですか」と聞いてみました。

わたしを見上げると,彼女は「まぁね」と答えました。

「お気の毒に。」そう言って彼女を両腕で抱き寄せると,路面電車が来るまで,彼女はわたしの肩に寄りかかって泣きました。

そして別れを告げるとき,「ありがとう」と言ってくれました。「お金のことだけじゃない。ハグしてくれてありがとう。ハグが必要だったんだ。」

通りで知らない人をハグすることはわたしの予定になかったことですが,イエスならきっとそうされたと思います。主がされたであろう方法で奉仕する機会を主が下さったことに感謝します。イエスは病人や,貧しい人,助けの必要な人をお助けになりました。わたしも同じようにできるのです。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2017年12月号のリアホナから、ご紹介しました。
赤字は、追加しています。
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イエスは病人や,貧しい人,助けの必要な人をお助けになりました。わたしも同じようにできるのです。

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Jesus helped the sick, the poor, and the needy. So can I.

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耶穌會幫助病人、窮人和有需要的人,我也可以。

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本日もお読みいただいてありがとうございます。
勇気のある女性でしたね。
女性は、生まれながら天使のような特質をもっていますね。

いと高きところでは,神に栄光があるように

2021-12-14 04:58:03 | 日記
主とともに働くとき—つまり,主から命じられたことを行い,周りの人を元気づけるとき—わたしたちは主が生きていてわたしたちを愛しておられることを証しているのです。


キリストの降誕」N・C・ワイエス画
ユダヤのベツレヘムでイエス・キリストがお生まれになる700年前に,預言者イザヤは宣言しました。「見よ,おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。」(イザヤ7:14)

救い主の降誕の125年前に,ベニヤミン王はこう預言しています。「この御方は,イエス・キリスト,神の御子,天地の父,時の初めからの万物の創造主と呼ばれ,母はマリヤと呼ばれる。」(モーサヤ3:8)

イエスがみどりごとしてお生まれになる前日に,ニーファイの息子ニーファイは,「明日,わたしは世に来る」と言われる声を聞きました(3ニーファイ1:13)。

翌日,海を越えたはるかかなたの地で,キリストがみどりごとしてお生まれになりました。母親のマリヤが,生まれたばかりのわが子,肉における御父の独り子をまじまじと見詰めたことは間違いありません。

ルカが述べているように,ベツレヘム周辺のユダヤの丘で,羊飼いが野宿していました(ルカ2:8参照)。この羊飼いたちは,みどりごのキリストについて証を述べることになる「正しい聖なる人々」でした(アルマ13:26参照)。

「すると主の御使が現れ,主の栄光が彼らをめぐり照したので,彼らは非常に恐れた。

御使は言った,『恐れるな。見よ,すべての民に与えられる大きな喜びを,あなたがたに伝える。

きょうダビデの町に,あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。……

するとたちまち,おびただしい天の軍勢が現れ,御使と一緒になって神をさんびして言った,

『いと高きところでは,神に栄光があるように,地の上では,み心にかなう人々に平和があるように。』」(ルカ2:9-11,13-14)

ユダヤの地のその情景を思い浮かべてください。空には星が一つ燦然と輝き,天からコーラスが響き渡るのですから,これが特異な出来事であることは明らかです。羊飼いたちは「急いで」行って(ルカ2:16),飼い葉おけに寝かされたみどりごにまみえました。その後,彼らは見聞きしたことを「人々に伝えた」のです(ルカ2:17)。

毎年クリスマスになると,わたしたちは,この羊飼いの証に自分の証を加えます。イエス・キリストは文字どおり生ける神の御子であられ,わたしたちが「聖地」と呼ぶ,地の片隅に降誕されたという証です。

羊飼いたちは敬虔な思いで家畜小屋に行くと,王の王を拝しました。わたしたちはこの季節に,イエスをどのようにして礼拝するでしょうか。果てしなく買い物をすることによってでしょうか。家を飾りたて,贈り物を包むことによってでしょうか。それが救い主への感謝のしるしになりますか。それとも,悩める心に平安を与え,より高い目標を思い描けない人を鼓舞し,主の命令に進んで従うことによって神に栄光があるようにするでしょうか。

イエスは簡潔にこう言っておられます。「わたしに従ってきなさい。」(ルカ18:22)

預言者ジョセフ・スミスによって回復されたイエス・キリストの福音に,世界中の信者が共鳴しています。海の島々に住む人々から広大なロシアに住む人々まで,救い主の聖なる言葉を受け入れた人たちの熱意を,わたしは見てきました。
クリスマスのメッセージ
ハンナ・ラスト・コーナビーは,シオンに集合した初期の聖徒の一人で,アメリカ合衆国ユタ州スパニッシュフォークに居を定めました。回復された教会初期の困難な時期,クリスマスといえば高価なオレンジや木彫りのおもちゃ,縫いぐるみ人形が付き物でしたが,このような物がいつも手に入るわけではありませんでした。ハンナは,1856年12月25日のことをこう書いています。

「クリスマスイブが来た。子供たちは,子供特有の信仰をもって靴下をつるし,何か〔プレゼントを〕入れてもらえるかと思っている。心が痛んだが,それを悟られないようにしながら,あなたたちは忘れられていないのよと子供たちに言い聞かせた。すると,子供たちは翌日の朝を楽しみにして眠りに就いた。

甘味料が一かけらもないのだから,どうしてよいか分からなかった。しかし,子供たちをがっかりさせるわけにはいかない。そのとき,家にカボチャが何個かあることを思い出した。蒸して汁を絞り,2,3時間煮込むと,甘いシロップができた。これと少々のスパイスで,ジンジャーブレッドの生地を作った。それをありとあらゆる形に切って,フライパンで焼き(窯はなかった),子供たちの靴下に詰めた。それを見た子供たちの喜びようといったら,とてつもなく豪華なお菓子を見たときの喜びに引けを取らないほどだった。」


絵/ダグ・ファッケル
この話が伝えるのは,夜通し取り組んだ母親の姿です。作業を楽にしてくれる窯すらなかったにもかかわらず,子供たちを喜ばせ,彼らの信仰を奮い立たせて「すべては善し」と家庭で言えるように,最大限の努力を払ったのです。これこそが,クリスマスのメッセージではないでしょうか。

トーマス・S・モンソン大管長はこう教えています。「自らをささげる機会は確かに無限にありますが,すぐに失われてしまうものでもあります。わたしたちには,喜ばせるべき心,伝えるべき思いやりの言葉,与えるべき贈り物……が〔あり〕ます。」

主とともに働くとき—つまり,主から命じられたことを行い,周りの人を元気づけるとき—わたしたちは,この世でどんな試練に遭おうとも,主が生きておられることと,主がわたしたちを愛しておられることを証しているのです。

スコットランド人の改宗者,ジョン・メンジーズ・マクファーレンは,夫に先立たれた母と弟とともに教会に入り,1852年に3人でユタ州ソルトレーク・シティーまで旅をしました。当時18歳でした。何年もかけて,測量技師になり,建築業者になり,地方裁判所の判事にまでなりましたが,特に際立っていたのは音楽の才能でした。

まずユタ州シーダー・シティーで聖歌隊を組織し,アンサンブルを率いてユタ州南部を回りました。セントジョージでの公演後に,使徒であり入植地の指導者であったエラスタス・スノー長老(1818-1888年)から,家族を連れ,その音楽の才能をもってセントジョージに引っ越して来るように言われました。

1869年は困難な時でしたから,スノー長老は,人々の霊が高揚するクリスマスプログラムを開催するようマクファーレン兄弟に頼んだのです。マクファーレン兄弟は,そのイベントのために人の心を引き付ける新曲が欲しいと思いました。ところが,どうあがいても作れません。霊感を求めて何度も祈りました。

そしてある晩,彼は妻を起こして叫んだのです。「歌詞が浮かんだ。メロディーもだ!」急いで,居間にある小さなオルガンの鍵盤に向かうと,メロディーを弾いては書き取りました。その間,妻は,油の入った容器に浸したフランネルの布に火をつけ,その瞬く光を夫の前にかざしていました。言葉とメロディーがよどみなく湧いてきました。
昔,ユダヤの野辺に
歌聞けり 羊飼い
神には み栄え
高き神,栄えあれ
地には平和を
人に親しみ
マクファーレン兄弟はユダヤに行ってその野辺を見たことこそなかったものの,この歌の霊感されたメッセージは,救い主がベツレヘムでお生まれになり,世界が永遠の変化を遂げ始めるという証として,彼の魂からあふれ出たものでした。

ジョン・メンジーズ・マクファーレンは音楽によって,そしてハンナ・ラスト・コーナビーは子供たちに尽くすことによって,それぞれイエス・キリストについて証したのです。同じようにわたしたちも,簡単な無私の行いによって主に仕え,主について証することができます。家庭やワード,職場,そのほか責任のある分野で良い影響を及ぼすことができるのです。
良い影響を及ぼす
良い影響を及ぼせる一つの簡単な方法は,毎年恒例の,ソーシャルメディアを使った教会のクリスマスキャンペーンに参加することです。このキャンペーンは,聖徒たちと全世界の神の子供たちが救い主に心を向けられるようにすることを目的としています。今年のクリスマスに,教会ではもう一つ別の全世界的取り組みを行って,キリストの降誕を祝うと同時に,クリスマスの季節に人に奉仕することによってキリストに倣うよう人々に勧めます。

教会は,昨年成功した「Light the World—光となりましょう」というテーマを再度掲げています(Mormon.org参照)。このテーマは,「イエスは,また人々に語ってこう言われた,『わたしは世の光である。わたしに従って来る者は,やみのうちを歩くことがなく,命の光をもつであろう』」というヨハネ第8章12節の言葉から取っています。

このキャンペーンでは,アドベントカレンダー〔訳注—クリスマスまでの日数を数えるためのカレンダー〕とそれに関連する聖句が用いられており,人々が奉仕してキリストの光を輝かすためのアイデアを,そこから学べるようにしています。

モンソン大管長はこう言っています。「わたしたち一人一人は,キリストの光を授かって地上に来ます。救い主の模範に倣い,主が生きられたように生き,主が教えられたように生きるとき,その光はわたしたちの内側で燃え,人々のために道を照らします。

わたしたちは,救い主がなされたことを行うことによって救い主を知ります。人に奉仕するとき,自分も,奉仕を受ける人も,主に近づきます。
「すべての名に勝る名」
クリスマスの時季になると,わたしは幼い孫のパクストンを思い出します。めったにない先天的な疾患を持って生まれたパクストンは,数え切れないほど健康上の問題で苦しみました。パクストンがわたしたちの生活に祝福をもたらしてくれたわずか3年間に,天の御父はわたしたち家族に特別に愛のこもった教訓を与えてくださいました。

わたしの姉のナンシー・シンドラーは,パクストンのために見事なキルトを作りました。姉はそれを「すべての名に勝る名」と呼びました。キルトには,Aで始まるものからZで始まるものまで,イエス・キリストの26の名が縫い込まれています。そのキルトは,救い主の苦しみと犠牲と復活のおかげで,将来パクストンと家族が輝かしい再会を果たすことができるということを思い起こさせてくれます。



このキルトに触発されて,わたしは聖文に出てくるイエス・キリストの名を研究するようになりました。キリストの名を調べることが,わたしの個人の聖文研究に組み込まれたのです。これまでに,救い主の名を何百も見つけました。

十二使徒定員会の一員としてのわたしの責任の一つは,教義と聖約で言っているように,イエス・キリストの証を述べることです。教義と聖約にはこう書かれています。「十二人の巡回評議員は召されて,十二使徒,すなわち全世界におけるキリストの名の特別な証人となる。」(教義と聖約107:23,強調付加)

先日わたしは,ソルトレーク・シティーにある初等協会小児病院の聖餐会で話すよう依頼されました。そのときに,イエス・キリストとその希望に満ちた名について話すようにという促しを感じました。救い主が「輝く明けの明星」であり(黙示22:16),「すでに現れた祝福の大祭司」(ヘブル9:11),「御自分の翼にある癒しによって」よみがえられた「奇跡の神」(2ニーファイ25:13;27:23),「平和の君」(イザヤ9:6;2ニーファイ19:6),「よみがえりであり,命」(ヨハネ11:25)であられることを,わたしは証しました。

クリスマスの時季に,救い主の様々な名を言いながら,自分のオフィスに通じるテンプルスクウェアのクリスマスライトの中を行き来するのが,わたしの楽しみになっています。救い主の名は,Aの「アルパであり,オメガ(Alpha and Omega)」(黙示1:8)から始めて,Bのベツレヘムの「幼な子(the babe)」(ルカ2:12,16),Cの「議士(Counsellor)」(イザヤ9:6。2ニーファイ19:6〔助言者〕参照),Dの「救う者(Deliverer)」(ローマ11:26),Eの「高くあげ〔られた者〕(exalted one)」(詩篇89:19),Fの「平和の創始者(founder of peace)」(モーサヤ15:18)などと続きます。

このクリスマスの季節を通じて,わたしは救い主の名をもっとたくさん覚えて,御名をたたえる機会があることを楽しみにしています。このクリスマスの時季に良い影響を及ぼそうと努めるのであれば,救い主を中心に置いて努力し,主の御名によって人に奉仕して救い主に栄光を帰するようにしてください。

わたしは証します。永遠の御父は生きておられます。御父の幸福の計画は,あらゆる世代の御父の子供一人一人の生活に大いなる祝福をもたらします。御父の愛子イエス・キリスト,ベツレヘムでお生まれになったみどりごが,世の救い主であり,贖い主であられることを,わたしは知っています。

次の賛美の言葉は,わたしの耳に真理を語りかけています。「神にはみ栄え 高き神,栄えあれ 地には平和を 人に親しみ」

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2017年12月号リアホナから、ご紹介しました。
赤字は追加しています。

お読みいただいてありがとうございます。

良いクリスマスをお祈りします。



大きな違いをもたらした小さな贈り物

2021-12-13 03:47:32 | 日記
末日聖徒の声
大きな違いをもたらした小さな贈り物
クリストファー・ディーバー(アメリカ合衆国,カリフォルニア州)
わたしたちは小さな奉仕の行いがほかの人たちの生活に力強い方法で祝福をもたらすことを学びました。



ある年のクリスマス,妻のジュリアが杖の形のチョコレート菓子を作り,それを二人で小さな飾り箱に詰めました。

そして,自分たちがミニスタリングをしているスペイン語支部の人たちを訪問しました。

プレゼントを渡して,メリークリスマスと伝えるためです。

支部の優しい年配の会員であるサンチェス兄弟の家に着くと,ドアをノックして待ちました。

だれもいないようだったので,わたしたちはお菓子を郵便受けに入れておきました。

数週間後の聖餐会で,サンチェス兄弟は自分の改宗や,人生で経験してきたたくさんの奇跡について話をしました。

人生の最も深い疑問に答えるモルモン書の驚くべき力について証しました。

何十年も前に自分を教えてくれた宣教師からもらった聖典の合本を掲げてみせました。

その声は,主への愛と証のために震えていました。

それからサンチェス兄弟は,わたしたちが思いもよらなかったことをしました。

わたしたちがあげた小さな飾り箱を,説教壇の上に置いたのです。

その箱を見つけたとき,自分は糖尿病だからこのお菓子を食べることはないだろうと思ったと,サンチェス兄弟は言いました。

箱はナイトテーブルの上に置いたまま,忘れてしまったそうです。

数日後,ベッドで横になっていたサンチェス兄弟は,突然,血糖値が下がったのを感じました。

体が震え始め,恐怖に襲われました。

これは緊急事態だと気づいたサンチェス兄弟は,救急車を呼んだ方がいいかもしれないと思いました。

そのとき,箱が目に入りました。

サンチェス兄弟は箱をつかんで開けると,急いでチョコレートを口に入れました。

血糖値が正常に戻るにつれ,気分が落ち着いてきました。

サンチェス兄弟は空の箱を持ち上げ,小さな奉仕の行いが大きな違いを生むのだと証しました。

そのような経験は偶然ではないことと,天の御父の手はわたしたちの生活の細部にまで及んでいることを証しました。

妻とわたしは,自分たちの小さな奉仕の行いがサンチェス兄弟に大きな影響を与え,その命さえ救ったのかもしれないと知り,謙遜な気持ちになりました。

わたしたちが周囲の人々のために小さな奉仕の行いをするとき,主は力強い方法で,ほかの人たちの生活に祝福をもたらす機会の扉を開いてくださいます。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2021年12月号のリアホナから、ご紹介しました。
青字赤字は、追加しています。
段落は、文章ごとに分けました。

(英辞郎より)
<md style="display: block; padding-right: 50px; padding-bottom: 10px; font-weight: 700; font-size: 18px; color: rgb(0, 0, 139); Arial New", "MS P ゴシック", sans-serif; letter-spacing: normal;"><mt style="color: rgb(220, 20, 60);">ナイトテーブル</mt></md>night table〔ベッドのそばに置く小型テーブル〕

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わたしたちが周囲の人々のために小さな奉仕の行いをするとき,主は力強い方法で,ほかの人たちの生活に祝福をもたらす機会の扉を開いてくださいます。

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As we do small acts of service for those around us, the Lord will unlock opportunities that bless lives in powerful ways.

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當我們為周遭的人提供微小的服務,主就會開啟機會,以有力的方式造福生命。

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当我们为周遭的人提供微小的服务,主就会开启机会,以有力的方式造福生命。

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本日もお読みいただいて、ありがとうございます。

昨日は、さつまいもを掘りました。
7月頭に、苗を植えました。
12月12日に収穫しました。
割と、大きいものも取れました。

youtubeで学んだのは、梅雨前に苗を植え付けて、梅雨の雨で活着させるそうです。
来年は、この計画で、2月頃種芋を植えたいと思います。

良い1日をお祈りします。

クリスマスのカシューナッツ

2021-12-12 07:55:51 | 日記
末日聖徒の声
クリスマスのカシューナッツ

キャノン・ゴスリン(アメリカ合衆国,ユタ州)
友人が介護付き住宅の住人に贈ったプレゼントを見て,ほんとうの喜びはキリストのような愛の中に見いだされることを思い出しました。

シフトが始まり,給仕の作業に入ったとき,わたしのお気に入りの住人の一人であるスタン(本名ではありません)がダイニングルームに入って来ました。

わたしは介護付き住宅で働いており,このすばらしい男性とはもうたくさんの時間を一緒に過ごしていました。

スタンは著名な作家で,元教授であり,かつて伝道部会長,ステーク祝福師,神殿結び固め執行者として奉仕していました。

一緒に時間を過ごすことで,スタンの霊性と快活な性格が多少は自分にも移らないだろうかと思ったものです。

スタンの謙遜さと,人に奉仕したいという誠実な気持ちに,わたしはいつも感銘を受けていました。

スタンは63年連れ添った妻を亡くしたばかりで,深く悲しんでいたに違いありませんが,それでもほかの人たちが自分は愛されいると感じ,心地良く過ごせるようにする方法を探すことに喜びを見いだしていました。

新型コロナウイルス感染症が猛威を振るった2020年は,わたしたち介護付き住宅に関わる者たちにとってとりわけ厳しいものになりました。

それでも,クリスマスの季節の到来は未来への新たな希望をもたらしました。

その夜,スタンはもう一人の男性と一緒に,わたしが給仕をしていたテーブルに着きました。

その男性は食事を終えると,自室に持ち帰れるお菓子をもらえないかとわたしに頼みました。

探してみたものの,残念ながら,男性が希望するものはありませんでした。

テーブルに戻ってそのことを伝えると,男性はがっかりした様子でした。

別の食べ物を提案しましたが,男性は丁寧に断りました。

このやり取りを聞いていたスタンは,席から立ち上がりました。

歩行器を使って,ゆっくりと廊下を進んでいきます。

数分後,戻って来たスタンは,自分のお気に入りのお菓子を持っていました。

チョコレートがかかったカシューナッツです。

スタンはそれを男性に渡し,食事に付き合ってくれたお礼を言うと,自室へ戻って行きました。

妻を亡くしたこの友人のこと,そして新型コロナウイルス感染症による隔離に直面しているコミュニティーのことを考えていると,救い主の次の言葉が胸を突きました。主は言われました。

「自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのため,また福音のために,自分の命を失う者は,それを救うであろう。」(マルコ8:35)

スタンは奉仕し続けるときに喜びを見いだしました。

自分が次のように思ったのを覚えています。

「ほんとうに,この人は神の人だ。」

この経験から受けた影響を,わたしはずっと忘れません。

この経験のおかげで,わたしはスタンのようにイエス・キリストの献身的な弟子になるという生涯の目標を立てることができました。

スタンはわたしに,クリスマスのカシューナッツのようにささやかなものを人に与え続けることの中に,ほんとうの喜びがあることを教えてくれたのです。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2021年12月号のリアホナから、ご紹介しました。

赤字青字は追加しています。

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主は言われました。「自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのため,また福音のために,自分の命を失う者は,それを救うであろう。」(マルコ8:35)
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He said,“Whosoever will save his life shall lose it; but whosoever shall lose his life for my sake and the gospel’s, the same shall save it” (Mark 8:35)

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祂說:「凡要救自己生命的,必喪掉生命;凡為我和福音喪掉生命的,必救了生命」(馬可福音8:35)

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祂说:「凡要救自己生命的,必丧掉生命;凡为我和福音丧掉生命的,必救了生命」(马可福音8:35)

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本日もお読みいただいてありがとうございます。

今日は安息日です。

良い1日をお祈りします。


結び固めをお願いします!

2021-12-10 21:15:29 | 日記
結び固めをお願いします!

太平洋戦争終結から 3 年足らずの1948年3月,菊永奈津子姉妹は沖縄県那覇市に生まれた。



【1955年、奈津子姉妹7歳当時の那覇市の繁華街風景(沖縄県公文書館所蔵)】

当時の沖縄はアメリカ合衆国の統治下にあった。「島じゅうどこでもアメリカ軍とその兵器がありました」と奈津子姉妹は回想する。舗装されていない道路を大型軍用車が行き交い,兵士は子供たちの呼びかけに応えてチョコレートやガムを撒いていった。

両親は病気がちで満足に働けず,幼い奈津子さんはいつもお腹を空かせていた。

「何か口に入れることができるのが 4,5 日に 1 回というような生活で,生きるためにゴミ箱を漁ったり,排水溝に落ちている残飯を口に入れたりもしました。」

戦後間もない沖縄は貧富の差が激しく,奈津子さんの家族以外にも多くの人々が飢え,亡くなっていた。奈津子さんには二人の妹がいたが,栄養失調のため一人は幼いうちに,もう一人は生後間もなく亡くなったと聞かされていた。

おにぎりと聖書

奈津子さんが 8 歳の頃だった。庭先で空腹に耐えていた彼女に隣家のお姉さんが手招きをする。「おにぎりをもらえるのかと思って行ったら,聖書をもらったんです。これを読めば幸せになれるよって。」

奈津子さんはがっかりしながらも聖書を受け取った。家に帰ってめくってみたものの,8 歳の子供には難しかった。

しかし,ある一文が奈津子さんの目に飛び込んでくる。「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」

その言葉は
彼女の心に強い印象を残した。
「神様はこんなわたしのことも覚えていてくださるのかと思って,それから教会探しを始めました。」

神様について教えてくれる場所を求めて,十字架を目印に,目についた教会を片っ端から訪ねた。しかし,納得のいく教会にはなかなか巡り合えない。

「当時のわたしはボロボロの服を着た女の子でした。礼拝堂に入っていすに座ると,牧師さんがあっちへ座りなさいって言うんです。指示された場所には,わたしみたいにボロボロの服を着た人たちが固まっていて,元のいすには綺麗な格好をした人たちが案内される。こんなの本
当の教会じゃない! って飛び出して……そんな繰り返しでした。」

***

奈津子さんは苦労して中学校を出た
後,大阪で就職した。しばらくして沖縄に戻って結婚し,3人の娘を育てるようになっても「本当の教会」を探す旅は終わらなかった。訪れた教会は 20ほどにもなった。

2人組の外国人

1984年,奈津子さんが36歳のときである。那覇市の繁華街である国際通りを歩いていた奈津子さんは,信号待ちをしている 2人組の若い外国人男性に目を留める。

「沖縄にいる外国人って大体みんな
ゆるい恰好をしているんです。でも彼らは違った。きちんとスーツを着ていて,声をかけたら元気をもらえそうだと思いました。」

よく晴れた暑い日だった。奈津子さんは二人に話しかける。「あなたたちは何を売っているんですか,って尋ねました。そしたら英会話を教えていますって言ったので,教えてもらうことにしたんです。」

早速,最寄りの建物に連れて行ってもらった。裏口から入り,英語を教えられた。ものの興味は持てなかった。

礼を言って帰ろうとすると,出口として表玄関に案内される。その壁には一枚の絵が飾られていた。「それはイエス様が使徒たちを聖任されている絵でした。そのとき,そこが
何の建物なのか分かりました。」

2人組の外国人は,末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師で,奈津子さんが連れてこられたのは那覇ワードの建物だった。

「英語はいらないから聖書を教えてください! ってお願いしてレッスンが始まりました。」





長老たちが最初に教えてくれたのは,預言者ジョセフ・スミスが聖なる森で天の御父と御子にまみえた「最初の示現」だった。

しかし,当時の奈津子さんにはぴんと来ない。「14 歳の男の子が突然,
神様とイエス様に会ったなんて信じられなくて,ここも本当の教会じゃないんだ ,とがっかりしました。」

それでも奈津子さんはレッスンを受け続け,日曜日には聖餐会に集った。証を聞いていると胸が締め付けられるような気持ちを感じた。「うれしいような切ないような気持ちで涙がぽろぽろ出てくるんです。姉妹宣教師たちが,それは聖霊の働きですよ,って教えてくれました。」

自身の心が福音を求めていることを感じた奈津子さんは,その後1年間教会に通い続け,1985年 11月 3日,二女と三女とともにバプテスマを受けた。

回復の預言者ジョセフ・スミスの証は得られないままだったが,福音は彼女の生活に新たな光をもたらしてくれた。

「お姉さん,お願いがあります」

1990年のある日,昼間の暑さの残る晩だった。当時,奈津子姉妹は引っ越し先の嘉支部でセミナリー教師を務めていた。

レッスンの準備を終えて夜10時ご
ろ床につく。明日の早朝セミナリーに備えて早く寝なければならないのに,その日に限って寝付けなかった。

横になっていると,誰もいないはずの寝室に人の気配を感じた。「枕元に誰かが座っているんです。暗かったから表情は分かりませんでしたが,大人の女性の輪郭がぼんやりと見えました。」

突然のことに気が動転した奈津子姉妹は大声を上げて夫を呼んだ。隣の縁側にいた夫はすぐにやってきたが,枕もとを見て首をかしげる。

「俺には何も見えないよ,って言って夫は戻っていきました。わたしには座っている人の影が確かに見えるのに。」

枕元の人影は真剣な声で奈津子姉妹に語りかけた。

「お姉さん,わたし雪ゆき
よ。怖がらないで。」─そう呼びかけられて奈津子姉妹ははっとする。

「そのとき分かったんです。彼女は赤ちゃんのときに亡くなったわたしの妹だって。」雪枝,という名前に聞き覚えがあった。

栄養失調で小さく生まれ,生後まもなく亡くなった下の妹の名だった。

「わたしは当時,5 歳くらいでした。だから雪枝のことは覚えていないけど,姉からは聞かされていました。また,両親は時々『雪枝,雪枝』と涙声で話していました。」

枕元に座るのが亡くなった妹だと分
かっても,なぜ今になって自分のところに現れるの分からない。奈津子姉妹は混乱し続けた。「やっぱり怖くて,気が動転していました。明日のセミナリーのために寝なくちゃと思ったりして。あわてて頭まで上掛けをかぶりました。」

すると,雪枝さんが何かを話したい様子で上掛けを下に引き下げる。反射的に奈津子姉妹は上掛けを引っ張り上げた。

また雪枝さんが引き下げる。姉妹で上掛けをめぐる攻防をしばらく繰り返した後,雪枝さんがまた口を開いた。

「お姉さん,お願いがあります。」

この世を離れた妹が生きている自分にお願いとはどういうことだろう。上掛けの下で耳をそばだてる奈津子姉妹に意外な言葉が飛び込んできた。

「今すぐにはできないと思いますが,東京神殿に行って親子の結び固めの儀式をお願いします。わたしだけ漏れています。」

あっ,と奈津子姉妹は思った。当時,自身の戸籍を取り寄せて先祖の儀式を行っていたが,生後間もなく亡くなった雪枝さんは役所に届出がされず,戸籍に記載されていなかったのである。

上掛けを引き下げて「お願いします」返す雪枝さんに奈津子姉妹は「分かった,分かったよ」と応じる。そのとき,隣家で飼われていた鶏にわとりが鳴いた。外に目をやるとすっかり明るくなっている。

「セミナリーに行かなくちゃ,と飛び起きて車に乗りました。もしかしたらまだ雪枝は部屋にいたのかもしれないけど,朝の光が差し込む部屋の中には何も見えませんでした。」

奈津子姉妹はその朝,いつものように教会でセミナリーを教えた。雪枝さんとのやりとりについては,しばらく覚えていたものの,いつしか忙しい日常に紛れて忘れてしまった。

家族歴史センターでの不思議

それから 3 か月後,ステークの東京神殿団体参入が行われ,奈津子姉妹も参加した。道中思い出して,友人の津やまはる姉妹に雪枝さんとの邂逅について打ち明けた。

予定よりも早く到着した奈津子姉妹は津嘉山姉妹とともに,東京神殿から歩いて数分の家族歴史センターへ立ち寄った。

自動ドアが開いた途端,女性の職員が「新あらかき姉妹!」と奈津子姉妹の旧姓で呼びかけてきた。「えっ,て思いました。でもバプテスマを受けたときは新垣だったので,当時の知り合いなのかと思って返事を
したんです。」

するとその見知らぬ姉妹ははっきりと言った。「雪枝さんの結び固めが漏れていますので,今日受けてくださいね。」

一度も会ったことのない彼女がなぜ,戸籍にも載っていない雪枝さんのことを知っているのか。驚いた奈津子姉妹は反射的に「はい」と答えて家族歴史センターを後にした。

「あまりにびっくりして,その方の顔を見る勇気もないままドアを出て津嘉山姉妹と顔を見合わせました。やっぱりあの出来事は本当だったんだって。」

***

家族歴史センターでの不思議な経験
は,奈津子姉妹の胸に雪枝さんとの約束を深く刻み込んだ。

沖縄へ戻り,再び自身の系図と向き合った。「神様はわたしたちが知らない間にいろんな人を使って導いてくださるという事がよく分かります。

あの職員の姉妹も多分わたしのことを知らないし,自分が何を言ったのかも分からなかったんじゃないかな。」

こうして 1995年 11月18日,東京神殿にて,雪枝さんが待ち望んでいた親子の結び固めが執り行われた。

妹がくれた証とともに当時は怖くて妹と向き合うことができなかった奈津子姉妹だが,今は自分が霊界で雪枝さんと再会する日を楽しみにして
いる。

「あのとき現れた雪枝は亡くなった赤ちゃんのままではなく,大人の女性になっていました。教会員になった雪枝にまた『お姉さん』と呼びかけてもらえる日のことを想像すると大きな喜びがあります。」

多くの先祖が霊界で救いを待っている中,なぜ雪枝さんだけが自分の元に現れたのか,今も奈津子姉妹には分からない。

しかし雪枝さんとの体験は,奈津子姉妹に信仰生活を続けるためのかけがえのない証を与えてくれた。

「雪枝が来てくれたおかげで,わたしは預言者ジョセフ・スミスへの証を得ることができたのよ」と奈津子姉妹は目を細める。

「ジョセフ・スミスの経験を何度読んでも半信半疑だった。でも雪枝に会ったときのわたしと,モロナイに会ったときのジョセフの経験したことが全く同じだったんです。」

─夜通しモロナイと会見し,一晩中起きていた預言者ジョセフ・スミス。

その出来事は,モロナイが去った後すぐに鶏が鳴いたところまで奈津子姉妹の体験とよく似ていた。

「ジョセフ・スミスが与えられたのは教会を導くための啓示で,わたしのは家族に関する個人的な啓示。その違いは分かるけど,同じような体験を通して,確かにジョセフ・スミスは神から導かれた預言者だと分かりました。」

霊界から救いの儀式を求めてきた妹が残してくれた証。奈津子姉妹はその証を胸に,命ある限りこの福音を宣べ伝えていこうという決意を固めている。◆

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2021年12月号リアホナ、ローカルページからご紹介しました。
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ヨハネ14章
18 わたしはあなたがたをてて孤児こじとはしない。あなたがたのところにかえってる。
18 I will not leave you comfortless: I will come to you.
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本日もお読みいただいてありがとうございます。
良い一日をお祈りします。