茶道とキリスト教の関係性についてお話した後は…
私が勝手に選んだこの記念館の最重要展示物3点についてご紹介します。
まず、何をおいてもこれでしょう!!
館長さんが例の16世紀の宗教画について説明してくださいました。
これです。
その宗教画はこの右手の展示ケースの上の長細い部分に長年無造作に飾られていました。
それを4年前、館をリニューアルするにあたって外し、よく見てみると重要なものではないか?と思ったそうです。
ただ、記念館はそれほど潤沢な資金が有るわけではなく、修復や調査も順番に行わなければならず、ようやく最近順番が回ってきての今回の結果だそうです。
この新聞記事が出てからというもの、古文書研究者だの花押の研究者だの、宗教画の研究者だの色々な分野の名だたる大学のお偉い大学教授などから毎日のように連絡が来るようになったそうです。幸いなことにお金を出さずとも、勝手に調査してくれているらしい。(笑)
戸惑いながらも喜んでいる館長さん。研究結果はもう少しまとまってからの発表になるそうです。
文字は祈りの言葉、ラテン語、を耳で聴きとってかな書きしたもの。現代語訳も見せて頂きましたが、ラテン語の読みときっちり合致するもではありませんでしたね。その書体は室町末から安土桃山初期に使われていたものらしい。
放射性炭素を用いた紙の年代特定では1556~1663頃という結果がでたそうです。
1つお話を聞いていて興味深かったのが、これが巻物であっても紙を貼り合わせ一本にしているということで、その一番始まり(右の部分)だけが3枚になっているそうです。他の部分は全て、文字や絵が書いてある紙とそれを保護する抑えの紙の2枚後世なのに…
更にその3枚のうち、二枚目、つまり上下が挟まれている紙にはローマ字が書かれています。
これは研究者の話ではどうやらオランダ語らしい、と。
だからこの巻物は一度海外に出されたものではないか、という見方がされているそうです。
個人的には、オランダ語の紙が挟まれているだけでは、海外に出た証にはならないのでは?と思うところも有ります。
だって、長崎なら簡単にオランダ語の書物は手に入ったわけだし、もし言語が他の言語ならその可能性も有りますが…
まぁ、どちらにせよ、非常に興味深いことには変わりないわけで、それは専門家であろうと私のような素人であろうと変わらないと思います。私はとりあえず色々な先生方の結果を楽しみに待つだけですが。
そして2個目は多分澤田美喜のコレクションの中で一番貴重だと思われるこれ。
通称「魔境」です。
これは裏側ですが、表の鏡、普通に見てれば何の変哲もない鏡なのですが、光を当てるとキリストの磔刑図が浮き上がって来ます。外国人がこの鏡を「マジック・ミラー」と言ったことから「魔境」と呼ばれるようになったそうですが…
これは「魔境」を忠実に再現したレプリカを使ってキリストを映しだしているのですが…いまいちわかりませんかね。
このレプリカを作ったのは日本で現在唯一「魔境」を作れるという京都の山本合金製作所。
その4代目山本富士夫氏の作品で、富士夫氏が制作した「隠れキリシタン魔境」は世界に2枚しかない。
1枚はここ澤田美喜記念館に。
そしてもう1枚は2014年ローマ法王を訪問する安倍首相の手土産としてヴァチカンに贈られたそうです。
今の時代ならレントゲンを当てるなどして簡単に構造を理解することは可能だし、技術も格段にアップしている…と言っても現在も全て手作りなので、大変は大変だけど、当時の苦労は今より格段も大変だっただろう。お金もかかるし。それでもこの「魔境」を作ったということは、やはり並々ならぬ信仰心が、職人を奮い立たせたのに違いない。
京都の最後の鏡師のことを詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。
そして最後は、今まで全然気がつかなかった疑問を解決してくれたこれ。
小学生の時、隠れキリシタンを発見するために「踏み絵」を行ったと習いましたよね?
でも、遠藤周作の「沈黙」をハリウッドで映画化した「沈黙ーサイレンス」でも、踏んでいたのは「絵」ではないですよね?
銅版みたいなもの。これ、よく考えたらおかしくないですか?
勿論理論的には分かります。もし「絵」だったら、何にも踏めないし…でも何で「絵?」
それを解明してくれたのがこれでした。
やはり初めは「絵」だったんです。
スペインから来た版木浮き彫りのようです。
これで版画を作っていたそうです。
<訂正>と書いてしまったのですが、いつも貴重なコメントを頂く山科様からご指摘を頂きました。
「版木ならこれで刷ると左右反対になりますから、幼児キリストが「左手」で祝福することになります。
横においてある紙は拓本で版画ではありません。拓本は紙をものにおいてその上に墨をおくもの(これなら左右反対にならない)、版画は紙の下に墨をおくものですから。」
そして、やはり紙では何人も踏めるわけはない。切れたらすぐ新しく刷らなきゃいけないのも手間です。
そして何より「ありがたみ」が紙には現れないんです。紙にはリアル感がないんです。
ということでキリストやマリアの彫刻や宣教師が携帯していた十字架などを踏ませることにしたんだそうです。
「踏んだ人は生き残り、踏めなかった人は殺された」
キリストは「踏んでくれ」と思っていたでしょうね。
以上3点が記念館の”三種の神器”と言えると思います。
一階の展示室を見た後は、2階の礼拝堂にも行ってみて下さい。
階段には
素敵なステンドグラス
グリザイユ絵の具を使って13世紀の技法を用いて制作されてます。日本ステンドグラス教会の有志が製作し、寄贈してくれたものなんだそうです。
誰もいません。
現代風の礼拝堂です。
澤田美喜が日本のキリシタンの殉教の事実を知ったのは、サンフランシスコー横浜間の船上だったそうです。
それから40年、そんなキリシタンの歴史に魅せられた美喜は九州の島々を巡り歩いて遺物を集めました。
今年「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に認定されたことで、再びこの悲惨な歴史にスポットが当たり、研究が進むことは澤田美喜および記念館の願いでもあるでしょう。
そして私のように全く知らなかったキリスト教信者であってもなくても、多くの人が興味を持ってくれることを願わずにはいられません。
カウンターにはひっそりと小さなプレゼピオが飾られていました。
記念館を出て山を下りると、来た時には気がつかなかったのですが、
澤田美喜さんの肖像と
シンプルなクリスマスツリーが有りました。
版木ではないと思います。
なぜなら、版木ならこれで刷ると左右反対になりますから、幼児キリストが「左手」で祝福することになります。
横においてある紙は拓本で版画ではありません。拓本は紙をものにおいてその上に墨をおくもの(これなら左右反対にならない)、版画は紙の下に墨をおくものですから。
拓本用版木ってのはちょっと考えられませんし、おそらく浮き彫りの一種じゃないかと思います。
ご指摘ありがとうございます。
私の知識もあいまいで、聞いたままにそのまま書いてしまったもので…確かにそうですよね。「拓本」についてもご教示くださりありがとうございます。
縁が厚く、本体が薄めの銅鏡をひたすら磨いて薄くすると、
魔鏡になることがあるようです。
意外なほど出来やすい現象らしいですね。
曇った鏡を磨くということは、江戸時代以前には日常的に(数ヶ月に1回)行われてましたから、珍しくなかったのでは?と思います。
上海博物館には紀元前の魔鏡が2面あるそうです。漢時代だって磨きは頻繁にやっていたわけですから、偶然出来てしまうこともあったでしょう。
いえいえ、教えて頂きありがとうございます。最終日が近かったこともあり非常に混んではいましたが、新境地が開けた感じです!
いつも有益な情報をありがとうございます。
これも古き良き伝統の副産物という気がします。安価である程度の質が良いものが簡単に手に入る現代とは対極にあるものですね。例え需要がなくても、絶やさないで欲しい技術の1つだと思います。