Firenze: "Leonardo non ha dipinto la Battaglia di Anghiari nel Salone dei Cinquecento"
フィレンツェ、レオナルドは「500人大広間(Salone dei Cinquecento」に「アンギアーリの闘い(Battaglia di Anghiari)」を描いてはいない。
写真:Wikipedia
という結構衝撃的な見出しがネット上に躍っていた。
個人的にはやっぱりね、という感じだが…
2012年これに関してはちょっと触れていた(記事はこちらですが、内容がほとんどはずれているのでご注意あれ。またリンクしたヤフーニュースは消えています。)
え~と、長年に渡って世間(?)を賑わせていた、ヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)の500人大広間(Salone dei Cinquecento)のヴァザーリ(Vasari)の「マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い(Battaglia di Marciano della Chiana)」の下に、ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)の描いた「アンギアーリの闘い(Battaglia di Anghiari)」が隠れている問題がいよいよ解決した?
ちょっとこれを機会にこの件を復習ってみよう。
そもそもこのイタリア版「徳川埋蔵金」問題が話題になりだしたのは、2005年。
サンディアゴのカリフォルニア大学のサラチーニ教授(Maurizio Saracini)が言い出しっぺ。
「フレスコの壁画『マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い』(Battaglia di Marciano della Chiana)の一つの裏にダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』が隠されている」と世界中にぶちまけた。
教授は「ヴァザーリのフレスコ画の12m地点、フィレンツェ兵士が掲げている緑色の軍旗のところに、"CERCA TROVA"(「探せ、さすれば見つかる」)というヴァザーリの文字が記されており、これがヒントである」と考えたのである。(この辺は「インフェルノ」にも引用されてますが)
2007年委員会を設立フィレンツェ側ひいてはイタリア文化省の許可を得て、その年の10月から本格的な”宝探し”がスタートした。
翌年フィレンツェ市はNational Geographic Societyと調印し、年間50,000€を市に支払うことで、5年間の研究を許可した。
この辺から専門家だけでなく多くの人々が、ヴァザーリの作品を傷つけるのではないかと危惧していたのだが、その心配が現実のものとなったのが2011年。
この年、500人広間には足場が組まれた。
サラチーニは、壁にレーザーを照射し、ダ・ヴィンチの絵を隠すための壁の空間を探しはじめた。
セラチーニ教授は、ヴァザーリが尊敬する師ダ・ヴィンチの作品を傷つける筈がない、と確信していたので、五百人大広間を隈なくレーダーやX線による調査を行った。するとダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』があったと言われる東側の壁面に隙間があることを発見した。2つの新旧の壁の間には1cmから3cmの空洞があった。それはヴァザーリが『アンギアーリの戦い』を保護するに壁を2重にしたのではないか、という考えに基づていた。
その後内視鏡を使い、確信を抱いた教授は6つの穴をヴァザーリの絵の上にあけることを決めた。
これを見ていたCecilia Frosininiは内視鏡での調査を止め、ヴァザーリのフレスコ画に穴をあけることを拒んだ。
2011年12月Italia Nostra ONLUS(「私たちのイタリア」)というイタリアの文化・芸術・自然を保護するための非営利団体によってフィレンツェ市にこの調査を止めさせるような要望書が提出され、研究者のグループはダ・ヴィンチの作品を探す調査に対する不透明さとヴァザーリのフレスコ画を傷つけられるのではないか、という不安を市民にぶつけた。
この時点で調査は一時中断したものの、翌年壁の隙間から顔料が見つかったと発表する。
なんとその顔料がダ・ヴィンチが「モナリザ」に用いたものと同じだという。
またフィレンツェ市はヴァザーリのフレスコ画が傷ついていないことも調査していた。
しかしOpificio delle Pietre Dure(貴石修復研究所)はサラチーニが発見した物質を渡さないことを不満に思い、当時市長だったMatteo Renziはイタリア文化庁にこのことを報告し、物質研究の権限を求めたが、イタリアのお役所の動きがどれだけ遅いかは、周知のこと。文化庁の動きが遅かったため、サラチーニはプライベートの調査機関で調査を行い、それ以降この”宝さがし”は中断した。
今回2016年、ヴェッキオ宮のまさに500人広間で行われた、様々な分野の専門家による様々な先入観を抜きして文化的、建築的な見解で見たダ・ヴィンチの「アンギアーリの闘い」に関する講演会を1冊の本にまとめ、10月7日発売された。
本のタイトルは
”La Sala Grande di Palazzo Vecchio e la Battaglia di Anghiari di Leonardo da Vinci. Dalla configurazione architettonica all'apparato decorativo”(ヴェッキオ宮の500人広間とレオナルド・ダ・ヴィンチのアンギアーリの闘い 建築様式から装飾まで)
本の監修を努めた人の中には、ダ・ヴィンチの専門家で2011年の調査にもかかわっていたOpificio delle Pietre Dure、イタリアでは1,2を誇る修復のエキスパートが揃う「貴石修復研究所」の壁画修復部門の責任者であるCecilia Frosininiもいる。(それにしても早口だなぁ…)
記事には、驚いたことに2012年セラチーニ教授が開けた穴から抜き取られた顔料はなんと「無くなった」という。
なんですと~!!と私でも言いたい。
私が参考にした新聞記事には「無くなった」の部分には””が付いているので、これ単なる「無くなった」ではなく別の意味が込められているのでは?
例えば「最初からなかった」とか「実は有るけど、隠してる」とか…
おいおい、なんてこった。
「どちらにせよ、5つのうち4つの穴は必要なかった。(6つ開ける予定が5つだったのか、3つと言ってる記事も有るんだけど???)唯一重要な物質は『モナリザの黒』の顔料だった。」とFrosininiは言う。
ただこの黒い顔料もヴァザーリの下にダ・ヴィンチが隠れているという決定打にはならないとFrosininiは続ける。
「なぜならこの黒い顔料はダ・ヴィンチだけではなくジョット(Giotto)から始まりカラヴァッジョ(Caravaggio)に至るまで、数多くの画家たちが使っていたものだから。」
2012年の壁から取られた物質の化学的調査報告から見ると、「取り出された物質は顔料ではなく当時の壁の物質だった」と文化財分野で一番有名な化学の専門家Mauro Matteiniは言っている。
じゃあ、「どこにアンギアーリの闘いはあるのか?」
「ダ・ヴィンチはヴェッキオ宮の500人広間でいったい何をしたのか?」
彼らの答えは
「ダ・ヴィンチは私たちが長年探していた『アンギアーリの闘い』を500人広間に描いたことはない!」
「確かに準備用のカルトンは描いたが、ただそれだけ。それを壁に描いたことはない」
これは衝撃的な…
じゃあ、あのヴァザーリのメッセージは?
「あれは単なる格言。」だ。
「専門家が単に踊らされただけ」と。
実際この本を読んでみないと詳しくは分からないが、何はともあれ、徳川埋蔵金のようにあちこち掘ってみないでよかった。
踊らされた方も悪いけど、ヴァザーリさんってば。
まぁ、ダ・ヴィンチがいくら偉大な画家だったと言えども、ヴァザーリの作品をむやみに壊さなかったことが全てもの救いだろう。
参考:https://firenze.repubblica.it/
https://www.finestresullarte.info/attualita/nuovi-studi-battaglia-anghiari-leonardo
コメントありがとうございます。
本を読んでみないと、どういう根拠でそういうことになっているのか詳細は分かりませんが。
それより私は、以前むろさんが言っていたことを思い出しました。
「ヴァザーリがダ・ヴィンチの作品を壊すわけがない」という考えも現代人の感覚なのかも。
元々ダ・ヴィンチが依頼を受けたのは、メディチ家が追放されていた頃のフィレンツェ共和国からだったわけだし、ヴァザーリは依頼主の意向に沿うために何の迷いもなく作品を壊した、というのは普通だったのではないかと。
ただそれも全てダ・ヴィンチ壁に何か描いたという前提が有っての話ですけどね。
ヴァザーリはミケランジェロを強く尊敬(崇拝)していたので、カッシナの戦いをミケランジェロが実際に描いていれば、その部分は上書きしないで残しただろうと思われるのに残念。
ペルジーノの絵をつぶしてその上に描いたと聞いた時は、非常にがっかりしました。
日本語で読める資料が有るとは知りませんでした、情報ありがとうございます。
魚座、牡羊座、エリダヌス、オリオン(リゲルともう一つ)、アルデバラン、プレアデス星団アンドロメダ星雲近辺の天体図と
主要登場人物と思われる人物たちはが描かれた部分に羊の顔が描かれた部分があり、それが牡羊座です。
星座表を百八十度ひっくり返した位置に主要人物たちの顔が主星の部分に当たる位置に描かれており、
鏡文字を使った、天文学者であったダビンチのならではの作品となっています。