イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

「エッケ・ホモ」をめぐる世紀の大コンクール!?

2021年04月19日 17時26分03秒 | イタリア・美術

Caravaggio(カラヴァッジョ), Cigoli(チゴリ)、 Passignano(パッシンニャーノ)
「三人の偉大な画家たちが世紀のコンクールに挑んだ」というのは事実なのか?


”E volendo Monsignor Massimi un Ecce Homo che il soddisfacesse, ne commesse uno al Passignano, uno al Caravaggio et uno al Cigoli, senza che l’uno sapesse dell’altro; i quali tutti tirati a fine e messi al paragone, il suo piacque più degli altri, e perciò tenutolo appresso di sè Monsignore mentre stette in Roma, fu di poi portato a Firenze e venduto al Severi.”

マッシミ枢機卿は満足の行く「エッケ・ホモ」を手に入れるため、パッシンニャーノ、カラヴァッジョ、チゴリに他の人に同様に注文を出したことは伏せて依頼した。3人はそれぞれ作品を制作し、3枚を比較したうえでマッシミ枢機卿はチゴリの作品を一番好み、ローマの自分の手元に置き、その後はフィレンツェに持って行ったあとセベーリに売却した。

時は1605年、作品を審査したのは注文主のcardinale Massimo Massimi(マッシモ・マッシミ枢機卿)、ローマ貴族の血を引く高位聖職者。
3人の競争相手はMichelangelo Merisi detto il Caravaggio(ミケランジェロ・メリージ 通称カラヴァッジョ), Ludovico Cardi detto il Cigoli(ルドヴェーコ・カルディ 通称チゴリ) そして Domenico Cresti detto il Passignano(ドメニコ・クレスティ 通称パッシンニャーノ)だった。
ここで面白いのは3人とも”通称”が出身の村であること。(CardiとCrestiは自分の出身地、Merisiは母の出身地)
それはさておき、テーマは「Ecce Homo(エッケ・ホモ)」
これは「キリスト受難」のシリーズの1つで、キリストが鞭打ちを受けた後、ピラトが群衆にキリストの鞭打ちの跡を見せ“Ecce Homo(見よ、この人だ)”というシーンで、このエピソードはヨハネの福音書からきている。
この”コンクール”では作品の出来ではなく、マッシミ枢機卿が良いと思った作品が勝ちだった。

このコンクールのためにカラヴァッジョが描いた作品は今日Palazzo Bianco di Genova(ジェノバのビアンコ宮)に所蔵されている。

写真:Wikipedia
鞭打ちの痛みを感じさせない穏やかなキリストは、既に自分の運命を悟っている。
既に茨の冠を頭上にはめられ、手には葦の枝を握っている。
この枝はキリストをユダヤの王と崇めた人々が彼に渡したものだった。
肩に布をかぶせようとしている様子は非常にリアルな描写で、ピラトの衣装はモダンで16世紀の絵画の典型的な特徴を捉えている。

この作品は2016年の上野で開催された「カラヴァッジョ展」に出展されていたそうだ。
私はこの特別展を見ていないが、たまたま友人からカタログをもらったので、ちょっと見てみた。
この特別展にはチゴリの「エッケ・ホモ」も出ていたのね。
最近思うのは、好きじゃない、興味がない展覧会も見ておけばよかった…と。
まさかコロナのせいでこんなに不自由になるとは思ってもみなかった。

と実はここまではイタリアの信憑性があるあるサイトの記事を訳してきたものだったのだが、2016年の「カラヴァッジョ展」のカタログを見たら、これから書こうと思っていたことがほとんど書かれているじゃないですか…
まぁいいか。
これも自分の勉強の為ですから、カタログもちらちら見ながら記事の翻訳を続けましょ。

チゴリの「エッケ・ホモ」は現在フィレンツェのPalazzo Pitti(ピッティ宮)にある。

写真:Wikipedia
キリストの顔は痛みにゆがみ、受けた拷問の跡も見える。
カラヴァッジョ同様、キリストは既に茨の冠を付け、手には葦の枝。
腕は金属の鎖で縛られ、カラヴァッジョの作品にはない縄の束が描かれている。
これはドラマチックさを強調する演出。
またカラヴァッジョと異なりピラトはまるでキリストの痛みが移ったかのように苦痛に耐えるような表情をしている。
チゴリの洗練された表現は異国情緒のあるピラトの衣装に特に現れている。

残念ながらパッシンニャーノの作品は残っていない。
そしてコンクールはマッシミ枢機卿の一存でチゴリが勝利した。
というわけだが、カラヴァッジョが”負けて”チゴリが勝利したというこの話ホントなの?

頭の部分に載せたイタリア語の文章は、チゴリの甥Giambattista Cardiが1628年以前に残した「世紀の大コンクール」の記録である。
でもこれ信憑性ある?
確かに3人の画家が競い合い、チゴリがカラヴァッジョに勝ったというお話は、万人の興味をそそる。
カラヴァッジョの天才的な才能や知名度は高いが、当時はチゴリもカラヴァッジョに劣らない優れた画家であったことを甥としては自慢したかったのだろうか?

20世紀に入るとGiambattista Cardiは叔父を功績を称え、16世紀初期のローマにおいて最も優れた画家は叔父だったのだと証言する多に、嘘を言ったのではないかと疑われるようになる。
1987年に発見されたマッシミ家の史料に基づきRosanna Barbiellini Amidei は甥の証言が事実無根であることを発表する。(Della committenza Massimi in Caravaggio. Nuove riflessioni, libro del 1989 della serie “Quaderni di Palazzo Venezia”).
出版された彼女の研究結果によると、マッシミ枢機卿の注文は別々だった。
カラヴァッジョは1605年「エッケ・ホモ」の依頼を受けた、これは事実。
そしてマッシミ卿はこの作品はその前にカラヴァッジョが制作した「荊冠のキリスト」と対にしようと考えた。
「荊冠のキリスト」は多分現在Prato(プラート)のPalazzo degli Alberti(アルベルティ宮)にあるこちら。

写真:Wikipedia

カラヴァッジョ展のカタログにはVicenza(ヴィチェンツァ)にあると書いてある。Bellini、Lippi、Caravaggioの3傑作が銀行内のごたごたで、あっち行ったりこっちに行ったりしたらしいが、今はプラートにあるらしい。
プラートには何度も行っているが、この宮殿については知らなかったので、是非次回行ってみようと思う。
https://web.archive.org/web/
と書いたのだが、2019年にここを訪れた人が「今後、アルベルティ美術館が再オープンされる見込みは殆どないと思います。」と書いていた。
これは所有者の銀行の経営状態悪化に伴うものなんだけど、非常に残念だ…
と思っていたら、昨年の秋、再びオープンする動きが有ったみたい。
ちょっと検索して見たら2008年にローマで銀行所蔵に傑作を集めた特別展が開催されていたらしい…知らなかった。
http://www.romart.it/Mostre/CapolavoriCheRitornano/CapolavoriCheRitornano.htm
こちらの日本語の記事、非常に参考になる。

カラヴァッジョの自伝と思われるものに記述がある。
«Io Michel Ang.lo Merisi da Caravaggio mi obbligo di pingere al Ill.mo S [Ignor] Massimo Massimi p [er] esserne statto pagato un quadro di valore e grandezza come quello ch’io gli feci già della Incoronatione di Crixto p [er] il primo di Agosto 1605. In fede ò scritto e sottoscritto di mia mano questa questo dì 25 Giunio 1605. Io Michel Ang.lo Merisi»
「わたくしミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョは1605年の8月までに納品した、以前制作した「荊冠のキリスト」と同じ大きさ、金額の作品に対する支払いを要求します。これは確かに自筆で1605年に書きました。サイン」と。
この伝記も本当にカラヴァッジョのものかというと疑問は残るのだが、重要な資料である。

ところがチゴリが「エッケ・ホモ」を描いたのは2年もあと。
2つの「エッケ・ホモ」は全く違う時期に描かれたことになる。
この2作品の2年という時間差、これこそチゴリがカラヴァッジョの作品を見ていたということにならないか?という仮説につながる。
カラヴァッジョ展のカタログによると、「チゴリはカラヴァッジョの主題不明の作品と対になる作品を描いた報酬として25スクード受け取った」と書かれていて、パッシンニャーノは登場しない。
「世紀のコンクール」の記録はチゴリの甥の記録のみ。

記録はとりあえず私たちに”現実”を教えてくれる。
その記録はいつもロマンチックではない。
ただこのエピソードが信憑性がないことは分かっていても、美術愛好家の胸は躍るものである。

参考:https://www.finestresullarte.info/

ちなみにカラヴァッジョの「荊冠のキリスト」ならウィーンの美術史美術館にあるこちらの方が有名かな。

写真:Wikipedia



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3 コメント

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プラドのレポート (山科)
2021-04-20 07:51:07
プラドのレポートの抜粋の英文紹介がありました。URL

たぶん、これスペインのEL PAIS の翻訳でしょう。
返信する
停止 (山科)
2021-04-20 08:10:38
URL  まちがえました。
返信する
参考になりました。 (fontana)
2021-04-20 17:34:08
山科様
情報ありがとうございます。
そうですね、かなり真筆寄りの見解ですね。
実際どうでしょうかねぇ…
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