昨晩から結構強い雨が降ってるなぁ・・・とは思っていたけど、今朝調度そろそろ家を出ようかというころ、
雷を伴った非常に激しい雨が降っていた。
いや~出たくない!
と思ったけど、仕方なく長靴になんちゃってウィンドブレーカーみたいなものを着て、鞄も中身が濡れたら嫌なので、一応ビニールに入れて出かけた。
いやいや、ホントひどい雨だった。
その雨のせいで
アルノ川氾濫寸前!?
ここのところ雨が降るとかなり水位が上がっていたけど、ここまでっていうのは見た事がない。
お昼過ぎには雨はあがり、青空も少し見えていたけど、一応まだ警戒は出ています。
いやいや、怖いなぁ。
さて、雨も止んだ午後。
こんな状態のアルノ川を横目に私はSanto Spirito(サント・スピリト教会)に行ってきました。
ってMercatoではないですよ、今日は月曜ですからね。
先週FB上に普段は入れない部分の特別公開があると出ていて、即それを予約したわけですが、実は特別公開を私は以前一度見ています。
でもどうしてももう一度みたいものがあったし、てっきり無料だと思っていたのよねぇ・・・ガイドは無料だけど、入場料はちゃんと取られました。
メールで予約した際、「10分前には集合して下さい」と書いてあったけど、珍しくイタリア人早めに来てる。
ツアーはこれまた珍しく時間ぴったりの2時半にスタート。
まず、雨が降っていなかったので、外の広場で教会の簡単な説明。
この人が今日のガイドさん。
残念なことにいまいちでした。
この人に比べて先週Villa Bardiniでガイドをしてもらった時はすごかった。
あの時は「もっと話をきかせて~」と言うくらい話が上手だったのですが・・・
外国人の私にこんなこと言われたくないだろうけど、彼女も外国人だったのよね。
途中イタリア語が出て来ず、参加者に助けてもらってた・・・それはいい。よくわかるし。
でも、う~んやっぱりイタリア人にガイドして欲しい。
こういうマニアックなツアーに参加している人ってかなりマニアックな人が多いので、多少の知識では満足できないんですよ。
参加者から「聖母の服になぜ赤と青が使われているのか?」と質問された時
「赤と青は高価ないろだったから」としか答えなかったけど、正解はそれだけじゃないこと、私でも知ってるよ~
特に私、最近この話を授業でも聞いたので・・・
赤は血の色。キリストの犠牲を象徴し、青は聖母の純潔を象徴している・・・のではなかったかしらん?
いやいや、人の振り見てわが振り直せ、私ももっともっと勉強しないとね。
さてさて、ここで私の為に少しSanto Spiritoについて復習しておきましょう。
中世、所謂Oltrarno(アルノ川の向こう側という意味)と呼ばれるこのあたりは、まだまだ未開の地だったんです。
そこにAgostini(アウグスティアーノ派)がやって来て、教会と修道院を立てたのが始まり。
1400年に入り、教会の改築を教区の有力者たちが提案、建築家にはFirenzeと言えばこの人!!
Brunelleschi(大聖堂の丸天井で有名なブルネレスキー)が選ばれたのが1434年、彼が亡くなる2年前・・・ということで、もちろん完成を見る事どころか、始まったばかりのところで中断を余儀なくされるわけですよ。
で・・・こんな有名人の後、誰が引き受けたいと思います?
案の定色々な建築が登場しますが、誰も任務を全うすることは出来ず、更に1471年大きな火災が発生、古い教会の大部分が消失します。
最終的にはGiuliano da San gallo(ジュリアーノ・ダ・サンガッロ)の登場を待たなくてはなりません。
完全な姿になるのは、1570年。
とこんな説明が(他に金策の話もあったけど)終わってから、今日の最大の見所(だと思います)へ
こちらはChiostro Grandi(大きな回廊つき中庭)
なんでここが特別なのかというと、ここは現在軍の施設となっているため、一般的には入れないことになっている。
なぜか私は過去2度ほど入っていますが・・・
この中庭には新鮮さはなかったんだけど、今回は建物の中に潜入できました。
これ。
実はこの廊下が調度2つのChiostroを分けているんだそうです。
もともとAgostiniの修道士が使っていた小部屋。
San Marco(サン・マルコ)美術館に行ったことがある人なら大体想像が付くと思います。
現在は各部屋が軍の事務所なので、ここまでしか見せてもらえませんでしたが、それでも貴重な経験です。
日本に撤退することは仕方がないことだし、自分で望んでいることなので、後悔はないのですが(まだいつってのは不確かですが)こういう特別な経験が出来なくなると思うとやはり寂しい。
ということで、勉強も大事ですが、撤退するその日まで色々なものを見て、食べてやろうと思う今日この頃です。
階下に下りて、ここの一番の見所Cappella Corsini(コルシーニ家礼拝堂)へ
ここは現在もCorsini家のプライベートな場所、ということで写真を取る事は禁止されました。
(教会内も基本的に禁止なのに、ツアーだと殆ど注意されないのはなぜ?)
しかし私別のイベントでここに来た時写真撮りました、確か。
でも今はそれを探すのは面倒なので・・・省略。
Corsini(コルシーニ家)はMadici(メディチ家)と並ぶ、いや多分それ以上の名門中の名門。
なぜか私は今日までもコルシーニ家はローマ出身だと思っていたら、なんとフィレンツェ出身でした。
教皇も輩出したくらいの由緒正しいお家柄。
この礼拝堂は今でもプライベート礼拝堂として使われているのですが、自分の家の礼拝堂を使うために、彼らはいちいち軍の許可を取らないといけないとか・・・なんかすごくイタリアらしいなぁ・・・と独り苦笑してしまいました。
さて、ここを出て次に向かったのが、昔refettorio(食堂)だったこの場所。
ここには貧しい人たちが食事をもらいに来ていたそうです。
そして
実はcenacoloだったとも言われています。
cenacoloとは最後の晩餐が描かれた場所。
食事の絵を食堂に描くのは普通だったのです。
ただこの部屋のUltima cena(最後の晩餐)は現在残されていません。(写真中央の絵のない部分)
この場所ですが
現在comune(市)が管理する美術館になっていますが、ここでまた不思議なご縁が。
ガイドさんが言った名前に聞き覚えが・・・
そうなんです、先日から真剣に勉強している博物館学の本に出ていた~
勉強って、こうやって色々なことが繋がっていくと、簡単に記憶できるんだよねぇ。
実はここSalvatore Romanoという人が集めたものを展示しています。
彼はもともとナポリの人ですが、古美術商の正解に入りFirenzeに移ってきた人で、Stefano Bardini同様古物商としては優秀で有名な人。
この場所を・・・と調べているうちに寝そうになった。
こに書くSalvatoreの死後ここもComune(市)に譲渡される。
但し3つの決まりがあって。
1.作品を動かさない
2.作品をこの建物以外で開催されるMostraなどに貸し出さない。
3.あれ?なんだっけ?
あっ、早々作品を増やさない。
ということで、昔と同じ様子が変わりなくみられる。
なぜそこまで彼がこだわったのかというと
ヒントはこれ
Tino di Cammainoのangelo(これが天使!?)
実はこの近くにSalvatoreのお墓があり、この天使にいつも見守られているんだって。
そして自分の好みで集めた作品たちのそばにいつでも居られるように・・・って結構ロマンチックかも。
ここを抜けていよいよ2つ目のChiostroへ
Chiostro dei morti(死者の回廊)
そして今回は何よりもこれが見たくてやってきた
確か前回来た時は、調度このフレスコ画の修復が終わってすぐだった。
Bernaldino Poccettiの作。
やばい、そろそろ睡魔が限界かも・・・
ということで続きはまた明日。
と書いたにも関わらず、一度PCを落としたにもかかわらずまた戻ってきました。
急いで返事をしたいメールが有ったから・・・
ということで目が覚めてしまったので続きを書いてから寝ることにします。
このフレスコ画については以前書いたときも情報が全然なかったのではしょることにします。
こちらは火災を免れたオリジナルのドア。
アンジュー家の紋章だそうです。
そしていよいよ教会の中に入ります。
この時点で参加者殆ど飽きてきていましたが、これをみてちょっと気持ちを切り替えたみたい。
若かりし日のミケランジェロの作と言われている(私は信じてないけど)木像のキリスト磔刑。
これも本来は撮影不可ですよ。
そして最後は
ようやく教会の中へ。
青空が出てきたみたいねぇ・・・よかったよかった。
全部紹介していたら日が暮れてしまうので、重要なことだけいくつか説明してくれたわけです。
こちらはまたまた1471年の火災を逃れた唯一の作品。
Maso di Bancoの聖母子像
何でこれだけが助かったのかというと、これだけは唯一持ち運びが出来たからなんだそうです。(他のは壁にくっついていた)
そして
Filippino LippiのPla Nerli
いやいやこの教会の宝ですよ。
そして最後に2つのコピー作品を
ミケランジェロのピエタのコピー
そしてこちらもミケランジェロのコピー。
コピーは決して偽物、という意味ではありません。
特にこの作品作った人物はミケランジェロの友人Nanni di Baccio Bigio
彼は2体のコピーを製作しています。
お賽銭(?)を入れるところもステキ!!
とまぁ盛りだくさんなツアーとなりました。
帰り道
ピノキオに会いました。
お洋服着せてもらったのね。
後半手抜き感が否めませんが、とりあえず最後までたどり着いたということでお許し下さい。
最新の画像[もっと見る]
-
2024年の終わりに 2ヶ月前
-
お札に描かれた人物ー国立公文書館 6ヶ月前
-
お札に描かれた人物ー国立公文書館 6ヶ月前
-
お札に描かれた人物ー国立公文書館 6ヶ月前
-
お札に描かれた人物ー国立公文書館 6ヶ月前
-
お札に描かれた人物ー国立公文書館 6ヶ月前
-
お札に描かれた人物ー国立公文書館 6ヶ月前
-
金刀比羅宮 特別展「お待たせ!こんぴらさんの若冲展」ーその1 2年前
-
金刀比羅宮 特別展「お待たせ!こんぴらさんの若冲展」ーその1 2年前
-
金刀比羅宮 特別展「お待たせ!こんぴらさんの若冲展」ーその1 2年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます