前回のブログを更新したあと、読みかけの本を読んでいたら、偶然気になることが書かれていたので、ちょっと備忘録としてここに書き綴っておきたい。
Palazzo Corsiniのコレクション
これ元はと言えば、枢機卿Nari Corsiniが1600年代に集めたものです。
Corsini家と言えば、オリジナルはFirenze出身の貴族…って知らなかった。てっきりRomaかと思ってたけど。
貴族の中でも教皇を輩出する、貴族中の貴族で、Neri Corsiniの叔父も教皇でClemente XII です。
この屋敷を手に入れたNariは版画やデッサンなどを整理し、図書館の富ませ、重要な絵画を手に入れた。
イタリア統一後の1883年屋敷は、この屋敷にAccademia dei Linceiを組織したTommaso Corsini (1835-1919)によって、収蔵されていた美術品、図書館も含めてイタリア王国に売られた。
現在の屋敷内のコレクションの展示は、1771年当時の記録を元に行われていて、Anticamera, Prima Galleria, Galleria del Cardinale, Camera già del Camino, Camera dell'Alcovaの5部屋に分かれている。
ということで絵画の趣味は1600年代のものということだよね。
だからGuido Reniとかが多かったのね…
なんて思いながら、ある本を読んでいた。
岡田温司氏の「グランドツアー」という本なのだが、ここには「グランドツアーの当事者たちは、14,15世紀、更にそれより前の美術品にほとんど全く興味を示していない」、という話をしている。
あのゲーテですら…
これらの作品が再評価されるのは、基本的に19世紀の終わりから20世紀前半になる。
ではこのグランドツアーでイタリアを訪れていたイギリス人は一体何を見ていたのか?
Johann Zoffany、ヨハン・ゾファニーというイギリスで活躍した、ドイツ人画家が描いたLa Tribuna degli Uffizi(ウフィツィ美術館のトリブーナ)
画家は1772年夏、英国王室のシャーロット王女(後のベルギー王レオポルド1世王妃)の命で、ウフィツィ宮殿のトスカニー大公コレクションの模写を命じられて、フィレンツェに向かった。
5年の歳月を費やして描かれたこの作品には今現在もウフィツィ美術館に収蔵されている作品がいっぱい。
でも当然現在の様子ではないですし、たぶんこういう状態になったこともないと思います。
1900年の初めがこんな感じ
メディチのヴィーナスは常にそこにいます。
Tizianoのヴィーナスも左側に見えますね。
正面はPeruginoだ。
こっち側には「ひわの聖母」などなどのRaffaelloの作品が数枚ありますが
現在は
これが2015年に修復を終えた状態です。
この絵画の方を詳しく見て行くとしましょう。
幸い英語版のWikipediaに作者と作品名が出ていました。
01.Annibale Carracci アンニバーレ・カラッチ《ヴィーナスとサチュロス》 (Uffizi, Fi)
02.Guido Reni グイド・レーニ《慈悲》 (Galleria Palatina, Palazzo Pitti, Fi)
03.Raffaello ラファエロ《小椅子の聖母》 (同上)
04.Correggio コレッジョ《聖母子》 (Uffizi, Fi)
05.Justus Sustermans ユストゥス・スステルマンス(フィアンドルの画家)《ガリレオの肖像》 (Uffizi, Fi)
06.作者不明 《聖家族》
07.Tizianoと工房 《聖母子と聖カタリナ》 (Uffizi, Fi)
08.Raffaelloと工房 《洗礼者聖ヨハネ》 (Uffizi, Fi)
09.Guido Reni グイド・レーニ《聖母》 (プライベートコレクション)
10.Raffaello ラファエロ《ひわの聖母》 (Uffizi, Fi)
11.Rubens ルーベンス《戦争の結果》 (Galleria Palatina, Palazzo Pitti, Fi)
12.Franciabigio フランティアビジョ《井戸の聖母》 (Uffizi, Fi)
13.Hans Holbein ボルバイン《リチャード・サウスウェル卿の肖像》 (Uffizi, Fi)
14.Raffaello ラファエロ《ペルジーノ?の肖像》 (Uffizi, Fi)
15.Peruginoの工房 (Niccolò Soggi?) 《聖家族》 (Uffizi, Fi)
16.Guido Reni グイド・レーニ《クレオパトラ》 (Galleria Palatina, Palazzo Pitti, Fi)
17.Rubens ルーベンス《四人の哲学者》 (Galleria Palatina, Palazzo Pitti, Fi)
18.Raffaello ファエロ《レオ10世とジュリオ・デ・メディチ枢機卿、ルイジ・デ・ロッシ枢機卿》 (Uffizi, Fi)
19.Piero da Cortona ピエトロ・ダ・コルトーナ《アブラハムとハガル》 (Kunsthistorisches Museum, Vienna)
20.Bartolomeo Manfredi バルトロメオ・マンフレディ 《貢の銭》 (Uffizi, Fi)
21.Cristofano Allori クリストファーノ・アッローリ《聖ジュリアンの奇跡》 (Galleria Palatina, Palazzo Pitti, Fi)
22.画家不詳 《ローマの慈悲》
23.Raffaello ラファエロ《ニコリーニ・カウパーの聖母子》 (National Gallery of Art, Washington).
24.Guercinoの工房 《サモスの巫女≫ (Uffizi, Fi)
25.Tiziano ティツィアーノ《ウルヴィーノのヴィーナス》 (Uffizi, Fi)
絵画の何とか判別可能なものだけでなんと25作品。
06.22はちょっとはっきりしていないようです。
現在はイギリスの王室コレクションに保存されているこの作品(王室コレクションは夏の間だけ公開されるんですよね?)の大きさは123.5 cm × 155.0 cm
それほど大きい作品じゃないのに、これだけびっちり描かれていてすごいですよね。
更に
この聖母子を持っているのが画家本人だとか。
”品定めでもしているのであろうか、人だかりができている。それもそのはず、この作品は、さるイギリス貴族がより高い爵位を得ようと、国王にプレゼントするために購入することになるものであった。”(「グランドツアー」より引用)
他にもこの絵の中でも特に目立っているのはTizianoの”ウルビーノのヴィーナス”ですが、
”目利きやディレッタントたちが何人もこの絵を取り巻いていて、何やら議論を交わしている様子である。ことによると、大胆にしてかつ挑発的ですらあるその裸体表現について、あれこれと詮索しているかもしれない。”(「グランドツアー」より引用)
Tizianoの他のルネサンス期の画家としては、CoreggioやRubensの他、Annibale Carracci、Guido Reni 、Guercinoと言った、今では二軍の気が有るBolognaの画家たちの作品が目立っています。
反対に今私たちが真っ先に思い浮かべるルネサンスの画家たちの作品が、あのBotticelliの作品すらない。
実はRaffaello より前の画家たち、プリニティブ派が評価されるようになるには、ジョン・ラスキン(1819-1900)やラファエロ前派の画家たちの時代がやって来るまで待たないといけないのである。
”一方、カラッチらボローニャ画家の一派は、ラファエロ以来の古典主義的伝統の正統な継承者として、17世紀当時から高い評価を与えられてきた。
まだイタリアに入って間もないゲーテも、ローマへに途上ボローニャに立ち寄って、カラッチ、グイド・レーニ、ドメニキーノにはじめて対面し、その真髄を見極めることのできる確かな鑑識眼をぜひとも旅行中に鍛えたいと、あらためて決意を固くしているほどである。
しかも彼は、ボローニャに入る直前にわざわざチェントという小さな田舎町を訪れているのだが、それというのもその町がグエルチーノの生まれ故郷だったからである。「人間の眼に映る最も完全なもののみを描く」レーニ、さらに「筆の軽妙さ円熟さはただ驚歎のほかはない」グエルチーノは、とりわけドイツの詩人のお眼鏡にかなった画家なのであった。
18世紀におけるこのような美術の評価に大きな影響を与えていたのは、17世紀以来各国に設立されていた美術アカデミーの存在で、そこでは基本的に、ラファエロやミケランジェロやティツィアーノといった盛期ルネサンスの画家たちに加えて、グイド・レーニや二コラ・プッサンら古典主義的な傾向の強い17世紀の画家がお手本とされていたのである。
そしてその理論的な支柱となっていたのが、ジョヴァンニ・ピエトロ・ベッローリ(1613-96)やアンドレ・フェリビアン(1619-95)らによって唱えられた理想的な美の「イデア」という考え方であった。”(「グランドツアー」より引用)
また出ましたねGiovanni Paolo Bellori、「バロックのVasari」です。
Vasariのように、アーティストの伝記を書いたことで有名…Vasariほど世界的にではないですけど。
ちなみに彼が著書の中でCaravaggioを酷評したことから、Caravaggioは初めの頃非常に評価が低かったんです。
彼は既に書いたように古典主義を崇拝していましたからね。
ということで「大作はないな」と前回書いてしまいましたが、実はこの時代、一番流行っていた作品を集めた、ということになるわけですわ。
とここまで書いてきて、思い出したことが有ったんです。
Palazzo CorsiniにGian Paolo Panniniの作品がありました。
Rovine romane(ローマの遺跡)
この時代ローマの風景を描かせたら、右に出るものはいなかった彼。
Veduta(都市景観画)と呼ばれていたこの種のジャンルの絵画は、グランドツアーでイタリアを訪れていた人たちのお土産として、大変人気が有りました。
ただちょっと面白いのは、これらの絵は大抵代表的な名所旧跡を一枚の画面に組み合わせるという、モンタージュみたいなやり方で描かれていて、
そんな絵画をCapriccio(奇想画)と呼んでいたんですね。
”もっとも頻繁に登場するのはコロセウムとパンテオンで、それらのまわりに、実際にはかなり離れたところに建っている遺跡や空想上の廃墟が巧みに配置されている。
同時に見えるということがありえないものを同時に見せること、それが「カプリッチョ」の「カプリッチョ」たるゆえんなのである。
つまり、現実のローマのトポグラフィーに対応しているというよりも、旅行者たちの記憶のなかのイメージに近いものなのだ。”(「グランドツアー」より引用)
更にこの時代はまだ風景画の地位が低かった為、大抵古代ローマの物語や福音書の話などが、小さく描きそえられている。
とここで、思い出したのは彼のこの作品
Antica Roma(古代ローマの景観図のギャラリー)と
Roma moderna(現代ローマの景観図のギャラリー)
この対の作品を注文したのはローマのフランス大使ショワズール公。
パンニーニが脂ノリノリだった1754-57年に描かれたこの作品は、先ほどのヨハン・ゾファニーの”トリブーナ”とは違って空想上の巨大なギャラリー
彼は風景画だけではなく、室内の絵も残している。
丁度聖年だった1750年、巡礼のためにローマを訪れた人たちのために、San PietroやGiovanni in Lateranoの内部を描いた作品も描いている。
この空想の巨大なギャラリーには、画家がそれまでに描いてきたような風景画が数多く、いや一文の隙もなく所狭しと貼られている。
中でもよく見てみると「古代」の方は、「ラオコーン」が、現代の方ではミケランジェロ作の「モーゼ像」が目を引いている。
ローマ時代とルネサンスの対比。
新古典主義に属する彼らしい。
”この特異な作品は、17世紀にさかのぼる2つのジャンルを独自なかたちで組み合わせたものである。
ひとつは、王侯貴族のコレクション作品を一枚の絵に詰め込んだ「ギャラリー画」というジャンル” (「グランドツアー」より引用)
つもりヨハン・ゾファニーの”トリブーナ”のような作品。
”そしてもうひとつはもちろん「ヴェドゥータ」である。
こうしたきわめて特殊な「カプリッチョ」の構想が、画家本人によるものなのか、それとも注文主の意向によるものなのかは不明だが(おそらくはそのどちらも関与している)、およそ縦170、横230センチメートルにもなるこの大作を、フランス大使は、母国に持ち帰って屋敷に飾ろうとしていたのだろう。
「ヴェドゥータ」の1枚1枚を購入するよりも、こうして多数の画中画がモンタージュされた絵を手に入れるほうがずっとお買い得である。誇大妄想的ともいえるほどのこの空想のギャラリーは、おそらく注文主の欲望の投影でもあったにちがいない。
一方、画家の側からすればこうした絵は、みずからの画業を振り返り、さらに宣伝する格好のチャンスとなるものである。
実際、どちらの作品にもパンニーニ本人が描きこまれていて、古代のほうでは名高いフレスコ画の断片≪アルドブランディーニの婚礼≫の近くに、現代のほうでは画面中央に、注文主の大使とともに登場している。
この対作品には、架空のコレクションに多少の変更をくわえた別ヴァージョンが少なくともあと2組、ルーヴル美術館とメトロポリタン美術館に伝わっている。
いずれもやはり大画面の連作で、おそらくショワズール大使に届けられた作品の出来栄えを聞きつけた裕福なフランスの貴族たちが、我先にと画家に注文したものであろう。” (「グランドツアー」より引用)
パンニーニの作品は特にフランスの裕福な人々に愛され、また彼らの古美術への関心やコレクション熱を刺激し、満足させていたばかりでなく、外交的・政治的にも極めて重要な役割を果たしたようです。
当時人気絶好調だった画家の絵が、この屋敷に有ることはなんの疑問の余地もないですね。
って結局なんか本当に覚書みたいになってしまい、変な終わり方になってしまった気がしますが…
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