そろそろ行かないとなぁと思っていた。
週末、最後の集客のためだろうか?NHKで2本の特番が組まれていた。
よみがえる藤田嗣治~天才画家の素顔~
日曜美術館 藤田嗣治 「知られざる藤田嗣治~天才画家の遺言~」
名前は知っていたけど、彼の事詳しく知らなかった。
この2番組を見て分かったけど、日本における彼の評価はここ10年でガラッと変わった。
没後30年は、日本で個展が開かれることもなく、忘れ去られていた、と。
今回は没後50年を記念する大規模な回顧展になっている。
番組では、今回世界で初めて藤田の死の2年前に録音されたというカセットテープが流れていた。
日本人でありながら、日本に受け入れられず、フランス人に帰化した後もフランス人にはなれず…
展覧会は東京都美術館で10月8日まで。早く行こ。
展覧会の話は実際行ってからということで、今日は番組にも出ていた礼拝堂の話を。
実は昨年ランスに行った時、偶然礼拝堂を訪れていました。
日本に撤退する前にどうしても見たかったフランスのロマネスクやゴシック建築を巡るための旅。
ランスに行った目的ももちろん大聖堂とシャンパン。
あの頃は、出かけて、フィレンツェで数日過ごして、また出かけて、と飛び回っていたので、全体的に下調べが不足していた。だから当然フジタ礼拝堂(通称)の存在など全く知りませんでした。
ランスに着いた夜、その日の夕食の場所をネットで探していた時、ホントに偶然「フジタ礼拝堂」の文字が目に入って来ました。藤田とランスが全然結びついていませんでしたが。
この次の日はランスの休日だったため、結局レストランはどこも満員で、久々に泣きが入りましたね。
結局ホテルのレストランで夕食をすることになり、がっかりだったことは今でもよく覚えています。(ホテルの食事はまぁまぁおいしかったんですけどね)
そして翌日、もしかしたら休日だから中はには入れないかも、と思いながら礼拝堂へ。
途中、何軒ものシャンパン工場を見かけました。
もし礼拝堂に入れなかったら、どこか工事用見学しようかなぁなんて思って歩いていましたが、幸い門は開いていました。
ロマネスク様式の小さな礼拝堂です。
正式名はノートルダム・ド・ラ・ペ教会(Chapelle Notre-Dame-De-La-Paix)。
手前の柱は子どもキリストが十字架を支えている姿を彫ったものです。
この礼拝堂は1965年、藤田のパトロンであり教父だった当時シャンパン製造業者マム社の社長だったルネ・ラルー氏と建てたものです。
藤田は設計と内装を手掛け、ステンドグラスはランスの名匠シャルル・マルクが、鉄細工や彫刻はマキシム・シケとアンドレア兄弟が手がけました。
ちなみにランスの大聖堂にはシャガールのステンドグラスがあります。
これを知ったのも実際聖堂内に入ってからと、ホント下調べがなってなかったですね。
入場料は4€(3€かな?)。
私が入った時は、日本人の団体さんが1グループ。
その人たちはあっという間にいなくなり、後は私一人だったのでじっくり堪能させていただきました。
日本人の訪問者が多いらしく、日本語での説明をくれました。
ここでの色々な説明はそれを参考にしています。
それま私は藤田の作品を意識して見たことはありませんでした。
どちらかというとあまり好きなタイプの絵ではなかったし…
しかし、ここはすごかったです。
私が今までヨーロッパで見て来たどの礼拝堂とも違っていて、更にこれが”日本人”が描いたとは到底思えない。
内陣には「聖母子像」
半円のドームの外側には「エリザベ―トの訪問」
梁の部分には「玉座のキリスト」を4人の福音書記者のシンボルが囲んでいます。
向かって右、丁度藤田のサインがある場所に長年連れ添った妻の君代さんも描かれています。
右から2番目の人です。
全面フレスコ画で装飾されています。
このフレスコ画、藤田が80歳の時、それも初めてフレスコ技法を用いて描かれたもの…
あれ?NHKでは確か「初めて」って言ってたけど、赤坂迎賓館所蔵の天井画は?
おっと、これ「油彩画」なんだ…天井画=フレスコという構図がすっかりインプットされていたもので。
先月28日まで天井画一般公開されてたんだよね。
うっかりしてて今回も見逃してしまった。残念!
こちらは正真正銘のフレスコ画。
フレスコ画って時間との闘いで、非常に体力がいる。それを80歳の藤田が一人で描き上げたと聞き「ミケランジェロだな」と思わず思ってしまいました。
あふれ出るパワーもとても80歳の老人(失礼!)が描いたとは思えない。
藤田は毎日12時間、壁と向かい合い、全部で200m²にもおよぶ空間をわずか90日間で仕上げたそうです。
そして礼拝堂が完成した2か月後、病に倒れ、約一年後81歳でこの世を去りました。
今は向かって右側の小さな礼拝堂
「最後の晩餐」の晩餐が描かれたこの場所に、2009年に亡くなった君代夫人と共に眠っています。
夫人が亡くなったあと、藤田の作品の一部はランス美術館に寄贈されました。
君代夫人の12人の遺族とランス市は2013年コレクションの寄贈に同意し、2014年にも再度寄贈があったそうです。
寄贈品の多く合、この礼拝堂のために描かれたフレスコ画やステンドグラスのスケッチで、これらは美術館の宗教美術コレクションの核をなしています。
藤田の最多のコレクションを有するランス美術館には、2013年、絵画15点、ステンドグラス4点、ガラス作品7点、陶器9点、箱4点、テンペラ画6点、洗礼時の書類2点に加え、ドガ、コクトーなどの9点のリトグラフを含む663点とグラフィックアート607点が寄贈され、翌2014年には藤田が所有していた1372点の素描、資料、書籍、私物が寄贈され藤田作品を研究する主要センターとなりました。
この礼拝堂のチケットで、ランス美術館の藤田コレクションを見学することもできるのですが、私は時間がなくてそちらを見ることが出来ませんでした。(シャンパンは飲んだけど)
こちら側には「キリスト磔刑図」
向かって右側に藤田の自画像も描かれています。
トレードマークのおかっぱ、これが藤田です。
他にも見どころは沢山。
珍しいのがこの「ぶどうの収穫の聖母」
バックに描き込まれているのはランスとサン=ドニの大聖堂です。
聖母をワインの樽に座らせるという発想は非常にユニークだと思います。
更に私の写真にはなかったのですが
藤田が戦争の悲惨さ、特に広島を呼びおこしたというステンドグラスも有りました。
藤田と戦争…深いテーマだと思います。
ランスに言ったらシャンパンばかり飲んでないで、是非礼拝堂を覗いてみてくださいね。
改めて色々見て来たのに忘れてること多いなぁ、と。
このシャンパン絶品だったな、と。
藤田が、フランス永住を決意したのは、敗戦後に,当時の「進歩的文化人」や画家仲間から袋だたきに攻撃されたからのようですね。敗戦後ころっと転向して仲間を攻撃する連中に愛想が尽きたのでしょう。「絵かきは絵だけを描いてください、仲間げんかをしないでください、日本画壇は早く世界的水準になってください」が離日の言葉でしたからね。この辺の事情はURLにも書きました。
そして、カトリックに改宗してレオナール・フジタになったのは、葬式や墓地に不安を覚えたことが第一だったそうです。
2006年まで大規模な個人展覧会が日本でなかったのは、ひとつには、日本の画壇 画商 コレクターなどと人間的金銭的トラブルもあったことが問題のようで、怪しい評論家などが暗躍したり、没後も、未亡人が日本人不信になってしまって展覧会の話が皆潰れてしまったということがあったようです。上野の西洋美術館・竹橋の近代美術館にも優れた作品が昔から展示されていましたから、低評価ということはなかったと思います。
詳細なコメントありがとうございます。
「日曜美術館」でもフランドルの影響は指摘していました。少し勉強しないとなあ、と思います。
それにしても「ひがみ根性」ですよねぇ…困ったものです。
ランス フジタ礼拝堂壁画
にイタリアの影響があるとしたら、
コスメ・トウーラやその周辺の作品からじゃないかと思います。