イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Vinci村(町?)に行ってきました。

2011年07月10日 10時06分43秒 | イタリアの小さな街・大きな街(Fi以外)

今から500年も前、どうしてこんなアイデアが浮かんでいたのだろうか?
”万能の天才”Leonardo da Vinciの故郷、Vinciに行ってきた。

ここ数日、40度近くに気温が上がっているイタリア。
まぁ、猛暑とは関係ないのですが、緑の中へ行くだけでも涼しくなる・・・と思ったら大間違い!
とにかく暑かった。

Vinciと言えば、町の大きさに比例せずその名前は世界的。
もちろんこの街が生んだ天才のおかげ(?)
日本人は彼をダ・ヴィンチと呼んだりしていますが、これってイタリア人にはかなり変なこと。
da vinciというのは「ヴィンチ村出身の」という意味、だから「ヴィンチ村のレオナルド」と言うのが彼の名前。
苗字がない(はっきりしないのは)当時は極普通のこと。

VinciへはFirenzeからまず電車でEmpoliまで行き、そこからはバス。
イタリアにしては接続がいい。バスは駅前から出るのも分かりやすい。
Firenzeからトータル1時間くらいで到着。
途中新市街(と言ってもそれほどモダンではないですが)を抜けるのでそこでバスを間違えて降りないように!

トスカーナらしい風景が広がっている。

街の見どころは
Museo Leonardiano(レオナルド博物館)

入場券もこちらで購入

Leonardoが洗礼を受けたというSanta Croce教会↓

ここには実際の洗礼盤も置かれているが、今まで見たことがないふたつき。
イタリア人の友人も「見たことがない。」と言っていた。
 
Castello(お城)↓

どちらにも有名な鏡文字で書かれたレオナルドの研究を元に再現された作品が展示されている。
現代の私たちが見れば当たり前のものでも、500年前にこんなことを考えていたレオナルドの脳ってどうなってんの?とただただ感心する。

Castelloでは塔に登れる。



頂上到着。


 


下に見えるのは
2007年にmonumento all'uomo vitruviano a vinci(ウィトルウィウス的人体図のモニュメント)が見える。
モデルはこちら↓

古代ローマ時代の建築家ウィトルウィウスの著作をもとにダ・ヴィンチが書いた手稿の挿絵である。紙にペンとインクで、両手脚が異なる位置で男性の裸体が重ねられて描かれており、外周に描かれた真円と正方形とに男性の手脚が内接しているという構図となっている。このドローイングが描かれている手稿は、「プロポーションの法則 (Canon of Proportions)」あるいは「人体の調和 (Proportions of Man)」と呼ばれることがある。(wikipediaより)

街はとても小さいので、ぐる~と回っても2時間もあれば充分。
ということでお昼
しかし、小さい街ですから食事するところが少ない。
更に観光客向けの店ばかり
結局ここしか開いてなくて・・・
さすが名前もLeonardo
via Montalbano Nord,16
0571567916
www.ristranteleonardo.com



テレビで「名探偵コナン」をやっていた。
このエリアなら「おいしいワインを飲も~」と言っていたのに、暑さに負けてビール飲んじゃった。
 
Antipasto mistoとbresaola

魚もあるというこでFritto mistoとFiori di Zucca(ズッキーニの花)のFritto
こちら衣つけすぎでズッキーニの味がしない・・・残念。
しかしお腹いっぱい!!満足満足!

Leonardoの生家はここから歩いて3キロ
しかし、この暑さの中では無理、ということで帰路についた私たち。
Firenzeに戻ってきても変わらず暑かった。

夜、前日よりは若干涼しかったものの、やはり暑い(暑い暑いと言うから余計暑いのか?)
とにかく気持ちが悪いのでまずシャワーを浴びてから、あまりお腹が空いていなかったので、メロン(生ハム抜き)を食べひと段落。
この暑さだと本を読む気にはなれない。
ということで、1つ思い出した。
Viniciに行ったとき友人が、このあたりは昔partigiani(パルチザン)による戦いがひどかった場所だと聞いた。
日本でも公開された”サンタアンナの奇跡”を見るといいと彼女が教えてくれたので、早速動画を探した。
残念ながら日本語はなかったので、イタリア語で。しかも、ドイツ語の会話、イタリア語の字幕が出なかったのがちょっと残念。
まぁストーリーにはそんなに影響なかったけど。
映画を見始めて、これ見たかった映画だったのを思い出した。ず~と忘れていた。

こちらの映画の後半、実際に1944年8月にドイツ兵により罪のないイタリア人が560人虐殺されたシーンが出てくる。
この舞台となったのがSant'Anna(Lucca県)
イタリアは日本よりも早く第2次世界大戦から降伏していたにもかかわらず、partigini(パルチザン)による国内の戦いはイタリア人同士を巻き込んで、血で血を洗うものとなっていた。
先日もイタリア人を虐殺したドイツ人の罪を問う裁判が行われているとニュースで見た。
ヨーロッパでは戦争が終わり60年以上がたった現在でも戦犯の裁判が続いている。
映画の詳しい内容、当時の時代背景などこちらで詳しく紹介されていました。

話は変わりますが、そういえば最近FirenzeではLeonardoの最も有名な作品La”Gioconda"(モナリザ)をルーブルに一時的でもいいから(Mostraの為)返して欲しいと申請したり、モナリザのモデルと言われるLisa Gherardini Del Giocondoの墓を探す為にchiesa dell'ex convento di Sant'Orsolaの土を掘り返した。
しかし、歴史的に考えてみてもFirenzeはダンテを始め、多くの芸術家を受け入れなかった。
それを今頃になって・・・と、これはあくまで個人的な意見ですけどね。

イタリアの色々な側面を見、考えた1日でした。
今日も暑くなりますよ~


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4 コメント

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Leonardoの生家に行った思い出 (信雄)
2011-07-10 21:15:03
お久しぶりです。Leonardoの生家に行った思い出を書かせてください。

2009年1月17日、Vinci村に行くと、Comuneと書いてあったので「ああ、もうVinci市なのかあ」と私も思いました。Leonardo博物館で彼の発明品を見た後、生家に向かいました。オリーブ、オリーブ、オリーブの林を抜けて、Leonardoの生家に着くまで誰にも会いませんでした。生家には、受付に一人女性がいました。こんな自然豊かな所から、天才は生まれるのだなあ、と思いました。彼は、どこに行くにもスケッチブックを持って歩き、スケッチやメモを記していたそうです。動植物や回りの空気が彼の観察の対象だったのですね。空気遠近法の基礎もここで身に付け、FirenzeのVerocchio工房で師匠の筆を折らせたのですね。
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再び書き込みです (モトコン)
2011-07-10 21:21:59
私もGWに初イタリア旅行で行きました!
夜だったので博物館は見れませんでしたが、
ヴィンチの生家は見れて、思わず「先生!」と呼びかけ、感動しきりでした。
ヴィンチ村を抜けていくので、友人と二人で
「この先に家があるのか…」と不安の中、山の中にぽっかり見つけました。残念ながら工事中で外側から見るだけでしたが。
なので再チャレンジをしなくては!と思っています。

レオナルド先生、確かにイタリアでは受け入れられず、
最終的にフランスまで流れたのに、ちょっと切ないですね。

今はフィレンツェの美術学校を探しています。
ビザの更新や学費を考えると、やっぱり国立の方がいいみたいですね。

夏バテされないように体に気をつけて大学生活頑張ってくださいね!
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そうですね。 (fontana)
2011-07-10 21:27:49
信雄さん
ご無沙汰しています。
オリーブ畑以外には何もないような場所でしたね。500年前も現在も大して変化がない風景でした。生家にも行った方が良かったかなぁ・・・
確かに天才は自然には育たないけど、天才を育てるのは”自然”なのかもしれませんね。
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生家 (fontana)
2011-07-10 21:32:54
モトコンさん
初イタリアであんなところに(悪い意味でなく)行ったなんて素晴らしいですね。
皆さんに話を聞くと無理しても生家を見てきたほうが良かったかなぁ???
ご心配ありがとうございます。日本も暑いようですね。お互い体調に気をつけましょう!
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