日曜日。
天気も悪いし、人も多いので今日は一日家から出ない。
今週はちょっと忙しいので、日曜日にいろいろ溜まっていることを片付けて、今日はゆっくりすごしましょ~なんて思っていたのに、予想以上にやることが。
何でこうなるの???
確実に今週は更新できないので、こちらをとりあえず終わらせたい!!
ということでValtiverinaの最終回、はじまりはじまり・・・ってその前にお茶でも飲むか。
さて、お湯を沸かしている間に、少しずつ進めてまいりましょう。
え~とそうそうDonatelloを見て、サンドイッチを食べてまたToscanaに戻ったんです。
向かった先はMonterchi
この名前を見て、ピンと来た人は通ですねぇ。
この名前イコールそう、それです。
Piero della Francesca(ピエロ・デッラ・フランチェスカ)の
Madonna del Parto(懐妊の聖母)
そろそろお湯沸いたかな・・・先月友人が持ってきてくれたきんつばをつまみましょう。
この作品は日本人にも人気が高いんですよねぇ。
だからあえて解説する必要ないかなぁ・・・なんて怠けちゃだめですかねぇ。
Piero della Francescaの知名度が日本でどれくらいか?なんてことはもうよく分かりません。
イタリアにはまる前、私は当然知らなかったなぁ。
知らない人が多いのか、ちょっと美術に詳しい人なら知っているのか、余程通でなければ知らないのか・・・まぁそんなことはどうでもいいですが、この辺鄙な土地にわざわざやってくる日本人は結構多いそうですよ。
いやいやホントご苦労様。
幸い私は既に10年近く前、Todiの語学学校に通っていた頃、騙されるように(何せ知らなかったもので)結構高い遠足料金を払って一度ここに来たことがあります。
その時は、2度と行かない(行けない?)と思ったので、高いお金を払ってしまいましたが・・・
ひどいことに、お金が高かったことくらいしかその時の記録って残ってない。
昔やっていたHPはもう閉めてしまったので、記録もないな。
う~んこのPCの中にも私の頭の中にも何も残ってないぞ~
まぁまぁ、きっと何処かにあるんでしょう。
ということで気を取り直して
Piero della Francesca(ピエロ・デッラ・フランチェスカ)は1412年(? )生まれ1492年没の初期ルネサンスの代表的な画家。
この1492年という年号は歴史的にも非常に重要な年です。
そうアメリカ大陸が発見された年、と言うことは日本の学校でも習います。
便宜上ここからeta' Moderna(近世?)となっています。
美術を勉強している人にとってはほかにも大きなことが出来事が。
そのひとつがこのPiero della Francescaの死、といわれるというからやはり彼の存在は格別なんですね。
そしてもう1つ、Firenzeには非常に関係が深いLorenzo il Magnificoが死んだのもこの年。
ということで、とにかく時代が大きく変化した年、というわけです。
Piero della FrancescaはArezzoのSan Sepolcroという小さな町の生まれ。
偉大な画家でしたが、生涯のほとんどを故郷周辺で過ごしています。
彼は画家としてだけではなく数学、幾何学を用いた遠近法の研究でも有名で、確か晩年ほとんど目が見えなくなって絵が描けなくなった後も遠近法の研究だけど続けていた、と聞いた気がする。
遠近法で一番有名なのはやはりこのブレラ美術館所蔵の
”モンテフェルトロの祭壇画”ですね。
ここでこの絵の話をしていると、先に進めないので、興味がある方はご自分で調べてみてくださいね。
作品はそれほど多くはない方ですが、それが結構地元に残っている珍しい画家。
個人的には保存という理由で美術館に押し込んでしまうより、その方がいいと思う反面、
やはり行きにくいのよねぇ・・・彼の場合は特に。
だから今回も再会を楽しみにしていたんです。
しかし、実際会ってみて・・・私本当に10年前に見たのかな?
初めて見たというくらい新鮮な気持ちだったんですよね。
もちろん10年前と今では”美術”に対する興味も見方も完全に変わっているので当然なのかもしれませんが・・・
とにかく感動です。
やはりわざわざ見に来る価値あるんですよ~!!
作品はこんな何と言うことのない建物の中に大事に保管、展示されています。
これを見るためだけ(ほかには見事に何もないので)に世界中から人が集まって来るんですよ。
元々このフレスコ画は、Monterchiの丘の下にあったSanta Maria di Momentanaという古い教会に描かれていましたのですが、この作品の運命は実に波乱に満ちています。
ちょっとだけ紹介・・・のつもりがこれ書き終えるのに3時間もかかっちゃったよ。
母の出身地、叔父がこの地の教会の責任者だったとは言え、教皇や王たちの依頼も受け、既にかなり有名になっていたPiero della Francescaがなぜこんな小さな町の教会のためにたった7日という恐ろしく早い時間で、このフレスコ画を描いたのか、誰がこの絵を依頼したかということは明らかになっていません。
元は主祭壇の脇に描かれていたもので、妊婦たちの信仰を集め、来訪が描かれた当時から絶えなかったそうです。
1784年から86年の間にこの教会にお墓を作ることになり、教会の3分の2が壊されることになりました。
そのときこのフレスコ画は元の壁から”切り取られ”主祭壇のニッチにはめ込まれます。
そして1789年この辺りが大きな地震に襲われ、教会も大きな打撃を受けます。
そしてしばらくの間、この傑作は人々から忘れ去られてしまうのです。
しかし地元の農夫たちは、「お産を助けてくれる」ということでちゃんとこの作品を守っていました。
彼らには誰がこの絵を書いたか、よりご利益の方が大事だったのでしょうね。
1898年Vincinzo Funghiniという美術史家がこの作品を再び世に送り出します。
そして1911年Regia Soprintendenza ai Monumenti(旧文化財保護局)がフレスコ画保存目的でDomenico Fiscaliに修復を依頼、この時フレスコ画を”はがした”ことによその下に隠れていた1300年代前期のフレスコ画の下絵(Madonna del latteー授乳の聖母)が発見されます。
このフレスコの数奇な運命はまだまだ続きます。
1917年この地方を再び襲った大地震により、避難を余儀なくされたフレスコ画は同じくPiero della Francescaのフレスコ画が保存されている彼の故郷Sansepolcroへと向かいます。
その後1922年またMonterchiへ戻ってきます。
そして第2次大戦中はドイツ軍に見つからないように再び地元の人々がこの作品を守りました。
「もしドイツ軍に見つかっていたら今頃はベルリンだった」と美術館の人は言っていました。
そうそう丁度さっきのニュースで戦時中にナチスドイツに押収された1500点あまりの美術品がミュンヘンで発見された言っていましたねぇ・・・ってあなたはそうやって寄り道をするので、これを仕上げるのに時間がかかるのよ~
何々何でも半世紀以上豆や果物の缶詰の後ろの壁の後ろに隠れていたんですって。
作品は全てなくなったか、戦争の爆撃で破壊されてしまったかと思われていたピカソやシャガールなど19世紀を代表する画家の作品ばかり。
価値にして10億・・・ユーロ?以上。
このアパートはHildebrand Gurlittとという画廊経営者の息子のものなんだそうです。
すごいですねぇ、でも良かった良かった。
元に戻って・・・
2度の大きな地震、大戦、数度の修復により痛んでしまった作品は、修復を終え、1992年Piero della Francesca没後400年を記念して"美術館”のないこの街では、元学校だった場所(via Reglia)を利用し公開されます。
そしてその後この作品をどこに置くかでまた争いが勃発。
Pieroだってまさか後世、何世紀にも渡って自分の作品がこんな運命にさらされるなんて思ってもいないでしょうね。
調べていたらこんな番組を発見しました。
イタリア語ですが、この場所に収められるにいたった経緯を追っています。
http://www.arte.rai.it/articoli/la-madonna-del-parto-di-piero-della-francesca/2099/default.aspx
最終的に万事が落ち着いたのは2009年のことでした。
今はこんな感じで空調がしっかり守られている上、人数制限、時間制限付での見学となります。
作品はこちらと、1911年に発見されたMadonna del latte(授乳の聖母)だけ。
それでも十分見に来る価値があるんだからすごい!!
ってなんかここまで書くのに2時間以上かかったけど絵のことも知りたい???
誰か日本語で載せてないかなぁ・・・と思ったけど、満足いくようなのはないか。
しゃない、自分で調べるか。
全ては自分のためだ。
って今日はここの話だけで終わるなぁ・・・あ~あ。
まずこのMadonna del Parto(懐妊の聖母)というテーマですが、それ自体はそう珍しいものではないんです。
トスカーナでは1300年代前期からこのテーマで描かれた作品が結構あります。
ただそれらにはある程度決まりが有って、
・聖母一人の立ち姿
・正面を向いて、妊娠している様子がわかる
というのが定番。
一般女性との違いを表現する為に、本(旧約聖書だといわれている)をお腹の上で抱え、キリストを身ごもったことを暗示させているそうです。
ということで、こちらの作品はこの規則(?)に則っていないという点でも珍しい。
まず本がない。
そして本来本を持つ手は本物の妊婦さんのようにしんどそうに腰に当てられている。
そして彼女の脇を固める2人(匹?天使はなんて数えるんだ???)の天使。
それがまさに対照的に描かれています。
これ、本当に同じなんですよ。
実はCartoneというフレスコ画を描くとき下絵を描くために使われる、型紙(?)をひっくり返して使っていることが明らかになっています。
この型紙を当てて、ふちに小さな穴を開けて型を取るんですけど、その穴が今でも(ガラスを通しても)肉眼ではっきり分かります。
そこまで近づけるのがやはり本物を見られる醍醐味ですねぇ。
そして色を見てくださいね。
洋服、羽の色、靴下の色までは赤と緑で全て対照。
すごいこだわり!!
それからまるで舞台の幕を開けるような天使の動き。
この様子は絵を見ている人の注目が聖母に一心に集まるようなPieroのお得意の工夫。
Pieroはこちらでもこの方法を使っています。
ArezzoのDuomoにあるSogno di Costantino(コスタンティヌスの夢)
この描き方余程お気に入りだったのか、ほかの作品にも使っています。
このカーテンのボリューム感や人間の立体感が、前の時代のものとは全然違うでしょう?
そして出ました、聖母の青い服。
これはもちろんラピスラズリーを使っています。
だからこの絵を依頼した人は当然お金持ちだったことは分かります。
青は純潔(白のほうがこの意味合いが強いらしい)、神聖を現しています。
そしてこの前が開いた服・・・これってこの時代の貴族の洋服だったらしいです。
すごくリアル感がありますねぇ。
この時代の画家は結構当時の洋服を絵に描いたりしているので、絵を見るとその当時の洋服の流行が分かるんですよ。
唯一一般人とは違う点は、頭にnimbo(後光)がついていること。
この後光を上に乗せるという描き方も彼独特のものらしいです。(私の記憶が確かなら、確かそういっていたと・・・)
まぁPiero della Francescaの絵には多いのですが、多くのなぞがまだまだ隠されているようです。
というところで、ひと段落、夕飯食べます。
この足がなんともおしゃれ~と思ったのは私だけですかね?
あ~長かった。
ということで結局最終回は次回へ・・・Città di Castelloが最終目的地です。
最新の画像[もっと見る]
- お札に描かれた人物ー国立公文書館 3ヶ月前
- お札に描かれた人物ー国立公文書館 3ヶ月前
- お札に描かれた人物ー国立公文書館 3ヶ月前
- お札に描かれた人物ー国立公文書館 3ヶ月前
- お札に描かれた人物ー国立公文書館 3ヶ月前
- お札に描かれた人物ー国立公文書館 3ヶ月前
- 金刀比羅宮 特別展「お待たせ!こんぴらさんの若冲展」ーその1 1年前
- 金刀比羅宮 特別展「お待たせ!こんぴらさんの若冲展」ーその1 1年前
- 金刀比羅宮 特別展「お待たせ!こんぴらさんの若冲展」ーその1 1年前
- 金刀比羅宮 特別展「お待たせ!こんぴらさんの若冲展」ーその1 1年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます