イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

ジョン・レノンの壁 (John Lennon Wall) ープラハ

2020年12月10日 17時56分27秒 | 他の国

1980年12月8日、ジョン・レノンは突然この世を去った。
今年は没後40年ということで、先日ニュースでも取り上げられていた。

丁度、去年の今頃、私はプラハにいた。
プラハには ”John Lennon Wall”、ジョン・レノンの壁と呼ばれるものがある。

プラハと言えば、のカレル橋を渡ってしばらく行った大使館が立ち並ぶ静かなエリア。

ちなみにこれは我らば日本大使館。
この日は確か日曜だったので、当然閉まっているし、ここには御用になりたくないです、はい。
雰囲気の良さそうなカフェやパン屋さんなども有って、予定がなければここらで一杯といきたかったけど…

”平和の壁”としての認識しかなかったこの壁のことを、今回この本を読んでちゃんと調べてみた。

この本の作者と同じく、私もどちらかというと旅行前はガイドブックをパラパラ、戻ってから色々と調べるタイプ。
行く前に読んでもピンと来ないのよね。
この本を読んだら、もう少しプラハのことが知りたくなった。

プラハに共産主義の時代が有ったこともこの本で知った。
そしてこの壁もそんな不自由な時代に反発するものだったと知った。

1960年代前半この壁の近くにJen Werichという俳優が住んでいた。
1968年、プラハに短い春が訪れたがそれはたったの4か月。
「プラハの春」という一瞬の自由のあとに訪れたのは、共産主義だった。
新しく立てられた共産党政権は改革運動を解体させた。(チェコ事件)
厳しく言論が統制され、多くの俳優や芸術家、文化人達が国外亡命を余儀なくされた。
当時の有名俳優であった Jen Werichも国外亡命を選んだ。
しかし一度亡命をしたものの、弾圧を受けても祖国チェコへ戻ることを選んだ彼に、若者達が賛辞を表し、この壁にメッセージや希望を書き始めたが、この壁の始まりだが、次第に不満や怒りがこの壁に書きつけられた。
壁にメッセージが書かれるたび、政府はそれを塗りこめた。
そんなやり取りが最終的に、政府と市民の衝突を生み出す。
当時の記録によると、何百人という学生と保安警察がカレル橋で衝突した。

1989年、「ビロード革命」によってようやく民主化という自由を手に入れたチェコ市民。
今のプラハの街を歩いてみれば、民主化されてたかだか30余年とは思えない、否、たかが30数年前は共産主義国だったとは思えない。
私にとって「プラハの春」は世界史の授業の中の出来事で、チェコが自由化されてことなど全く記憶になかった…

ジョン・レノンはこの壁を訪れたことはない。(オノ・ヨーコは2003年にプラハを訪れ「私たちのハートはひとつ。ジョン、愛している、YO」とメッセージを残した。)
いつでも自由を求める若者たちのメッセージがこの壁に溢れている。

この壁の持ち主は、マルタ騎士団。

日曜日の為中には入れなかった。



これは2014年夏の壁。(写真:Wikipedia)
それが”ビロード革命から25周年にあたる2014年11月17日、壁は美術科の学生グループによって一面真っ白に塗られ、ただ“wall is over”(ママ)とだけ書かれた状態になった。マルタ騎士団はこの学生グループの破壊行為について当初は被害届を出したが、彼らと連絡をつけたのち取り下げた。なおこのフレーズは2017年7月23日時点でまだそこに残り、歌の“War Is Over”に改変されていた。”(引用:Wikipedia)
2014年には民主化運動の真っただ中にあった香港にも「レノンの壁」が出現した。(東京にも有ったらしい)


こちらは2018年の壁。(写真:Wikipedia)
写真が小さいせいもあるけど、既に何が書いてあるのか分からない。

そして2019年は3度も壁が書き換えられている。
4月22日、アースデイにあたるこの日、市民団体のエクスティンクション・リベリオンは、チェコ政府に気候変動への働きかけを呼びかけるスローガン、チェコ語で“KLIMATICKÁ NOUZE「気候非常事態宣言」”と書き、壁全体を塗り替えた。
他にも同じ意図の数か国語でのメッセージと巨大な頭蓋骨の絵が描かれた。

7月になると、香港における逃亡犯条例改正案反対運動のシンボルでありその殉教者でもある民主化活動家レオン・リング・キットを追悼する作品が描かれた。この絵では、彼が垂れ幕を掲げビルから落下したときに着ていた黄色い雨合羽と、“Hong Kong, Add oil”(香港がんばれ)という連帯を示すいくつかの言葉が描かれていた。

8月4日には、加熱する「違法な落書き」を防ぎ、毎日この場所を訪れる大量の観光客対策のため(広場にはフランス大使館が建ち、周辺にも多数の大使館があることもある)、壁に監視カメラが設置され。

更に11月「ビロード革命」30周年のタイミングで壁が建て替えられた。
17日、新しいルールに従った屋外ギャラリーとして生まれ変わった壁がお披露目された。
新しい壁には、チェコのデザイナーであるパーヴェル・スタストニィによって集められた、チェコおよび国外の30名以上のプロのアーティストによって描かれた。
新しいルールによると、壁にスプレーを使うのは禁止。それ以外の鉛筆、マーカー、チョークなどの繊細な画材で、定められた白いフリースペースにのみに自由と愛に関するメッセージを残せるものとされた。またアーティスト達が描いた部分が汚されないよう、監視カメラと警官が壁を見張ることになった。


私が行ったのは12月。冷たい雨も降っていたので、観光客の数は少なかったが、壁一面には世界中の様々な言葉で書かれた平和のメッセージは壁一面に溢れていた。

世界中の全ての人が自由で平和でありますよに。

参考:Wikipedia

12月10日

今日は聖母マリアが現れました。




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
もっと世界を (fontana)
2020-12-11 14:46:59
カンサンさん
世界に目を向けるようになったのは、海外に住むようになってから。日本の良いところも悪いところも見えるようになったのも、海外に住むようになってからでした。
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チェコ (カンサン)
2020-12-10 20:26:23
fontanaさんへ、プラハへは中欧3か国(ハンガリー、オーストリア、チェコ)のツアーで行きました。チェコに行く前、ツアーに参加してフランスに行ってました。自由行動の日に、朝食のあとモンマルトルの丘に行きました。その時、近くにいた人としゃべったら、チェコから来た人でした。プラハの春の頃は15-20歳前後だったような人だったので、プラハの春の時は大変でしたね、などと言ったら、うなづいていました。
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