イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

ケルンの教会巡りーGermania その5-1

2016年01月02日 20時41分33秒 | 他の国

1月2日、みんなが望んでいた雨が降りました。
年末車両規制をし、暖房も公共施設は設定温度18度ということで、なんとかスモッグ対策を講じていたイタリアですが、
本当に馬鹿だなぁ…
大晦日に花火や爆竹を打ちすぎて、元の木阿弥。
元日の昨日は、年末よりもひどいことになったそうです。
それでも何とか今日の雨で助かったようですが…

さて、公約(そんな御大層なものではありませんが)通りドイツの続きと行きましょう。
え~と、なんかすごく長いことドイツにいた感じがしますが、これが3日目でした。
この日は夕方までケルンで夜はデュッセルドルフでオペラです。
いや~今考えると無謀極まりないですよ。
何でいつもこうなんだろう?
しっかり計画している無計画な私です。(よくわからん)

この旅においてケルンは自分の中ではかなり重要な位置にありました。
当然、世界最大のゴシック建築の大聖堂が一番の目的でしたが、その他にも結構いい美術館、博物館があるなっと。
ここまでは旅行を決めた時から調査していたのですが、旅立つ直前になんとケルンには10数か所のロマネスク教会が有るって。
く~失敗。
知ってたらもう1日伸ばすんだった…といつもこれだもんな。

ということでこの日は13教会+3美術館、可能なら4美術館を制覇、というどう考えても不可能でしょう?という無謀な計画を立ててスタート。
ホテルを早め、と言っても9時頃だったかな?に出て頑張ろう!ということで まずはホテルのそばの教会へ
幸いホテルでもらった地図がとっても良くできていて、教会は教会でちゃんと分かれて書かれていた。
グーグルマップという文明の利器があるものの、私やはり紙の地図の方が使いやすかったりする、古い人間なもので・・・ 

1番は高架下を通って

駅と大聖堂の塔が見えますねぇ。

おお、ドイツにもいますねこういうことする人。
サッカーチームのユニフォーム???
良いですねぇ~

1番はSt.Kunibert教会

ん?地図にもそう書いてあるけど、なんか本当にここだったのかなぁ???
ははは、今気が付いたけど、やはりここじゃなかった。
同じ通りだったけど、私騙された…いやいや、見誤っただけ。
教会だったから確認せずにこれだと勘違い。
通りで入り口が分かりにくかったわけだ。

じゃあここはどこなんだ???
ここはUrsulinenschule Gymnasium fur Madchen
なんじゃ?もしや学校???
ははは…

中もこんなですし、ロマネスク教会のわけないですよね。

ここからホテルの方へ戻って

丁度電車が見えました。
もっと日が差してたら良い絵になったのに。
次は

St.Ursula(ウルスラ教会)
ここはロマネスク教会ではなかったようですね…って今思ったんですけど、そうでもなかった。

中では丁度ミサをやっていて、帰りホテルに荷物を取りに行くついでにもう一度来ようかとも思ったけど、時間切れ。
まぁ結果的には来なくてもよかったみたい…と思ったですがそれが大違いでした。
ミサをやっていた方にGoldene Karmmer(金の小部屋)と呼ばれる部屋があり1643年に作られたこの部屋には120体もの聖遺物胸像があり、壁の上部は人骨に覆われているそうです。
興味の高さとしてそれほど高くはないですが、せっかくなので見ておきたかった…という気持ちは否めません。
ここの事を詳しく書いた日本語のサイトを出発前に見つけていたにもかかわらず、しっかり読んだのは今でした…ダメだねこりゃ。
更にケルンは先の大戦でほとんどの教会が壊滅状態になってしまったので、見かけでだまされてはいけないんですよね。
あ~まだまだ勉強不足だなぁ…

まぁ気を取り直して3番目。

壁にこんな絵が描かれていました。
ホテルの前を素通りし、同じ通りに有る教会も

写真だけで素通り。
ここは地図に載っていなかったので。

3番目に向かったのは大聖堂のすぐそばのSt.Andrea(アンドレア教会)

974年に建設が始まりますが、現在の形は1200年くらいのもの。後期ロマネスク建築。

教会の周りには苔むした石棺が…
中にはAlbertus Magnumの墓が有るそうです。
イタリア語だとAlberto Magno,大聖アルベルトはケルンのアルベルトゥスとも呼ばれる13世紀のドイツのキリスト教神学者。
アリストテレスの著作を自らの体験で検証し注釈書を多数著し、錬金術を実践し検証したりもしたそうです。
教会と錬金術…良いのでしょうか?

ボケてる…少しだけロマネスコの名残がありました。

フレスコ画も結構面白い。
残っているのはやはり一部ですが、特にこれはいいね。
丁度下にPresepioを作っていたので、下が見えなかったが残念ですが…
見えてる部分の一番下は
l'omaggio dei tre re Magi, 東方三博士へのオマージュ
後ろにいる馬を扱う人と、馬まで描かれているのがとても特徴的。
その上はl'Annunciazione(受胎告知), la visita di Maria a Elisabetta(マリアのエリザべッタ訪問)、la nascita di Cristo(キリスト誕生)の3シーン
一番上はl'incoronazione di Maria per mano di Gesù Cristo, circondata da angeli.(天使に囲まれてキリストの手によって戴冠されるマリア)です。


ピエタ、14世紀初期の作品で、古いドメニコ修道会であるSanta Croce教会から来たものらしい。
すごくドイツっぽい彫刻です。 

柱頭に少しだけ痕跡があるような、新しいもののような…
一番感動したのはこれ。

Cripta(地下礼拝堂)の中ですが、古いフレスコ画ほんの少しですが残っていました。
この地下礼拝堂は教会の中でも最も古い部分で15世紀に破壊されてしまっていたのですが、1953年再発見されました。
ということで現在は残念ながら50年代の様式なんですけど、よ~く見ると残ってるんです。
こういうのを発見するとすごくうれしくなります。 
 
この柱の後方に大聖アルベルトの墓が有った…みたいです。(写真撮りませんでした)
石棺は3世紀のローマ時代のもので、まぁ再利用されたんでしょうね、アルベルトが亡くなったのは1280年ですから。
礼拝堂の東側にラテン語で書かれた碑文が残されていて
「ここに大聖アルベルトが葬られている。教会博士、1200年生まれで1223年Ordine dei Predicatori(ドメニコ会)に入り, 1248年パリとケルンの神学の教授となる。
1260年から62年はリーゲンスブルグの司教を務め、1280年11月15日に死去。1931年12月16日ピオス10世により聖列に加えられる。」と書かれていたらしい…見なかった。
「あなたを聖人として迎えられることはドイツの誇り、喜びである」なんてことも最後に書かれているらしい。
死後700年を記念して1980年11月15日時の法王Giovanni Paolo II(ヨハネ・パウロ2世) が巡礼に訪れたそうです。
って私はそれよりフレスコ画が気になっていました…ごめんなさいねぇ 


こんな感じでかろうじて残されているんです。 

もう1つ気になったのは

前日のアーヘンの教会の中の柱にも同じようなものが付いていたんです。
これは番号もついていますよね。14番キリストが埋葬されている様子です。

こちらはそれより前の11番でキリスト磔刑図
これ、古いものなのか新しいものなのか、いまいち判別がつきませんでしたが、キリストの人生を表現していました。 

これは?
ん?地下礼拝堂に有ったのか?

また出た金ぴか
これは…説明がないな。

これが地下礼拝堂への入り口です。

ここもステンドグラスはきれいですねぇ。

Presepio建設中?

これが後陣。かなり質素ですね。

すごく良かったのがこちら。
入り口のドアの上に”エジプト逃避”ですね。

これは?
Confraternita del Rosarioに有った主祭壇画で,  "Madonna col mantello(マントの聖母"と呼ばれています (Meister v. St. Severin, 1510-1515 circa).
この絵はマクシミリアン皇帝が、包囲の危険から街を守ってくれたお礼にと描かせたものです。
聖母がロザリオの女王、Confraternita del Rosario(ロザリオ信者会)の守護者のように描かれいます。
聖母に抱かれた幼子キリストは聖母が首にかけているロザリオで遊んでいます。
聖母の頭の上にはまるで王冠のような赤と白のバラの花飾りを抱えた天使がいます。
聖母のマントは左は聖ドメニコ、右はミラノの聖ピエトロ(ひえ~彼はなんとケルンのビール販売人の組合の守護聖人なんですって)によって広げられ,
聖母のマントで守られた下には聖職者は左(法王とロザリオ兄弟会のメンバー)、世俗の人は右(皇帝やその家族、ビール販売人組合の人々)が描かれています。
下の隅には聖女DorateaとCeciliaが描かれています。 

ってこれイタリア語の説明を読んだのですが、これを読んでいて少し脱線を。
この聖母がマントを広げたスタイルの絵、やはり一番有名なのはこれですかね?

Piero della Francescaの”Modonna della misericordia”慈愛の聖母です。
そう”慈愛”なんですよ。
今年のジュビレオのテーマ(?)もMisericordi、慈愛です。
このスタイルは特に中世、ルネサンスの時代Confraternita della Misericordia(慈悲の信者会)で特に流行りますが、宗教改革以降も分かりやすい信仰の含意のため、廃れることはなかったようです。
聖母はこのマントで全ての悪から人間を守ってくれるそうです。
イタリアでは特にペストの終焉を祝い(?)描かれることが多かったと昔むかしに聞いた気がします。

そしても1点
この感謝を込めて絵を奉納する(?)ということで思い出したのは
1260年SienaがFirenzeに勝利することを聖母に祈念、願いかなってSienaが勝利した後、新しい聖母の絵を描いて奉納したという話を聞いたことが有るのよね。
1311年Sienaの街中を練り歩き、新しくDuomoに納められたのが

Duccio di BuonisegnaのMaestàです。
これ両面に描かれている、すごく大きい作品で、当時一番有名で偉大な画家に注文したという点でも当時のシエナの市民の感謝の気持ちがあふれていますね。

ということで今回はこの3教会で時間切れです。
次回に続く 



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2 コメント

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Misercordia (Leslie)
2016-01-03 12:32:12
ドイツのロマネスクって信じられません。見逃していたジャンルです。わくわくして読みました。それと慈愛に触れて、脱線してイタリアに戻る説明、嬉しい限りです。イタリア語のクラスで使えるフレーズがいっぱいです。でもイタリア語に直すのに一苦労ありますが、これが頭の体操に最高です。いつも感謝しています。絶対日本に戻ったら本にまとめてください。
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magari! (fontana)
2016-01-04 02:21:54
Leslieさん
私もドイツの教会は全部ゴシック(極端)か戦争で破壊されてしまっているんだと思っていたのですが、そうでもなかったです。ドイツ美術は『ドイツ中世美術Ⅰ』(岡野Heinrich圭一)が詳しいそうです。私も帰国したら読んでみよう…ってそれにしても高いな。(-"-)
いつか私も本が出せたら良いのですが…
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