またまたご無沙汰しております。
あ~もう弁解は止めますね。
ここのところイタリア中部では地震が頻発しています。
昨日も3度ほど地震が起こり、人的被害はほとんどなかったのですが、また古い教会が全崩壊してしまいました。
その時間、この辺りはかなり強い雨が降っていたので、避難を余儀なくされた人たちは眠れない夜を過ごしたようです。
日本も地震が多いし、やはり地球のどこかがおかしくなっているのかもしれません。
さて、最近周りの友人からブログを書け、本を書けと以前以上に言われております。
非常にうれしいことなのですが、こうも出かけていると、ブログを更新する前にまた次、次の旅行先のことも調べなきゃ、などなどで暇してるくせになんかすべてが置き去りに…
時には旅行後資料を集めたりもしているのですが、それも全然手を付けられず、全てが山積み。
うわ~どうしたらいいんだろう?
この先も、私が見て来たこと、知ったことをどこかに残すのは非常に有用なのだが、どうも気持ちが追い付かない。
なんて話を先日もあるお友達と話していたら、彼女がブログのためにネタ帳を作っていると聞いたんです。
そうか、とりあえず覚えていることを書き止めておく、調べたことをメモしておく、これをやった方が記事を書きやすいし、このまま行ったらほぼすべて記憶の中から無くなってしまう…
いくらPCに打ち込むのが早くなっても、やはり手書きが楽…
って古い人間なのかな?
でも手書きの方が調べやすいし、書き足しやすいし。
線のない白いノートに今回の旅のネタを書き始めました。
そう思いついたが吉日、というよりもそうなんです、昨日おとといとRomaに行っていました。
急に決めたのですが、以前から気になっていたForo Romano内にあるSanta Maria Antiquaという教会で特別展をやっているのが、今月いっぱい。
知った時は、始まったばかりだったんですけどねぇ…
ということで今回は忘れていた場所ばかりを攻め、新しい発見が山ほどありました。
その中でも、Villa Madiciにようやく行けたのですが、そこにあれほど資料を探してもどこにもなかった卒論関係の資料が有ったんです。
あれを発見した時「やっぱり有ったんだ~」と一人でうれしくなってしまいました。
これぞ”百聞は一見に如かず”、いや”百読は一見に如かず”ですかね。
Villa Mediciと言うからには、勿論もともとの所有者が誰かは一目瞭然。
卒論でもここの辺りの経緯は調べたっけ…ガイドさんの話を聞くまでほとんど忘れてた。
16世紀この宮殿がメディチ家のものになった時、この辺りはローマ郊外だったんです。
最初の持ち主はFerdinando I de´Madici(フェルディナンド1世)
今丁度毎週火曜日Raiで”メディチ”というドラマをやっているんですが…また脱線しそう。
FerdinandoはCosimoIとEleonora di Toledoの5男(子供は15人!?)
12歳で枢機卿になったので、Romaにいたんですね。当然家督を継ぐ可能性はない、ということでの枢機卿ですよ。
それなのに、1587年10月に兄Francesco Iが急死、家督がいきなり彼の元へ転がり込み、この宮殿にFerdinando Iがコレクションしていた古代ローマの彫刻などはほとんどすべてフィレンツェに持って行かれちゃいます。
いや、裏を返せば彼のお陰で、こうしてフィレンツェで古代ローマ彫刻を見ることができるし、
メディチ家のコレクションになったればこそ、フランスに持って行かれずに済んだ、ということもできるわけ。
そうじゃなかったらここに有ったものも、今頃ルーブル美術館辺りに収められていたことでしょう。
なぜルーブルか?
実はここ現在はイタリア国内の小さなフランス、ローマ・フランス・アカデミー (Académie de France à Rome) となっています。
Ferdinando Iのあと何度か所有者を替えたVilla Mediciは最終的にナポレオンの手に渡ります。
この頃在ローマ・フランス・アカデミーは1737年、フランスが所有していたPalazzo Manciniに有りましたが、
1804年ナポレオンははそれをVilla Mediciに移します。
ということで一歩間違えたらフランスに合法的にですが持って行かれていたというわけ。
ちなみもう一か所所有者がフランスの宮殿がローマには有ります。
フランス大使館となっているPalazzo Farnese
予約すれば見学可能です。
Palazzo Farneseと言えばやはりAnnibale Carracciですねぇ。
1663年、ルイ14世は優れた芸術家のためにローマ賞(Prix de Rome)を創設、王立アカデミーで審査された優秀な2人の芸術家に国が補助金を出し、ローマに勉強に行かせていたのですがここはその芸術家たちの滞在先でした。
1803年以降、フランスの奨学金をもらったフランス人アーティスト(のちには外国人もいたし、絵画、彫刻以外、音楽家や美術史家、作家なども)が多数滞在していて、現在も当時使われていたアトリエやドミニク・アングルのアトリエなどを見学することができます。
1968年にこの”ローマ賞”は奨学金制度に改められはしたものの、給付生は18か月ないし2年間メディチ荘への滞在が認められているそうです。
(ただし現在の運営主体は芸術アカデミーでなく、フランス文化省管轄下の法人組織として財政上の独立性を担保された在ローマ・フランス・アカデミー。)
ここは時間制のガイド付きツアーでの拝観になります。 (アングルのアトリエは日曜日のみ)
「現在ここで生活しているアーティストがいるので、決してグループから離れないでください!」とツアー始まる前にガイドさんにきつく釘をさされました。
ツアー自体は1時間半くらい。
言語は英語、フランス語、イタリア語。
お庭と宮殿内の拝観。
その後宮殿内のレストランで食事、お茶などをすることも許されています。 (フランス料理なのかは確認しませんでした。)
詳しい話は、また次の機会に…
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます