イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Piero della Francescaの展覧会…ですけどね。

2016年05月27日 23時23分35秒 | Mostra(展覧会)in Italia

来てます、来てます。
じりじりと日に日に暑くなってきていて、月曜は20度なかった感じだったのに、いきなり今日は30度近いです。
風が熱風に替わりつつあるフィレンツェです。

さて、今朝はちょっと調べ物をしに、大学の美術書専門の図書館に行ったのですが、
コピー機を入れ替えるということで、使用不可能、仕事になりませんでした。
今までのコピーカードも使用不可になるとのこと、う~ん大した額は残ってなかったけどねぇ…
こうしてなんとなく損をしてることが多いなぁ、とこの国は。
その後買い物して家に戻りました。

今日はMilanoの続きも、Ravelloの続きもほったらかして、昨日行ったForlìの話をさせていただきます。
この時期、冬季の展覧会が終わりに近づくため、今までどうしようかと思っていた展覧会をやはり見ようということで、精力的に出かけています。
それに加えて、この時期は唯一ぐるぐる出来る気温、ということも有ります。
さすがに30度超えると厳しいですし、今日テレビを見ていて気が付いたのですが、今日を限りに夏休みに入る番組の多いこと…
毎年の事とは言え早いなぁ。
学校もあと2週間というところでしょうね。
そして長い長い夏休みに突入です。
夏休みに突入してしまうと、夏の観光客が目当ての観光地以外の場所へ、公共交通手段を使って行くのは普段より不便になります。
何度も言いますが、この国、観光客で生きてるのに、観光客に全然優しくないんですよね。
まぁ、自分たちも休みたい!って気持ちは分かりますがね。

ということで昨日はForliまで行ったわけです。
Forlìに行くには2通りあるんですよ。
山越えかBologna周りか。
山越えの方が時間は短縮できますが、Bolognaから周る方が電車の数は多いんですよね。
一応山越えを選んでFaenzaから行ったのですが、行きは良い良い、2時間強で到着したのに、帰りはなんと5時間近くかかりました。
というのも乗れるかなぁ…と思っていた電車が時間通りに来て(当たり前ですが。なんでこっちが遅れて欲しい電車は遅れず、定刻に来て欲しい時は遅れるんですかね?) 
切符買うのにもたついていたら、あと一歩で行かれてしまった、ということも有ったんですけどね。
まぁ、移動時間を完全に読書に充てられたので良しとしましょう。

Forlìに着いたのは丁度12時過ぎ。
会場に向かう前にまず腹ごしらえを
この辺りに来たからにはPiadina~
と思っていたのですが、今回はCrescione

CrescioneとPiadinaの違いは閉じてるか、開いてるか、だと私は認識しているのですが、正しいのかな?
中になす、モッツアレラチーズ、トマトが入っています。
これで4.5€でした。
お店の人から「あっつあつだから気を付けて」と言われた通りでした。

お店は駅から中心街に行く途中。
Piadineria La Posada

お店の人もとても感じが良かったです。 
さて、お腹も満たされたので、展覧会場へ…っとその前に一カ所だけ寄り道。

街の中心の広場です。
ここの隅にある

Chiesa di San Mercuriale(サン・メルクリアーレ教会)です。
ここのロマネスク様式の教会の入り口のルネットに

当方三博士の来訪の彫刻があります。13世紀初期アンテラミ派(Benedetto Antelami)の作品で、もともとはここに有ったものではないと思われます。
左側に3人の博士が寝ています。そこに天使が現れて、救世主の出現を教えます。
そしてその隣では3博士はそれぞれ贈り物を手にして、聖母とキリストに向かっています。一番右側はGiuseppeです。

広場にはお昼時ということも有って人がほとんどいません。
観光客のせいで足の踏み場もないフィレンツェとは大違いですが、イタリアの多くの街はこうだよね、と思ってしまいます。
さてさて、会場に急ぎましょうね。

小さな街なのに結構塔が多いなぁ…
到着しました。街の外れ、駅からだと30分位かかります。

Musei San Domenicoです。
2011年ここでMelozzo da Forlìの展覧会が有った時以来ですが、その時は雪が残っていた寒い日で、あまり印象が有りませんでした。
中に入ります。
入場料にオーディオガイドが付いています。最近多いですね。
荷物は全部預けさせられました。ロッカーと有人クロークがありました。

さて、今回のこの展覧会ですが、Piero della Francescaとうたっていますが、どう考えても彼の作品だけで展覧会を開くなんて無理でしょう。
なぜなら作品数が少ないうえ、動かせないフレスコ画が多いから。
ということで調べてみると、彼の影響を受けた画家の作品が1900年代まで集められているとか。
この展覧会自体が彼の作品を集めた、とうよりも彼の作品が与えた影響などを考えさせるような意図を持った展示会構成となっていて、まぁそういう切り口の展覧会も面白いことは面白い。
しかし来るか来ないか迷っていたんですよねぇ…結果的には8時間近く移動にかかっても行って良かったですが。

展覧会はこの作品から始まっていました。

Battista Sforzaの胸像
Battista Sforzaとは

Piero della Francescaが描いた肖像画で有名な彼女。
ウフィツィ美術館に収蔵されているこの作品は、彼女の夫 Federico da Montefeltroと共に、イタリアルネサンス期の肖像画の傑作の1枚です。

Piero della Francescaは1400年代の偉大な画家の一人で有ったことは間違えないのですが、長いこと世間から忘れられていました。
Vasariも彼の事には遠近法の理論については語っているものの、それほど重要視はしていません。
そうしてようやく日の目を見始めるのが17,18世紀ラファエロ前派と呼ばれる画家たちが再評価し、それに付随して美術愛好家や美術史家によって見直されて行き、
研究が一番盛んになるのは19世紀に入ってからの事でした。

Pieroは1416年Borgo San Sepolcroの生まれです。
生年に関しては確証がありません。VasariはPieroが1492年に86歳で亡くなったとしていて、そうすると青年は1406年ということになりますが、
彼の両親が結婚したのが1413年という記録が有るので、Vasariの記録は確かではないでしょう。
San sepolcroはUmbriaとToscanaの境に有る小さな街です。
1430年頃まで地元の画家アントーニオ・ダンギアーリのもとで修行を積みました。
Pieroの初期の作品には1400年初めのフィレンツェの芸術の特徴、特に光や遠近法にDomenico Venezianoの影響が見られます。
ということで彼の作品も出典されていました。

1439年フィレンツェでDomenica Venezianoの助手としてchiesa di Sant'Egidioの聖職者祈祷席にle Storie della Vergine(聖母の物語)を描いています。
Domenico Venezianoとはたぶん1437-38年にもPerugiaで一緒に仕事をしていたと思われ、またVasariによると二人はLoretoでも仕事をしたようですがこの作品は最終的にLuca Signorelliが完成させたようです。
そして彼の最初の作品が今回の展覧会に出展されていました。

Madonna col Bambino(聖母子像)1435-40年頃の作品で、1942年初めてLoberto LonghiによってPieroの作品で有ることが認められました。
Loberto Longhiは20世紀最大のイタリア美術史家と言っても過言ではないでしょう。
フィレンツェ大学の教授だったんですよねぇ。
今でも教授の中には直接教えを受けた人がいるくらいです。
それくらい有名で優秀な学部を卒業できたことを誇りに思います、はい。
Longhiの他に、Bernard Berenson(バーナード・ベレンソン)がPieroの再発見に大きな役割を担ったのは、今回の展覧会でも取り上げられていましt。
他にもPieroの作品には、DonatelloやMasaccioの影響も見られます。
特に影響が強いPieroの初期の作品としては元はSansepolcroに有ったもので、19世紀後期にロンドンのNational Galleryに買われていった

Battesimo di Cristo (キリスト洗礼)に強く見られます。

1450年代、Pieroはイタリアの中央から北の、主な宮廷や生まれ故郷で活動をしていました。
1445年はFerraraで Leonello d'Esteのためにエステ城やchiesa di Sant'Agostinoにフレスコ画を描きましたが、残念ながら現存していません。
それに反してRiminiのTempio Malatestianoに残っているSigismondo Pandolfo Malatesta in adorazione di San Sigismondo(聖シズモンドを礼拝するシズモンド・パンドルフォ)は1451年に描かれたものです。
更にこのRimini滞在中に現在はルーブル美術館に収蔵されているSigismondo Pandolfo Malatestaの肖像画も描いています。
この2枚の一致は1977年の修復、研究時に認められています。
この作品からPieroがフィアンドルの画家たち(特にRogier van der Weyden)の作品にも精通し、またRiminiにいたということから遠近法に関してAlbertiからも影響を受けたとみられます。

そして同じく1445年、地元SansepolcroでPolittico della Misericordia(慈悲の多翼祭壇画、Sansepolcro, Museo Civico所蔵)の制作にかかります。

これが今回の展覧会の目玉の作品でした。
Pieroはこの作品を一気に仕上げたわけではないので、完成したのは1462年でした。 
まるで彫刻のようなどっしりした人物(Masaccioの影響が見受けられます )背景の金も含めこの明るさ、空気感は全て計算されつくして構成されているようです。

1452年超伝統主義者のフィレンツェの画家Bicci di Lorenzoが死んだことで、 PieroはArezzoのSan Francesco教会のフレスコ画を引き継ぐことになります。
テーマはLe Storie della Vera Croce(真の十字架の物語)です。
しかしここでも一気に仕事を仕上げることはできません。
1459年教皇Pio IIに呼ばれて、ヴァチカン宮殿内にフレスコ画を描くためRomaへ呼ばれます。
この作品は50年後Rafaelloがその上に描いてしまったので、現存していません。
時の権力者の依頼とは言え、何とも残念ですね。
Arezzoの仕事はRomaから戻った後、1465年に終わっています。
この作品は1400年代のイタリアの壁画として最高の作品の1つと言われています。 
ということで思い立ったが吉日、明日Arezzoまで行ってきます。
今は事前に予約しないとダメみたいですね。 

1454年頃からPieroは地元にも戻っています。
今回はアウグスティヌス派の教会の主祭壇用の多翼祭壇画を描くためです。
この作品は既に1500年代にはバラバラにされていました。
たぶん10枚の板絵で構成されていたようですが、8枚しか所在が分かりません。
真ん中に描かれていた”聖母子像”はなくなってしまいました。
それも本当にバラバラ
その1枚が

これ
ペンチで抜かれた歯は、この聖女のシンボルです。
歯を抜かれて殉教したSant'Apollonia…いたたた
このために、アポロニアは歯科学や歯痛を患う者、歯に関する問題全ての守護聖人として崇敬されてきたそうです。
そうそう、「歯を抜く」で思い出したけど、先日読んだ塩野七生の”愛の年代記”の「フィリッポ伯の復讐」で浮気した妻に歯を抜くという復讐をしたという話が有ったけど、
(妻は最終的には壁に塗りこめられてしまうのだが…)
これ結構きつい刑だったんですね。こわいこわい。
残念ながらこの作品は先週おうちのワシントンに戻っていました。
1460年代初め、 私がPieroの作品の中で一番好きな

Madonna del parto(妊娠の聖母)が描かれます。
Monterchiという場所は非常に行きずらいですよね。
私も2度ほど行っていますが、両方ツアーでした。
イギリス人の作家Aldous Huxley(誰?)が「世界で一番美しい絵画」と言ったとか。
う~ん納得です。
保存状態が非常に悪かったこの作品は、現在はレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」やPadovaのスクロヴェーニ礼拝堂のように、完全に温度湿度が管理されています。

他の作品としては、いきなり時代は飛びますが1954年Sansepolcroの Sant'Agostino教会で、成人のフレスコ画の破片が見つかります。
San Giuliano (現在Sansepolcro, Museo Civico所蔵)と思われるこの破片はとても洗練された作品で、たぶんRomaから戻った1458-59年の作品と考えられています。
反対に作品が作られた年代が特定できない(1460-70)のがPerugiaのフランチェスコ会の女子修道院のために描かれた多翼祭壇画Polittico di Sant'Antonio(Perugia、Galleria Nazionale dell'Umbria収蔵)

この作品に関しては、Polittico della Misericordiaのように背景に金を使った、ちょっと古臭い様式を中央部では用いているものの(Romaでスペインの画家の作品を見た影響か)
この頭の部分の”受胎告知”が非常にモダンで、これに関してはVasariも言及しています。
この奥に広がる遠近法はお見事ですね。

1460年代70年代はUrbinoの宮廷Federico del Montefeltroの仕事が多く、そこでいくつかの傑作が誕生しています。
例えば最初に紹介した夫婦の肖像画とか、Flagellazione (キリストむち打ち、Urbino, Galleria Nazionale dell'Umbria所蔵)
そしてPieroの遠近法の集大成とも言えるSan Bernardino教会のためのSacra conversazione通称Pala di Brera (ブレラ祭壇画、Milano, Pinacoteca di Brera所蔵)が1472ー74年に描かれます。
ここには武具を身に着けたFederico da Montefeltroの姿も描かれています。
ここでこの絵に関する遠近法の話なんか初めてしまったら、何日もかかってしまうので、それはご勘弁を。

これらの作品をもってPiero全盛期とするわけですが、そこには他にも 1470年代、80年代に描かれたMadonna di Senigallia (セニガリアの聖母、Urbino, Galleria Nazionale dell'Umbria所蔵) やとても詩的なNatività(キリスト誕生、Londra、National Gallery所蔵)などを加えることもできるでしょう。
遠近法という観点だけでなく、フィアンドル派の絵画への深い興味からうかがえる明瞭な色彩へのこだわりも強くうかがえる作品を制作しています。

”数学や幾何学に打ち込んだ最初期の画家の一人であり、美術史上最も徹底してその研究に打ち込んだ人物である。
晩年には、『算術論』『遠近法論』『五正多面体論』の3冊の著作を残している。
これらの著作は全てラテン語ではなく俗語で書かれており、高度な数学・幾何学的内容にも関わらず問題集といった性格に終始し、人文主義的関心は低く、職人的実用性によって書かれている。”(Wikipediaより)
最後だけ、ズルしてWikipediaから引用しちゃいました。 
展覧会に出展されていたPieroの作品は全部で4枚と言いましたが、残りの1枚はこれです。 


San Girolamo e il donatore Girolamo Amadi(聖ヒエロニムスと寄付者ジローラモ・アマディ)
左側のヒエロニムスはよく描かれている隠者スタイルに聖書。
彼はヘブライ語とギリシャ語の聖書を初めてラテン語に翻訳(ヴルガタ訳)した功績から必ず聖書と一緒に描かれています。
ここにはいませんが、ヒエロニムスにはライオンもつきもの。
これはヒエロニムスが、脚に棘を刺したライオンと出会い、棘を抜いてやったところ、そのライオンは生涯彼につき従った、と”黄金伝説”書かれているからなんですね。

聖人のそばに跪いたこの絵を頼んだ人Girolamo Amadi。実は彼の名前が足元に書かれていました(HIER. AMADI AUG. F.)
反対に聖人の左横にある丸太(?)には「Sansepolcro出身の画家、Piero」とサインがありました。
見つめ合う二人がキリストが縛られた十字架のささった丸太とAmadiの背後にある木に縁どられているように見えますよね。
この十字架が微妙に斜めになっていて、これはPieroは十字架と聖人の対比をよりはっきりさせるために試してみた遠近法の応用なんだそうです。
私はいまいち実感できませんが…

2人の人物の背景の違いも面白い、というか絵に色々なぞかけしすぎです。
Pieroの絵は色々考え始めると、ちょっと難しい作品が多いし、謎の多い作品が多いです。
多いですと言っても全作品数自体が少ないんですけどね。
Amadiの背後には葉の色が暗い木で覆われていますが、ヒエロニムスの背後の空は明るく、神々しい感じがします。
背後の丘の裾野に描かれた街は、Sansepolcroの街、右側の城はRocca Malatestiana(マラテスタの城塞)でしょう。
これほどの現実的な描写はMasaccioの影響も有るでしょうが、特に水平線の方がより明るく色調が変化している辺りや細かい部分のリアルな感じや本に光が反射していることなどはやはりまずフランドル派の影響が考えられます。

何か作家と作品の説明でかなり時間を取られてしまったので、この先は軽めに。
他にもまずルネサンス期でPieroから影響を受けたと思われる画家の作品
Giovanni Bellini

これいいねぇ~


これ。
実はこの作品はPala di Pesaro

の頭の部分でこんな感じになります。

Pala di PesaroはBelliniの作品でも1番好きかも~
それから先日Milanoで見たSan Pietroが左

今回この展覧会に右側のSan Giovanni Battistaが出ていてラッキー!
というか運命を感じました。

他にも

Luca Signorelli
あっ、これ中央の赤い線のところにサインが有るって言ってた。
実はこちらも先日Breraになかった作品です。
こんなところで出会えるなんて…

Perugino

Pinturicchio
Storie di san Bernardino(聖ベルナルディーノの物語)
とても懐かしい作品です。
2004年、私が初めてイタリアで展覧会に行ったのがPeruginoの展覧会だったのですが、
あの時会場の一番初めに飾られていたのがこの作品でした。
あの時は確かシリーズ8枚のうち…確か全部は出てなかった気がするけど、5,6枚は展示されてたかな?
この2枚は確実に有ったと思います…もう10年以上前だからなぁ。
Wikipediaにも「Piero della Francescaの影響が否定できない作品」と書かれています。

そしてPiero dellaFrancescaが”再発見”された19世紀から20世紀の代表作としては

Felice CasoratiのSilvana Cenni、1922年の作品ですがこの構図がPolittico della Misericordiaから影響を受けているって話は、大学の授業の時も聞きました。
全然テーマは違うんですけどね。
他にもEdgar DegasやSeurat、Signac、Odilon RedonやCézanneまで影響を受けているそうです。(この辺りになると「ほんとかな?」と思ってしまいますが…)
イタリア人だとCarlo Carrà, Antonio Donghi, Giorgio De Chirico, Morandi, Achille Funiなどなどでした。 
どうやらRealismm mogico(マジックリアリズム、幻想的リアリズム)と呼ばれる流れの芸術家に多いみたいですね。
じゃあマグリットは?と言いたくなりますが、そこらへんはどうなんでしょうか??? 

最後はアメリカ人のエドワード・ホッパー(この人も一応マジックリアリズムの人でした)まで影響を受けてるってところで終わっていました。
とまぁ、こんな感じで非常に長くなってしまったので、一体何が言いたかったのか忘れましたが、とにかく偉大な画家は何百年経った後世にも多大な影響を与えるんだな、という感じですかね。
何か尻切れトンボ?
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
本当は途中で飽きちゃって(失礼!)投げ出そうかと思ったりもしたんですけど、なんとか最後までたどり着きましたとさ。



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