イタリア人に毎年年賀状を出しているのに、彼らからは一度も返事をもらったことはない。
我々の常識からすればもう出さないでおこうと思ってしまう・・・
というメールをいただきました。(勝手にネタにしてごめんなさい。)
でもこれ、あくまでも我々日本人の常識なので、イタリア人に通用しないのは当然です。
別にイタリア人の肩を持つわけでも、100人が100人返事を出さないというわけでもないのです。
ただ、私の経験上返事を出さない人は多い!
実際私も毎年帰国すると日本から色々細工の凝ったカードを夏のご挨拶に送っていますが、一度も返事をもらったことはありません。
数年前に「メールアドレス書いておいてよ。そしたら届いたよってメールするから」と言われ、それから書いているけど・・・
一度もメールが来たこと、ありません。
挙句、こいつ・・・いえいえ、この方、去年の夏、私が毎年その前の年のものとかぶらないように真剣に選んで出しているのも知らず(まぁ私が勝手に気を遣っているだけですが)
「封筒は見た。でも中身読んでないのに無くなった!」と言っていた。
すみません、この話12月にもしましたね。でも続けちゃう。
「(震災後)全然音信普通だったのに、日本から手紙が届いたから何が書いてあったのか心配していたんだよ」
って、だったら連絡そちらからしてくればいいじゃん!!
とちょっと呆れた。
「で、何が書いてあったの?」としつこく聞くので、
「特に何も書いていません!」と・・・実は震災後の日本のことなんかも書いてあったんだけどね。
今年の夏は嫌味を書いて送ってやる~!!
他にも、こちらは女性だけどクリスマスになると日本から色々プレゼントやカードが届くけど一度も返事、メールを出していると聞いたことはありません。
実際私も「一度くらい返事くれ~」と思っています。
でもなぜやめないかというと、やはりマゾだから・・・ではなくて、喜ぶ顔が見たいから。
直接顔が見られなくても、絶対喜んでいる、とわかるから。
だって、イタリア人は全然知らない人に日本から届いたハガキとか見せたりするし、必ず飾ってあります。
私みたいにそこら辺に入れちゃって、あれ~どこ行った?なんてことは絶対ない。しゅみましぇん。
いや、でも封切らずになくした人がいるからなぁ・・・海に持っていったんだってよ。おいおい。
確かに日本人の常識で考えたら、もう出さない!という気持ちも分かります。
でも、手紙やハガキを出すのは返事が欲しいからではないのでは?
プレゼントも同じ。
見返りが欲しくてするわけではない。
(これ、今自分にも言い聞かせています。)
イタリア人が別れ際に「ハガキやメール頂戴」というのは、元気でやっているのが知りたいから。
いくらメール文化(?)が進んでも私はやはり手紙派。
絶対イタリアにはない、凝ったカードを探し(夏はあまり選択肢がないんですよねぇ)文章を考え、和風の切手を選んで張る。
相手の喜ぶ顔を思い浮かべながらする作業自体が好きなのかも。
しかし、この国の問題は配達されるか否か。
だからこそ一言でも返事が欲しいという気持ちももちろん分かります。
でも・・・イタリア人ですから。
あっ、しまった、日本の実家に毎年届く年賀状にお返事していません。
返事はしてないけど、毎年実家からPDFに落としたものが送られてきて、届いた年賀状を見ながら、どこのうちも子供さんが大きくなったなぁ・・・と感心しています。
と、朝返事をしたのですが(ここまで考えては出さなかったんだけど。すみません・・・)
ちょっと似たようなことが起こったので、前振りで書かせていただいちゃいました。
というのも、最近イタリア人に日本語を教えているのですが、ここ1ヶ月くらい、色々な理由でレッスンがなかった。
毎週水曜日になると必ず私から「今日はレッスンする?」と一応メールを送っていた。
相手は仕事をしているので、仕方がないと思いながらもここまでキャンセルが続くと私もちょっと考えちゃう。
先週は「天気が悪いからやめよう」と・・・
で、ふと考えた、今日もし私からメールをしなかったらどうなるんだろう???
案の定連絡はなかった。
私は別にお金が欲しくて日本語を教えているわけではない。現にレッスン料は相場の半額以下。
彼女たちが習いたいというから教えている。
確かに私は現在仕事をしているわけではないし、授業もないから"暇"と言われてしまえばそうかもしれない。
でもレッスンの為に準備をしたりすると、単にレッスンをする1時間では済まされない。
どんな人にとっても時間の価値は同じだと思う。
別に一日中ボ~としているわけでもないし、やることだってある。
なんかすごく複雑・・・
これ、日本人だからかなぁ。
「やるの、やらないの」とはっきりさせるべきなのだろうか・・・
まさか私がその時間を空けて、連絡を待っていたなんて思ってないよね。
まぁ80%連絡は来ないと思っていたので、普通に夕食の準備していたけど。
日本人のように相手の立場にたって考えて、とは言わない(私たちは考えすぎのところもあると思うので)
でもさぁ・・・ちょっと悲しいなぁ。
こんなことで考えてしまうところが一番日本人ぽくて嫌だなぁ。
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でも、年賀状をもらった人は、書いてある内容を確認しないにしても、来た事は覚えているはずです。私も10年くらい年賀状を書いている人から一度も返事が来た事がありませんでした。しかし、私はその人を尊敬して出していただけだし、返事がこなくても自分の気持ちが伝わったと思っています。また、もらった方もうれしいはずです。
それから、日本語のレッスンが1度につき2時間で50ユーロするとすれば、10回の回数券で300ユーロなんて決めればいいと思います。1ヶ月でそれを使い切っても、1年でそれを使っても良いという条件で、、、。
ありがとうございます。手紙の件だけでなく、"日本人の常識"はあくまでも日本人の常識であって、"世界の常識"ではないのです。日本は義理人情の国だからこういう意見が出ることも分かります。私だって思わないこともないです。でも見返りを求めてやることは仕事くらいではないでしょうか?あくまでも"気持ち"が大切!!その点ではイタリア人から学ぶこと、まだいっぱい有ると思っています。
習い事、特に語学は明確な目的やある程度"義務"でないと続かないということは自分の中でも理解していたはずなんですけどね…日本語を習いたいということは日本に好感を持ってくれているということで日本人としてすごくうれしいんです。だからこそ日本語を教えているわけですが、それがこういう風に中途半端になってしまうと、なんとなく日本のことも馬鹿にされているようで(うまい言葉が見つからないのですが)悲しかったんですよね。
それと、お友達が日本語の勉強を途中でやめてしまってもあまりガッカリしないでください。日本語は難しいからとってもたくさんの壁があるし、イタリアが大好きな人でも言葉を習うのをやめてしまった人をたくさん見かけます。
言葉を教えるとき、興味がある分野の話をたくさんして、そのなかで文法を教えるともっと楽しくなると思います。
先生は大変ですが、今回に懲りずに頑張ってください。
重ねがさねありがとうございます。ただ1つ問題があって、この国はクリスマスに郵便が届かないことが多いんですよねぇ。このメッセージをくれた方もその一人で以前はクリスマスカードも出していたのですが、まともに着いたこと(紛失です)がないんですよね。こんな苦労もされているので、多分出したくなくなってしまったんだと思います。
イタリアでは今年もあちらこちらで郵便が届かないという話を聞きました。(クリスマス前後から今くらいまではホント信用できません!)
日本語のほうは懲りずに頑張ります!って本当は私ではなくて生徒の方に頑張ってもらいたいんですけどね…^_^;
クリスマス直前にちゃんと届いたイタリア郵便に感心していました。
ちなみにそのイタリアの友人はフランスに行く際、
友達に渡すお土産を買いに行かなくちゃ!と準備していました。
震災の時は電話もかかってきたし…希なタイプなのでしょうか…。
返信があまりこないのは海外に住む日本の友人のほうかも…。
まぁ一概には言えないんですよね。ただ、こちらから出す分にはちゃんと着きます。イタリアを出てしまえば問題ないんですよ…調度今日タイミングよく台湾からハガキが届きましたが消印を見たら12月9日!?1ヶ月以上かかっています。(-_-;)
このイタリア人のお友達は私が思うに稀だと思うます。(いや、マメな人はマメです!)是非大切にして下さいね。
海外に住む日本人…もしかしたら出しているかもしれませんよ。郵便のせいで友情にヒビが入ったりしないといいですが…^_^;