イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Michele di Ridolfo del GhirlandaioとBIGORDI, Ridolfo, detto (del) Ghirlandaio???

2020年10月26日 18時09分40秒 | イタリア・美術

ようやくメインのBotticelli(ボッティチェッリ)に入ろうと思ったところで、大変なことに気がついた。
ごめんなさい、私間違えた…みたい。
いや、間違えたのは私だけではない。
でもちゃんと訂正しますよ。私はお大臣や議員ではないですから。(笑)

さて、昨日の記事ですが。
私これをDomenico Ghirlandaio(ドメニコ・ギルランダイオ)の息子Ridolfo del Ghirlandaio(リドルフォ・デル・ギルランダイオ)の作と書きました。

そしてこちらをリドルフォと一番信任が厚かった弟子Michele Tosini(ミケーレ・トシ二)の共作と書きましたが、どうやら逆みたい…
いえいえ、参考にしたこちらのサイトも、のサイトにもそう書いてあったんです。
でも、信頼しているFondazione Zeriのカタログを見たらなんと逆!?
参考:http://catalogo.fondazionezeri.unibo.it/
更に驚いたことに、Michele Tosini=Michele di Ridolfo del Ghirlandaioと書いて有るではないですか。
なんてややこしい!!
だからドメニコ・ギルランダイオの息子の方はわざわざBIGORDI Ridolfo di Ghirlandaioとなっている。
言いわけするわけではないけど、これじゃあ間違えるよ。とほほ…
ちなみにTosiniは師匠に恩を感じてこの名前を名乗っていたという。
なんだかなぁ…

他にも過去のウフィツィの記事にも1番目の絵が共作として載っていたし…やはり間違いか。
会場でキャプション撮らなかったのは失敗だ。

実はこれを発見したのは偶然で、探していたのはこっちだった。

アヴィニョンのMusée du Petit Palais にあるリドルフォの「Incoronazione della Vergine(聖母戴冠)」1504年の作品。
これに関する情報を探していたのに、全然見つからず。
唯一発見したのが、「199年12月27日盗難されたRidolfo del Ghirlandaioの作品再発見」という記事に紐づけられた名前だったのだが、これ違う作品だった。
記事:https://www.exibart.com/furti/27-dicembre-1999-furti-darte-recuperata-pala-del-xv-sec-di-ridolfo-del-ghirlandaio/

この記事によると、1946年わずかな金額でSan Pietro a Pitiana a Reggelloの教区司祭で売り払った。
司祭は教会を修理するためにお金が必要だった。そのために教会に有った絵画を売ることは悪いことだと思わなかったと言っていたらしい。
1999年12月27日、発見されたのはフィレンツェ市内の骨董商。
祭壇画にはMadonna del Rosario con Bambino e i santi Giovanni e Agostino(ロザリオの聖母子と聖ヨハネ、アゴスティーノ)が描かれていたらしい、なんとDomenico(ドメニコ)の作ではないか、とWikipediaは言っていて、上の記事ではリドルフォと言っているから困っちゃう。
何なんだよ~何が正しいんだよ~

でも今この教会にはこの作品ではなく、同じくリドルフォの作品だがこちらが有るらしい。

写真・参考:Wikipedia

とにかくこの人情報が錯綜しすぎ。
ちょっと頭を整理しないとボッティチェッリには行けないのでありました。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
よろしくお願いします。 (fontana)
2020-10-28 17:18:42
むろさん
リドルフォ・ギルランダイオに関連する部分の報告お待ちしています。
よろしくお願いします!!
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Michele Tosini, detto Michele di Ridolfoのこと (むろさん)
2020-10-27 18:04:55
リドルフォ・ギルランダイオの弟子ミケーレ・トジーニのことは、前コメントで書いた中央公論美術出版社の美術家伝第5巻のリドルフォ、ダヴィッド、ベネデットのギルランダイオ一族の伝記P277~278及びその注釈53に詳細に書かれています。「ミケーレはリドルフォを父のように敬愛し、リドルフォはミケーレを我が子のように愛した。協同して数限りない作品を仕上げた」そうです。注釈53によればこの親子のような親密な関係はヴァザーリが唯一の証言だそうですから、色々な研究者が書いていることも全てヴァザーリの列伝によっているようです。そして、ヴァザーリの列伝はボッティチェリなど自分より古い時代のことは、信頼できない記事もありますが、このミケーレはヴァザーリと同時代人であり、ヴァザーリと協同で行った仕事も数多いとのことですから、列伝のミケーレに関する記事は信頼できると思います。なお、リドルフォとミケーレの協同制作による作品で、どちらが主で描いたのかはあまり気にしなくてもいいのではないでしょうか?

アヴィニョンのプチ・パレ美術館所蔵 聖母戴冠の写真ありがとうございます。また、前コメントで書いたライトボーンやPonsのボッティチェリのカタログレゾネで、リドルフォ・ギルランダイオに関連する部分を一応訳してみました。そして、その内容から、Quieteのボッティチェリ作品とプチ・パレの聖母戴冠、サン・マルコ由来のボッティチェリの聖母戴冠、別の美術館にあるボッティチェリ作品などとの関係について、今頭の中を整理しているところです。まとまったら近くコメント投稿します。

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