日本語の本を読むか、読まないかはいつも悩むところ・・・
これは決して自慢しているわけではなく、日本語を読んでしまうと、いざ試験の時に、イタリアが浮かんでこないという弊害を及ぼす為・・・
また反対に、「これ(日本語で)なんていうんだ???」ということが多々ある。ということで、イタリア語で説明するのも一苦労、日本語で説明するのも・・・じゃあ、何のために勉強しているんだか
日本語の本、の中でも、更に日本語に翻訳された本を読むときは要注意。もちろん翻訳家の文句を言う気など、さらさら無いのですが、素人にも分かりやすい専門書の翻訳は、ものすごく難しいのでしょうが、日本語が理解できない・・・ということが多々ある。もちろん自分の頭が悪いせいもあるでしょうけど・・・
イタリア語が原本のものだけは、なるべく翻訳は読まないようにしています。2度手間ですからね!
今回は、全く1から入る分野だったので、というのと、折角日本から本を持ってきたので・・・ということで、この3冊を片付けた。
まず"ギリシャ美術史"J・J・ポリック

まえがきに「この本は、ギリシャ美術に関心をもちながらも、広範囲にわたる学術的な文献などにはあまり触れる機会もなかった一般の方や学生諸君、さらには古典の研究が好きな方などを想定して書かれました。」とある割には、ハイレベル。というより、私のレベルが低かったのかしら???
とても役にたった。というのは、ギリシャ美術を、更にこの本を読むまでは、なぜギリシャ美術がこうも、西洋美術に浸透し、影響を与え、繰り返されていたのかが理解できなかった。この「ギリシャ美術って何?」という、簡単に見えて、非常に難しい問題に答えてくれた気がする。
そう「この本は古代ギリシャ美術の入門書ではなく、また古代ギリシャ美術史の概論でもありません。」(まえがきより)
更に、訳者(中村るい)はあとがきで、「ギリシャ美術にかぎらず、人文学系の学問は本来、枝葉の部分にもおもしろいことが詰まった豊かな大樹だと思います。エロ・グロ・ナンセンスもないはずがありません。しかし、学問の専門分化が進み、つい狭い範囲にしか関心を向けない傾向は広まっています。本書は、過度の専門化に妥協せず、根本的な『クラシックとは何か』をとりあげています。」と書いている。そう、これがまさに私がイタリアで美術史を勉強する苦労を選んだ理由・・・
美術だけでなく、文学、政治、経済などあらゆる分野に根を張る、美術史の醍醐味であり、苦労する点でもあります。
そしてこちらは・・・

あとがきで、訳者本人(小竹澄栄)が書いているが「訳者のこの分野に対する知識不足」の為、日本語が分からない、という1冊。専門書を翻訳することが、その分野を専門としない人にとって、どれだけ難しいことかは、良く分かる。そして専門家で無い人が翻訳したものは、日本語を理解するのが困難。何度も言いますが、もちろん翻訳家を侮辱しているわけではありません。ただ、やはり折角読むなねぇ・・・という感じ。決して安い本ではないですし・・・
監修をしているのが、前出の中村氏、彼女はこの本の改題によせて「美術史学は記述に始まり、記述に終わるといわれるほど、作品記述は重要だが、最近はこのような記述がすっかり影をひそめている。古風で保守的な方法と誤解され、社会史的議論他がそれに変る傾向がある。しかしこの第3章を読むと、作品をみるとはどういうことか、その基本がよくわかる。」日本ではどうだか、知らないが、幸か不幸かイタリアでは、まだこの"記述"の伝統が面々と引き継がれている。だからこそ、形容詞が乏しい外国人の私たちには厳しい・・・さすが、外国で勉強しただけあるなぁ~と思いながら、その"記述"が理解しがたかったのが残念だ。
そして、最後はギリシャ美術を理解する為には欠かせない、ギリシャ神話。
阿刀田高の"ギリシャ神話を知っていますか?"は読んだことがあるので、今回は
"私のギリシャ神話"

やはり翻訳でない文章は分かりやすい~いやいや。
でも本当に分かりやすかった。限られた紙数で、ギリシャ神話のつぼを押さえるにはお勧めの1冊。
ちなみに去年日本に帰国した時に、里中満智子の"マンガギリシャ神話"も読みました。
さてさて、とりあえず日本語である程度の知識を仕入れたので、ここからはイタリア語
がんばらなきゃ
あっ、残りの羊羹食べよ~
これは決して自慢しているわけではなく、日本語を読んでしまうと、いざ試験の時に、イタリアが浮かんでこないという弊害を及ぼす為・・・
また反対に、「これ(日本語で)なんていうんだ???」ということが多々ある。ということで、イタリア語で説明するのも一苦労、日本語で説明するのも・・・じゃあ、何のために勉強しているんだか

日本語の本、の中でも、更に日本語に翻訳された本を読むときは要注意。もちろん翻訳家の文句を言う気など、さらさら無いのですが、素人にも分かりやすい専門書の翻訳は、ものすごく難しいのでしょうが、日本語が理解できない・・・ということが多々ある。もちろん自分の頭が悪いせいもあるでしょうけど・・・
イタリア語が原本のものだけは、なるべく翻訳は読まないようにしています。2度手間ですからね!
今回は、全く1から入る分野だったので、というのと、折角日本から本を持ってきたので・・・ということで、この3冊を片付けた。
まず"ギリシャ美術史"J・J・ポリック

まえがきに「この本は、ギリシャ美術に関心をもちながらも、広範囲にわたる学術的な文献などにはあまり触れる機会もなかった一般の方や学生諸君、さらには古典の研究が好きな方などを想定して書かれました。」とある割には、ハイレベル。というより、私のレベルが低かったのかしら???
とても役にたった。というのは、ギリシャ美術を、更にこの本を読むまでは、なぜギリシャ美術がこうも、西洋美術に浸透し、影響を与え、繰り返されていたのかが理解できなかった。この「ギリシャ美術って何?」という、簡単に見えて、非常に難しい問題に答えてくれた気がする。
そう「この本は古代ギリシャ美術の入門書ではなく、また古代ギリシャ美術史の概論でもありません。」(まえがきより)
更に、訳者(中村るい)はあとがきで、「ギリシャ美術にかぎらず、人文学系の学問は本来、枝葉の部分にもおもしろいことが詰まった豊かな大樹だと思います。エロ・グロ・ナンセンスもないはずがありません。しかし、学問の専門分化が進み、つい狭い範囲にしか関心を向けない傾向は広まっています。本書は、過度の専門化に妥協せず、根本的な『クラシックとは何か』をとりあげています。」と書いている。そう、これがまさに私がイタリアで美術史を勉強する苦労を選んだ理由・・・
美術だけでなく、文学、政治、経済などあらゆる分野に根を張る、美術史の醍醐味であり、苦労する点でもあります。
そしてこちらは・・・

あとがきで、訳者本人(小竹澄栄)が書いているが「訳者のこの分野に対する知識不足」の為、日本語が分からない、という1冊。専門書を翻訳することが、その分野を専門としない人にとって、どれだけ難しいことかは、良く分かる。そして専門家で無い人が翻訳したものは、日本語を理解するのが困難。何度も言いますが、もちろん翻訳家を侮辱しているわけではありません。ただ、やはり折角読むなねぇ・・・という感じ。決して安い本ではないですし・・・
監修をしているのが、前出の中村氏、彼女はこの本の改題によせて「美術史学は記述に始まり、記述に終わるといわれるほど、作品記述は重要だが、最近はこのような記述がすっかり影をひそめている。古風で保守的な方法と誤解され、社会史的議論他がそれに変る傾向がある。しかしこの第3章を読むと、作品をみるとはどういうことか、その基本がよくわかる。」日本ではどうだか、知らないが、幸か不幸かイタリアでは、まだこの"記述"の伝統が面々と引き継がれている。だからこそ、形容詞が乏しい外国人の私たちには厳しい・・・さすが、外国で勉強しただけあるなぁ~と思いながら、その"記述"が理解しがたかったのが残念だ。
そして、最後はギリシャ美術を理解する為には欠かせない、ギリシャ神話。
阿刀田高の"ギリシャ神話を知っていますか?"は読んだことがあるので、今回は
"私のギリシャ神話"

やはり翻訳でない文章は分かりやすい~いやいや。
でも本当に分かりやすかった。限られた紙数で、ギリシャ神話のつぼを押さえるにはお勧めの1冊。
ちなみに去年日本に帰国した時に、里中満智子の"マンガギリシャ神話"も読みました。
さてさて、とりあえず日本語である程度の知識を仕入れたので、ここからはイタリア語

がんばらなきゃ


確かに、こちらはまだまだいい意味での"伝統"というのが残っています。ただ、残念ながら、世界的に若者の暴走という面では、どこ国も変わらない気もしますが・・・