イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

uno sfogo

2008年05月09日 07時34分02秒 | Weblog
数時間前にZeriのことを書きましたが
試験勉強のストレスか
はたまたあまりにも言葉を発していないせいか
前とのつながりで突然思いついたのでまたまた書き込みしてしまいます。
なんと言ってもこの時間は電気代が安いので

「イタリアの大学で美術史を勉強している」とは?
一体何をしているのか???
1.とにかく作品を見る
2.とにかく評論を読む
3.たま~に触ってみる
この3点でしょうか???

先生たちはとにかく1を勧めます。
まぁ当然ですが・・・
とにかく目を肥やす。
大半の人が美術史家、評論家にはなれません
でもとにかく目を鍛えることが何よりも大事!
とにかく多くの作品を見て感じることが重要なのです。
とにかく隅々まで見ます
他人から見たらかなり怖いです
見れる時は、絵の裏側まで見ますからねぇ

そしてこれは私たちの学部だけでなく
イタリアのどの学部にも共通していると思うのですが
とにかく評論を読む
これがとにかく大変

最近ようやく自分のペースがつかめて来たのと同時に
読みやすいものと読みにくいものの差がはっきりしてきました
最初はイタリア語というだけでみんな同じくらい難しかったけど・・・
でも悪い意味でイタリア語を読むことになれてきて
字面だけを追って、何も頭に入っていないことがしばしば

例えば・・・
Zeriは比較的読みやすいです。
特に前回は書いた"Dietro L'immagine"は大学の講義録なので
言葉遣いもそれほど難しくはなさそうです(まだ読んでいないので・・・)
他にも最近読んだ短いものは非常に分かりやすく
興味深かったです

恩師は「授業chiacchere(おしゃべり)、評論が本当の仕事」
とよく言っています。
実際授業は楽しいけど、話題の展開の速さについて行けないと思います。
かく言う私も・・・
でも本人のことよく分かっているし
先生の研究に非常に興味があるのでこれも読みやすいです。

反対に大変なのが
かなり日本語の翻訳も出ていますがRoberto Longhi
これは最近、大学の授業で先生も言っていましたが
難しいそうです・・・
まず時代が1930年40年代なので言い回しが若干違うこと
文章もそれなりに今とは違うのだと思います
イタリア人でも大変なのに・・・
でもLonghiは外せません
なぜならここの大学で教えていたから・・・
それ以上古くなるともう私にはイタリア語とは思えない・・・
引用にラテン語が出てくる時は完全にお手上げです

あと非常に残念だったのが
去年の10月までうちの大学の教授だった先生の評論を
最近読まなくてはいけなかったのですが
これは非常に分かりやすかった
授業を聞く機会が無かったのが非常に残念!
彼はイタリア人ではないのですが
外国人の書くイタリア語の方が分かりやすかったりします。
反対に他の言語からイタリア語に翻訳された評論ほど
読みにくいものはないです
これは評論だけではないですけどね


最後に3
Zeriが彫刻を舐めたという話からこの本は始まっていたのですが
これは修復時に何を使ったか確認するために取った手段で
普通はこんなことはしませんし
美術館で作品に触れようものなら・・・
ただ不思議な話、先生たちはこれも勧めます。

これで私が普段何をしているかわかってもらえたかしら???
あ~ちょっと気が晴れたかな
って本当は何が言いたかったのかしら???
まぁいいか、さてと寝ようかな


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