前回、「最後の審判」について触れると断言したところだったが、この話も時間がかかりそうなので、やっぱり先にCollegiata(コッレジャータ、旧Pieve)のBenozzo Gozzoli(ベノッツォ・ゴッツォリ)のSan Sebastiano(聖セバスティアヌス)について片づけてしまうことにした。
ちなみに、「最後の審判」がファサード裏(入口すぐの壁)に多く描かれているのは、祈りを終えた信者たちへの”お土産”的な意味を持っている。
一番最後にこのシーンを見せることで、信者の記憶に一番強く残す目論見でここに敢えて描いているのだそうだ。
教会から一歩出たら、自分の行いによって天国に行くか地獄に行くか決まる、といういましめなんですと。
さて、そのファサードのメインがBenozzo Gozzoliの描いたSan Sebastiano(聖セバスティアヌス)
これはSant'Agistino(聖アゴスティーノ)教会に描かれたSan Sebastianoとは違って、ルネサンス時代に描かれた数多くの聖人像同様、後ろ手に縛られ(よく見られる柱に縛られた図ではないが)、半裸で腰巻だけを身に着け、両方から左右対称にローマ兵士に弓を射られ、体には無数の傷がついている。
そんな凄惨な光景とは裏腹なのどかなトスカーナの糸杉も見える背景。
上空では光に包まれたキリストと聖母をケルビムとセラフィムが取り囲んでいる。
空と地上の間には、2人の天使が今まさに聖人に戴冠しようと冠を支え、その両後ろの天使たちは、この聖人のアトリビュートであるヤシの枝と弓を持っている。
中心の絵を取り囲むまるで大理石のような額の装飾帯の長い部分には、草花の装飾が施され、四角い部分には7人の聖人の顔が描かれている。
そして注目すべきはSan Sebastianoの足元に描かれた「キリスト磔刑図」
このキリストが非常にSan Sebstianoに似ていて、壮年で、神はくるくる、髭を生やしている。
Gozzoliの意図は、San Sebastianoを第二のキリストととらえている点。
San Sebastianoは殉教聖人の中でも、唯一裸で描かれることを許されている。(と何かの資料で読んだ気がしたのだが、正確ではない気がしてきたので現在調査中)
この時代宗教画において、裸で描かれることが許されていたのは、キリストとSan Sebastianoの二人だけ。
また、San Sebastianoは一度目の責め苦、矢を射られても死ななかった。
聖カストゥルスの未亡人聖イレーネは、San Sebastianoを埋葬するためにやって来たが、彼はまだ生きていて、回復するまで面倒をみた。
復活したSan Sebastianoは凝りもせず、ディオクレティアヌス帝の前に戻って来た。
怒った皇帝は、今回はSan Sebstianoを鞭で打ち、人目に付かぬよう遺体を捨てた。
ところが2度目も聖イレーネに救われる。
イレーネの前に幻視となって現れたSan Sebastianoは、自分の遺体の場所を教え、イレーネに埋葬してもらった。
一度死んだかと思われたのに復活を遂げたことやむち打ちにされるあたりが「第2にキリスト」と言われる所以。
例えばほぼ同時代に描かれたこちらの「Flagellazione(キリスト笞刑図)」
写真:Wikipedia
Luca Signorelli(ルカ・シニョレッリ)の作。
これ見たらSan Sebastianoかと見まごうくらいのそっくり。
ちなみにこれはStendardoという旗の裏面で、表はこちらのMadonna del latte(授乳の聖母)
写真はこれを所蔵しているミラノのブレラ絵画館
「授乳の聖母」に関しては、以前調べたことがあったのだが(こちら)、最近この「授乳の聖母」も神への「とりなし」のバリエーションの1つではないか、という論文を読んだ。
と、それに関してまで考えていると、いつこの話は終わるのか分からなくなるので、とりあえず今は無視。
ではなぜこのタイプのSan Sebastianoが描かれたのか?
実はそれは銘文でも明らか。
AD LAVDEM GLORIOSISSIMI ATHLETE SANCTI SEBASTIANI
San Sebastianoの聖人伝にも登場する、<athletas Dei>という呼称は、聖人の強靭な体を表す。
つまりこの図像は、神へのとりなしとしてのSan Sebastianoを描いたSant'Agostino教会とは異なり、強靭な肉体でペストを打ち破るSan Sebastianoを描いたものなのである。
殉教者であると同時に守護者でもあるSan Sebastiano。
更に、この図像が稀なのは、全体のおよそ三分の一をも占める天空に浮かんだキリストと聖母。
この二人がちゃんと救世主への「とりなし」の役割を担っているのである。
このように非常に練られた構造から、こちらにもDomenico Strambiの介入が有ったと考えられている。
ちなみに強いて言えば、これまたSignorelliの作品だが
Pinacoteca comunale di Città di Castello(チッタ・ディ・カステッロ絵画館)所蔵。
写真:Wikipedia
弓で射られたSan Sebastianoの頭上に現れたDio Padre(父なる神)という図像。
ということで、今までSan Sebastiano=対ペストの図像のイメージでしか見ていなかったが、それぞれの構造によって意図する目的が違うということが今回明らかになった。
いやいや、手元に資料があまりないし、ネットで手に入る資料が限られている今、なんでイタリアにいる時もっと”勉強”しておかなかったんだ~と後悔。(いやいや、あれ以上よそ見してたら卒業できなかったよ)
そして次回は、もう1枚、Benozzo GozzoliがSan Gimignanoで描いたSan Sebastianoのお話になりますかね?
参考:Diane Cole Ahl, Due San Sebastiano di Benozzo Gozzoli a San Gimignano
最新の画像[もっと見る]
- 2024年の終わりに 3週間前
- お札に描かれた人物ー国立公文書館 5ヶ月前
- お札に描かれた人物ー国立公文書館 5ヶ月前
- お札に描かれた人物ー国立公文書館 5ヶ月前
- お札に描かれた人物ー国立公文書館 5ヶ月前
- お札に描かれた人物ー国立公文書館 5ヶ月前
- お札に描かれた人物ー国立公文書館 5ヶ月前
- 金刀比羅宮 特別展「お待たせ!こんぴらさんの若冲展」ーその1 2年前
- 金刀比羅宮 特別展「お待たせ!こんぴらさんの若冲展」ーその1 2年前
- 金刀比羅宮 特別展「お待たせ!こんぴらさんの若冲展」ーその1 2年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます