Corridoio vasariano(ヴァザーリの廊下)は世界的にも有名だが、フィレンツェにはもう1本、秘密の廊下が有ることはあまり知られていない。
通称Corridoio mediceo(メディチの廊下)、こちらはそれを造った人の名前ではない。
ヴァザーリの廊下の長さがおよそ1キロ、に対してこちらの廊下はたった125m。
ヴァザーリはたった5か月で仕上げたのに、こちらは半年かかっている。
建築家はGiulio Parigi(ジュリオ・パリ―ジ)
初めて聞いた名前、って私も。
この人は万能の人Bernardo Buontalenti(ベルナルド・ブオンタレンティ)の弟子
余談だがブオンタレンティはジェラートも作った人。(昔そのこと書いたので、こちらをご参照あれ)
やばい、ジェラート食べたい!!
肩書は建築家、数学家、版画家、舞台美術家となかなか多彩なのだが、”派手な”代表作がない。
強いていうならGiardino di Boboli(ボーボリ庭園)の改修に携わったことと、この”廊下”だろう。
ヴァザーリは家や宮殿、教会を通したのに対し、パリ―ジは庭園を通り、教会へと通した。
この廊下は、メディチ家の暴漢除けの通勤路として造られたヴァザーリの廊下と違い、ある一人の女性のためだけに作られた。
その人の名はMaria Maddalena dei Medici (マリーア・マッダレーナ・ディ・メディチ1600-1663)
写真:https://museoarcheologiconazionaledifirenze.
Ferdinando I de' Medici (フェルディナンド1世・デ・メディチ)とCristina di Lorena(クリスティーナ・ディ・ローレーナ)の9人の子どもたちの8番目、兄(長男)はCosimo II(コジモ2世)。
このお姫様、生まれた時から障害が有ったらしい。(小さい時に大病を患ったという記事も有る)
20歳になるまではお屋敷に住んでいたらしいけど、お年頃になったらずっと屋敷に隠しておくわけにもいかない。
しかし、結婚は出来ず、修道院に入ることもできない。
彼女は歩行困難で、階段の上り下りができなかったらしい。
そこで妹思い、いや~世間体だろう、兄コジモ2世はメディチ家のレベルに見合った「豪華な牢獄」を彼女に与えたのだ。
ここで登場するのがパリ―ジだ。
1619年、彼女が生活するために修道院や教会にも近い場所にお屋敷を建てることになる。
この場所はCrocetta、Angiolini, Annunziataなどの修道院が近くにあった。
その一つから名前を取り、Palazzo Crocetta(クロチェッタ宮)が建てられ、そこは彼女の終の棲家となった。
お屋敷からはそれぞれ、彼女が階段の上り下りをしなくても良いように、また人目に触れることがないように、外に出ずに修道院や教会に行けるような4本の”橋”が架けられた。
一本はospedale degli Innocenti(オスペダーレ・デリ・イノチェンティ)へ
もう2本がこれ。
via della Pergola(ぺルゴラ通り)の上とvia Laura (ラウラ通り)の上。
そして残る1本がvia Gino Capponi(ジーノ・カッポ―二通り)を横切る橋。
その橋が教会をぶち抜いている。
写真:Wikipedia↑↓
Basilica della Santissima Annunziata(サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会)。
辛うじてこの写真の右上に写っているこの橋を渡ると教会の2階に当たる部分のプライベート礼拝堂に直に入れる。
写真:https://museoarcheologiconazionaledifirenze.wordpress.com
お姫様とお付の人がミサに参加できるだけ、という割に結構広いスペース。
窓には金も使った格子がはまっている。
写真:http://www.danielacavini.eu/il-corridoio-segreto-della-principessa-imperfetta/#
教会内部から見るとまさにこの位置。
写真:http://curiositadifirenze.blogspot.com/2011/02/via-capponi-e-via-laura-i-passaggi-di.html?m=1
こんな感じ。
写真:http://www.danielacavini.eu/il-corridoio-segreto-della-principessa-imperfetta/#
このプライベート礼拝堂と橋、それに続くお屋敷の通路が、通称Corridoio mediceo(メディチの廊下)。
Palazzo Crocettaは現在Museo Archeologico Nazionale di Firenze(フィレンツェ国立考古学博物館)となっているのだが、廊下の外観は1900年初頭はこんな感じで外から形跡が分かったのだが
写真:https://museoarcheologiconazionaledifirenze.
1929年ここに新しい博物館(Museo Topografico dell'Etruria)を新設するため改築され、廊下のアーチは建物の内部へ隠されてしまった。
手すりの向こう側が廊下。
現在はすっかりきれいにリフォームされ、廊下は広げられ、メディチ家が所蔵していた宝石類が飾られている。
今は特別なイベントが有る時だけ、礼拝堂まで行くことが出来る。
私は確か考古学博物館のリニューアルオープンのタイミングだったかなぁ?で1度だけ通ったことがあるのだが、どこを探しても写真が見当たらないんだよなぁ…
この廊下はMaria Maddalenaの為に宗教画で覆いつくされていたのだが、1633年Maria Maddalenaが亡くなると、大公の意向で廊下は真っ白に塗りつぶされ、他の2本の橋と共に壊された。
住人がいなくなったお屋敷の方は、コジモ2世の娘のAnna(アンナ)やコジモ2世の息子Ferdinando II(フェルディナンド2世)と結婚したVittoria Della Rovere(ヴィットーリア・デッラ・ローヴェレ)などのお姫様が嫁入り前に住んでいたこともある。
その後1645年から51年にかけて大きな改築が行われ、イタリア統一後は国有に、最終的に国立の考古学博物館となった。
そういえばOspedale degli Innocenti内にもこんな場所が有った。
この人形すごく怖いんだけど…
ここも下に有る教会が覗ける。
La chiesa degli Innocenti
写真:Wikipedia
ヴァザーリの廊下と比べると、こちらはちょっと悲しい背景があるのだが、こういう秘密の場所って結構あるんだよなぁ…色々思い出さないといかんいかん。
参考:https://museoarcheologiconazionaledifirenze.wordpress.com/tag/corridoio-mediceo/
http://www.danielacavini.eu/il-corridoio-segreto-della-principessa-imperfetta/#
http://curiositadifirenze.blogspot.com/2011/02/via-capponi-e-via-laura-i-passaggi-di.html?m=1
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障害者のための施設という意味で、もっとアピールしても良いものだとおもいます。
おそらくウイルス性の病気(天然痘など)での後遺症・障害ではなかったか? 現在でもワクチン接種での麻痺副作用などがありますからね。
しかし、アヌンチアータにこんなものがあったとは知りませんでした。
コメントありがとうございます。
確かにそういう考え方もできますね。個人的には日本でも昔はあったように、障害者を人目に触れず”監獄”に閉じ込めておいた、というイメージだったのですが、記事を読むと屋敷では音楽を聞いたり、芝居を観たりと結構自由にしていたようです。修道院に入っている他の女性たちもそこに参加していたようで、司教は心配し、彼女の死後すぐに秘密の通り道を壊させた、という説もありました。
知名度が低いのは国立考古学博物館が暫く修復中だったことも有るし、建築家がマイナーなこともあるのでしょうか?