何度かお話しているかと思いますが、私が仕事を辞めたのは、ヴェネツィアのカーニバルが見たかったから。
「なんて理由で仕事辞めてんだ?」と思われても仕方が有りませんが、まさかあれから10年もイタリアに住むことになろうとは思ってなかったんですけどね。
私の場合、仕事を辞めてイタリアに飛んで来たわけではありません。
海外生活も一人暮らしでさえ初めての経験だったので、まずイタリアの水が合うか試すために、ヴィザが必要ない3か月来てみました。
2か月はカーニバルの時期のヴェネツィアへ、残りの一か月は全然違う場所ということでTodiに行ったんですけど、まぁ今思えばすべてが必然、運命だったようです。
ヴェネツィアに長期滞在は水回りの問題で無理と感じた私は、当時同じ語学学校に通っていた友達のアドバイスで外国人大学の有るペルージャに行くことに決めました。
2005年のこの時期でしたね。
ヴェネツィア滞在中に教会巡りをしたんですけど、それ以降有料の教会にはほとんど行ってなかったのですが、久しぶり&最後にもう一度教会巡りをしたい!
と考えてヴェネツィアに行ったんですが、教会はやはり天気が悪いと暗い。
絵画などほとんど判読できません…
しかしMurano島に行くためにバポレットの一日券を買ったので、中心地からちょっと遠いSan Pietro di Castelloだけ行ってきました。
この有料教会群ですが、共通チケットがあります。
Chorusというチケットですが、20€で16の教会を周ることが出来ます。
有効期限は1年間なので、ヴェネツィアにゆっくり滞在される方にはいいかなと。
単教会だと入場料3.5€ですからね。
いや~それにしてもヴェネツィアは物価が高い。
ちょっとまともな食事をすると、直ぐに30€、40€って。
かえって観光客相手のレストランの方がセットメニューが有って安いのですが、やはりどうせ食べるなら美味しい方がいいし、ヴェネツィアでしか食べられないもの食べたいですしね。
ただちょっと失敗したのはこの時期はどこもそうですが、”良い店”はどこもお休みを取っています。
フィレンツェはそれでも少ない方だとは思うけど。
だからレストラン選びには苦労します。
ヴェネツィアもカーニバル本番になる来週からはいいのでしょうが、今週は本当に閉まっているところが多かったので、良いレストランを見つけるのは苦労しましたよ。
まぁ執念で美味しいもの食べましたけどね。
入り口のこの看板が目印です。
San Pietro di Castelloはアートの祭典が隔年で行われるBiennnale会場より更に外海側。
サン・マルコ広場辺りから歩こうと思ったら、結構距離が有ります。(バポレットなら2つ3つなんですけどね)
観光客がものすごく少ないエリアです。
目印はこの傾いてる塔かな?
ヴェネツィアの塔は島の構造上、どこもかしこも傾いてますね。
そういえば、昨年末から雨が少なかったので、珍しくアクア・アルタが少なかく、反対に水不足で、ゴンドラが焦げない場所が有ったなんてニュースで言っていましたね。
どこも異常気象です。
天気悪いので寂れた感じがしますが、実はこの教会19世紀初めまでヴェネツィアで一番重要な教会でした。
1807年以降、司教座が置かれている「大聖堂」 はSan Marco(サン・マルコ寺院)ですが、それ以前(1451年から)司教座が置かれていたのはここです。
サン・マルコは元々Doge(元首)のプライベートの礼拝堂でした。
それが増築、増築で今のような壮大な寺院になったわけですが、これを見ると歴代のDogeがどれほど権力を握っていたか、よく理解できると思います。
そしてこのCattedrale(司教座大聖堂)の右の建物の中に patriarcatoが置かれていました。
Patriarcatoとは「総大司教職」のことで、ヴェネツィアのテリトリー内の128の教区のボスがここにいたということのようです。
現在はその建物は
中庭しか残っていません。
そんな歴史的なことは全然留めていませんね。
7世紀にはSanto SergioとSanto Baccoに奉じられた教会が建っていたようです。
その後1600年頃、Antonio Palladioが教会の建築に着手、弟子のF.Smeraldiが引き継ぎましたが、その後の度重なる改築で面影はほとんど残っていません。
内部のは、ラテン十字プランの3身廊。G.G.Grapigliaが整備したようです。
この写真でちょっと見えているCupola(丸天井)は非常に大きなもので、高さ54メートル。
ヴァチカンのミケランジェロが建築したイタリアで2番目に大きいクーポラより若干4メートル小さいだけなんですって。
第一次世界大戦中に何度か爆弾を落とされてLanterna(頂塔)が破壊されました。
それほど大きく見えないのはなぜかしら???
いつもイタリア一大きいクーポラを見てるから?
中に入りましょう。
写真は厳禁です。(このChorusの教会は全て写真撮影が出来ません。)
ということで、サイトから探してなんとか写真を引っ張って来ました。
教会内で見るべきものは3つ。
それなのに、あまりにも暗くて1つは見落としてしまいました。
これがCattedra、司教座です。
元々S. Pietro(聖ペテロ)がAntiochia(アンタキア、トルコ南部の都市)で使用していたもので、東ローマ帝国の皇帝 Michele IIIがDoge(元首)Pietro Tradonicoに贈った、と言われていますが、
クーフィック体(古代アラビア文字の書体)のコーランの一節や古いアラブーイスラム美術の様式が彫られた、葬式に関する記念碑が背もたれについているので、聖ペトロが腰かけていたとはどうも考えられないようです。
これで読んでたのに…
このガイドブック、写真とかは全然ないんだけど面白いんですよ~
ヴェネツィアの語学学校に通っていた時、授業でこの本に載ってるものを使ったことが有って、面白そうだったので買ったまま積読していたのですが、
今回引っ張り出して来て読んでるところです。
このカテドラルに関する話も出ていました。
椅子以上に大事なのはこれですかね?
これは借りた説明にも書いて有ったので、暗い中目を凝らして見たんだけど、暗くてここまではっきり見えなかった。
だからではないけど、今よく見たら重大な間違いに気が付いた。
これTizianoの作品だと思っていたらなんと孫のTizianelloの作品でした。
特徴は祖父によく似てるけどね。
ということでそれほど重要ではなかったわけです、はい。
え~では気を取り直してCaaplla Lando(ランド礼拝堂)のArminio Zuccatoのモザイク。
ここだけ礼拝堂に入ると自然に電気がついたので、はっきり作品を見ることが出来ました。
なぜならここは1580年、多分Jacopo Tintorettoの下絵によって製作されたから特別扱いね。
その他にも16世紀にMarco Basaitiによって描かれた
San Pietro in trono con i santi Nicolò, Andrea, Jacopo e Antonio Abate(玉座の聖ぺトロと聖ニコロ、聖アンドレア、聖ヤコポ、アントニオ神父)
cappella Vendramin(ヴェンドラミン礼拝堂) Nostra Signora del Carmine(カルミネの聖母)に捧げられた 1675年Michele Ungaroの薄肉彫りを含む,
Luca Giordanoが1650に描いたMadonna col Bambino e anime del Purgatorio (聖母子と煉獄の魂)
Wikipediaにはこの2つの礼拝堂の間に、Veroneseの作品がi Santi Giovanni Evangelista, Pietro e Paolo(聖福音者ジョバンニ、聖ペトロ,聖パオロ)があると書いてあるけど…
作品はこれかな?
でももらった教会の説明書にはその作品は載ってないんですよね。
他にも18世紀の Giovanni Maria Morlaiterによる
l'Immacolata(無原罪の御宿リ)、
altare Priuli(プリウリ祭壇)には
PadovaninoのIl Martirio di San Giovanni Evangelista(聖福音者ジョバンニの殉教)が有ります。
入り口上にはPietro Malombra とAntonio Vassilacchiが描いたとされる
Cena di Emmaus(エマオの夕食。またはCena della Pasqua ebraica ユダヤの復活祭の夕食)が有り、
その右には16世紀AntonioとJacopo Beltrameによって描かれた
Cena in Casa di Simone(シモンの家での夕食)。
更にOrazio Marinaliの2つの彫刻, FedeとMeditazioneが18世紀のJacopo Strada作とされるil Crocifisso(キリスト磔刑。写真見当たらず) を囲んでいます。
ということで、教会は明るい時に訪れるべきでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます