季節外れだが、サンタクロースのお話。
サンタクロースのモデルになったのは、この人。
San Nicola di Bari(バリの聖ニコラウス)、と言われている。
この絵は米国オハイオ州にあるクリーブランド美術館(Cleveland Museum of Art)所蔵のCarlo Crivelli(カルロ・クリヴェッリ)の作品。
この美術館、メトロポリタン美術館やボストン美術館に匹敵する米国有数の美術館なのねぇ…知らなかった。
この作品自体は2016年ボストンのIsabella Stewart Gardner Museum(イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館)で見た。
http://crivelli.gardnermuseum.org/
あの旅については少ししかブログには残してないんだけど、東海岸が大雪になり、私は膀胱炎になり、今思い出してもよく無事にボストンからイタリアに戻れたなぁ…と思う。
卒業を1か月後に控えていたのに、論文出来てなかったんだよねぇ…こわいこわい。
で、本題の聖ニコラウスはと言いますと、4世紀に現在のトルコのデムレ地域(Myraミラ)で生まれ、司教として生涯を送った。
人々から非常に愛された人物で、驚くべき寛容さにより知られていた。
そんな彼はキリスト教で最も尊敬される聖人の一人。
聖ニコラオスは紀元343年頃、ディオクレティアヌス帝の迫害により亡くなったと考えられている。
彼の遺骸は生地ミラに埋葬されていたのだが、1087年イタリア人の商人たちが遺骸を発掘して、南イタリアのBari(バーリ)へと略奪して行った。
バーリの聖ニコラ大聖堂の祭壇の下、地下聖堂には、彼の遺体のほとんどが安置されている、と思われている。
San Marco(聖マルコ)の遺体をアレクサンドリアから豚肉を積んだ荷車に隠して盗んで来たり、イタリア人(当時は”ヴェネツィア人”であり”バリ人”。”イタリア人”という感覚はなかった。)ってどんだけずるいんだよ!
また十字軍も西ヨーロッパに多くの聖遺物を持ち込んだ。
私たちにはいまいち分かり難いこの「聖遺物」、実はカトリック神学では、神のみが”崇拝”の対象で、聖遺物は崇拝するものではなく”崇敬”の対象であるとしている。
崇拝と崇敬?
聖遺物は「リスペクトする」「敬う」べきで拝んじゃダメ、ということ。
聖ヒエロニムスは「創造主よりもむしろ創造物に屈するべきであることを恐れて、私たちは礼拝をしない。崇拝することはないが、殉教者を崇敬するために聖遺物を崇敬する」と宣言したという。
キリスト教徒でない私にはいまいちピンと来ないのだが…敬うのか?
そしてカトリック教会は遺物を3つの等級に分類しているという。
日本はしてる???
”第1級の聖遺物:キリストの生涯の出来事(かいばおけ、十字架など)または聖人の遺物(骨、髪、頭蓋骨、四肢など)に直接関連する遺物。伝統的に、殉教者の遺物は、多くの場合、他の聖人の遺物よりも重んじられている。その聖人の生涯にとって重要な部分は、より価値のある聖遺物である。例えば、ハンガリーの聖イシュトヴァーン1世の右腕は、支配者としての地位のために特に重要である。有名な神学者の頭は、その人物の最も重要な聖遺物といえるであろう。(聖トマス・アクィナスの頭は、彼が死んだフォッサノヴァのシトー会修道院の修道士によって切り離された)
第2級の聖遺物:聖人が所有しているか頻繁に使用していた遺物。(例えば、十字架、ロザリオ、本など)また、聖人の生涯の中でより重要な部分は、より重要な聖遺物である。時折、第2級聖遺物は聖人が身に着けていたもの(シャツ、手袋など)の一部で、Ex indumentis(「衣服から」という意味のラテン語)として知られている。
第3級の聖遺物:第1級または第2級聖遺物に接触したあらゆる物。
ほとんどの第3級聖遺物は小さな布であるが、紀元1千年紀の油は人気があった。Monza ampullaeは、キリストの生涯の主要な場所の前で燃えているランプから集められた油を含んでおり、いくつかの遺物には、油を再び出し入れするための穴があった。"
Wikipediaより引用
acheropita(アケロピータ)と呼ばれる、シイエスの埋葬に使った布地で、奇跡的にイエスの全身像が布地に転写されているSindone(シンドネ・聖骸布)はどうなんだ?
これはどうやら第1級みたい。
殉教聖人の骨は、第一級の聖遺物。
中でもその死後も人気が下がらなかった聖ニコラスの聖遺物、誰もが欲しい。
となると、senza pace!(平和はない)
ニコラウスの遺骨はバラバラになって、世界中に存在すると言われている。
まるで「義経伝説」だ。
有名どころはヴェネツィアのリード島の聖ニコロ教会だが、プライベートコレクションなど様々な人が、場所が保有しているらしい。
例えば大腿骨(1本)は、1506年スイスのフリブールに有るらしい。
しかし本来の保有者、略奪された側としては全然面白くない!
長年その骨を「返せ~」と言っているらしい。
ちょっとググっただけでも、2009年トルコ政府はバーリに遺骨返還を要求。
このニュースを受けて、2013年フリブールでは自分たちの骨も返却しなくてはならないのか?とざわざわ。
参照:https://www.swissinfo.ch/jpn/
この参照サイトには”聖遺物”についてこのように書いている。
神学者で宗教史家でもあるオトマー・ケールさん曰く
”「肖像画などは知性に訴える。聖遺物は感覚に訴える。聖遺物には触れることができなければならない」”
聖人と直接の触れ合いを可能にする聖遺物は本物でなくては聖人と触れ合うことはできない。
単に聖人を思うきっかけとなる肖像画などとは違うのである。
ふむ、納得!!
ただ、「聖ニコラウスの大腿骨」を所有するフリブールの司教は、この骨が100%本物であるという確証を持っているわけではない。
本物でも偽物でも、本物だと信じてこれを聖遺物として崇める人、ただそれだけのこと。
義経の墓だって、日本中あちこちにある。信じるのは勝手だ。
みんながどっちでもいいと考えるならこの論争は終了!となるがそうではない。
このサイトでも言っているけど、骨を返して欲しいのは、お金がらみのことではないか?
トルコ側はここではきっぱり否定している。
しかし、数年後、別のサイトには骨を返してもらえれば、観光客がどっと押し寄せる、と言っているではないか。
数年前、Padre Pio(ピオ神父)の遺体が掘り起こされ、一般公開された時だって世界中から80万人の信者が、人口3万人以下のSan Giovanni Rotondo(サン・ジョヴァンニ・ロトンド)を訪れたんだから、”本物の聖遺物”の効果はすごい。
何を言われても、何度断られてもトルコ側は諦めない。
2016年手つかずの教会の下に埋まっているのでは?というニュースがトルコの新聞に載った。
BBCでもその後扱ったらしいので、ある程度興味がある人がいるってことだよね。
イタリア人が奪って行ったのは、表層に埋められていた聖ニコラウスの遺体で、本当の遺体はその下に埋まっているという。
イタリア人は全く相手にしてないけど。
参考:https://www.lagazzettadelmezzogiorno.it/news/
更に2017年、今度は米イリノイ州モートン・グローヴにある、ベタニアの聖マルタ教会のデニス・オニール神父のコレクションの恥骨が、オックスフォード大学の調査で4世紀頃の骨→本物の聖ニコラウスの骨かも、という研究結果が出たらしい。
参考:https://wired.jp/2017/12/24/santas-bones/
人気があるからゆえだが、死者の静かな眠りはいったいいつ訪れるのやら…
と言いながら、数年おきに新しい記事になっているんだからなぁ。
当方が、最初にこれについての違和感もったのはチェスタートンのブラウン神父もので「聖書を自分流に読むことの危険」を力説していたエピソードでした。その後、宗教改革のときに、「聖書の現現代語訳を禁止した」ということを知り、ますます不思議に思いました。
こういう問題については、、
「異教としてのキリスト教」 松原 秀一
なんかが面白いと思います。
コメントありがとうございます。
この本を読んでみようと思います。
ところでお住まいの地域は大丈夫でしか?(コメント頂いているということは問題ないのだと思っていますが…)
コロナ禍でただでさえ不安なこの時期に、このような大きな災害が起こったこと、被災された方たちのことを思うと心が痛みます。
聖遺物といえば、ブリュージュのど真ん中聖血教会で キリストの血がシリンダーに入っているというのをご開帳するという催しを(異教徒としては)遠くから望んだことがありました。
良かったです。
ナポリのサン・ジェンナーロ礼拝堂のようですね。こちらは聖人の血ですが。