昨日書いたCerquetoのSan Sebastiano(聖セバスティヌス)の記事に関して追加です。
まずある質問を受けました。
「碑文はどこに書いて有るのですか?」
嬉しいですねぇ。
こういうマニアックな記事を読んで興味を持って、更に質問していただけること。
と思ったと同時にちょっと自己嫌悪。
これを見たのは今から15年前なので、その時の記憶がほぼない!!
更に最近でこそ、気になる作品で撮影可能なら、とりあえず同じ作品でも数枚角度を変えて撮影するのだが(時間がかかってしまう。だから他人と一緒に出掛けたくない。)この時の写真は数えるくらいしかなくて、う~ん多分これは恩師に直接聞くしかないかなぁ、と思ったのですが、有りました!!
私、すごい!!(笑)
辛うじて、見えるかなぁ…
この聖セバスティアヌスの下の茶色い部分に何か文字が書かれています。
写真を拡大し、辛うじて見えたのは「PETRVS PERVSINVS」 と「 MCCCCLXXXVIII」ではないかと…
<追記>
家にあるペルジーノ関係の本を全て見返したところ写真を発見しました。
こちらは
I protagonisti dell'arte italiana.Pittori del Rinascimento Scala
(イタリア美術の主役たち。ルネサンスの画家)
という本に載っていました。
この本には、ルネサンス期の8人の代表的な画家の完全なモノグラフが集められています。
で、更に気になったので、この絵の下に有ったキャプションを読んでみたら、なんとここに詳しく書かれていたではないですか⁉
1678年、礼拝堂が壊される時、教区司祭だったDon Marchetti が、その時有った碑文を転写しました。
更に1803年Orsiniが転記したなぜこの礼拝堂を作ったのかということが書かれた碑文は下記だったそうです。
"El populi di Cercueto a fatta fare questa Cappella a Dimina Maria Maddalena perché da peste gli usò liberate, cavandoli da anghoscie di tal pene. Cusì gli Piaccia Cum Jhesu operare che mo' e sempre ne abbia a scampare e tutti quelli che in lei an Devotion ad laude di Dio quisto Sermone-Petrus Perusimus pinxit MccccLXXVIII"
(Cerquetoの民がこの礼拝堂を聖Maria Maddalenaの為に建てました。なぜならペストから彼らを自由にし、この困難から苦しみを取り除いてくれたからです。<以下略>)
ちなみにフレスコの下に書かれているのは、“PETRUS PERUSINUS P.A. MCCCCLXXVIII”、微妙な違いがあります。
フレスコ画は下の碑文と共に壁ごと剥がされたらしいけど、これがペルジーノが書いたオリジナルのサインか、というと確証はないようです。
というのも、ペルジーノは“Perusinus” (ペルジーノの)と普通はサインしないんです。
ペルジーノは常に出身地”de Castro Plebis”、Citta della Pieveのとサインしている、との見解も書かれていました。
いやいや、今回私一人だったら、1冊の本を読んで、さらっと流していたところですが、より深くこのフレスコ画について知ることが出来て良かったです。
でも、私の質問の仕方が悪かったのか、まだよく理解できていません。上記本文で「この聖セバスティアヌスの下の茶色い部分に何か文字が~」とありますが、この「茶色い部分」というのは「当初の壁画部分=漆喰のフレスコ画の部分」ではなく、その下にある「後世に作られた碑文」のことでしょうか? 私がお聞きしたかったのは、製作当初の漆喰の部分に当初の文字が残されているのかどうか?ということです。あるいはこの碑文自体が1478年当初のものであるならそれでいいのですが、私には17世紀か後世に1478年当初の漆喰のフレスコ画の文字を写し取ったものと思えます。
昨日の質問でも書いたようにGiunti社Art DossierシリーズPeruginoのp17掲載図版の聖セバスティアヌスの足のすぐ下に描かれている台枠部分を見ても文字は読めません。
例えば同じPeruginoのDerutaの壁画断片(新宿ペルジーノ展図録No.10)では聖人2人の足の下とデルータの街並みの間に銘文の文字が描かれています。(昨日の記事中の恩師の教授の方が執筆された著書の表紙がまさにこの絵のデルータの街と銘文の文字の一部です。)このような製作当初の文字がCerquetoの絵の現存する部分に残っているのかを知りたいということです。画家本人の自筆であるか別の人が書いたものであるかは問題ではありません。また、碑文の内容を信用していないということでもありません。昨日の質問でも書いたように、後世の記録でもこの内容は信頼できるものだと思っています。しかし、製作当初の銘文や署名が残っているかどうかというのは美術史研究では重要なことだと思います。文字の現物が残っていれば将来の科学技術の進歩により、今後何か新しい発見があるかもしれませんが、残されていないと、記録に書かれたその文章の内容を吟味するだけとなり、その分研究進展の可能性は少なくなってしまいます。
将来ペルージアを再訪することができて、さらに時間があって20kmぐらい離れたCerquetoへ行くことができた場合、私としては拡大鏡持参(国内海外を問わず美術館でもお寺・教会でもいつも持っていきますが)でこの絵の銘文(製作当初のそれが残されているなら)の部分をしっかり見ようと思っています。私は理系出身ということもあり、趣味の美術鑑賞・美術史研究に関してもこのような視点を忘れないようにしています。
大変失礼しました。今回は質問の内容を理解しました。
まず、はっきり碑文が確認できる写真がありましたので、追記としてブログの方に掲載しました。(ここに写真が貼れないのは非常に不便です。)
写真をご覧になれば一目瞭然ですが、現在見られるのはこの「ペルージーノ作」の部分のみです。
そして「この部分が後で付け加えられたのか?」について検証しました。
自分のイタリア語の訳が間違っていたか?という不安もあり、いくつか気になる点があったので注意深く読み直しました。
まずこのフレスコ画がどのようにして今の状態になったのか。
当時描かれた壁ごと”碑文も一緒に”ブロックで切り取られ、そのまま今ある場所へ埋め込まれたというのは、間違いありませんでした。
参考:"Il dipinto fu segato con tutto il muro, parte dei santi contigui e dell'iscrizione in basso."(絵は、近くの聖人たちや下の碑文を含め全ての壁ごと切り取られた。)Perugino, Vittoria Garibaldi, Silvana Editoriale
その切り取られた碑文に関してですが、「ピエトロ・ペルジーノが1478年(に描いた)」という部分の一番古い記録は、1597年Cesare Crispoltiという人物が”La più antica guida di Perugia(ペルージャで一番古いガイドブック)という本でこれを書いているそうです。(ただし、キャプションによると写し間違えたようで1473年(ラテン数字でVがない)になっているそうです。)
1628年の記録(Angelo Marchetti)にも、1764年の記録(Filippo Amedei司祭が訪れたことの口頭で語った記録)にもこの表記に関しては確かな記録が残っているので、現在も見られるこの部分に関しては、もちろん1478年から1597年の間に書き加えられた可能性は皆無ではありませんが、15から16世紀と考えられています。
そしてブログに記した、俗語のフレスコ画の目的を書いた長い碑文に関しては、これに関しては、私のイタリア語の理解が甘かったようです。
これは、「フレスコ画の下に画家のサインと共に書かれてい”た”」。と過去形で書かれているのですが、これは「以前は書かれたいたけど(正確には「書かれていたかもしれない」の方が正しいのは下記に)、今はない」と解釈するのが正しかったのです。
1628年、礼拝堂つき主任司祭であったAngelo Marchettiが「全碑文をコピー」していたことは、証拠の記録が2点残っていますし、1764年Filipp Amedei司教がここを訪れた口頭記録を記述したものにも「ペルジーノが」という部分はあるそうです。
しかし1804年に碑文を転記したというOrsiniの記録にだけ、この長い碑文がフレスコ画の下に有った記録があります。その碑文がいつ書かれ、いつ消えたかはOrsiniが転記したという碑文自体がフレスコ画の下に存在しないし、別の記録も今のところみあたらないので分からないようです。ただ碑文の内容の信憑性は、実際描かれている聖人などから間違いないようです。
参考文献:Perugino Itinerari in Umbria, Elvio Lunghi, Silvana
Perugino, Vittoria Garibaldi, Silvana
I protagonisti dell'Arte italiana. Pittori del Rinascimento, Perugino, Vittoria Garibaldi, Scala
現地キャプション
私が持っているペルジーノ関係の資料すべてに目を通しましたが、筆者がVittoria Garibaldiに偏っているので、更なる資料が有るかもしれません。
ここまで「書かれたもの」に興味を向けたことがなく、資料もいつもさらっと読んで理解した気になっていたので、今回は非常に勉強させていただきました。
これからも是非遠慮なくご指摘ください。何卒よろしくお願いいたします。
なお、上記の本文中での「ペルジーノは“Perusinus”と普通はサインしない」という件、これは契約書や納税申告書といった個人が紙の文書にサインする場合のことではないでしょうか。RizzoliのPeruginoではフレスコ画やタブローなど7点程度の絵画作品の署名部分の写真が掲載され、これにはほとんど全てPETRVS PERVSINVS PINXITと書かれています。また、このRizzoliの写真でCerquetoの聖セバスティアヌスの銘文・署名の写真がなぜないのかと思っていたのですが、存在していないから写真が掲載できなかったということがやっと分かりました。
また、この機会に私が銘文や署名についてこだわっていることに関して少し書かせていただきます。
日本美術の例で、運慶の仏像の作者判定について、ある研究者が主張している分類があります。第一は「像自体の銘文や納入品の記載事項により確実な作品」、第二は「銘文はないが作成当時の信頼できる記録により真作と考えられる作品」、第三は「後世の記録により運慶作と書かれ、作風もそう判断できるもの(伝運慶作と呼ぶ。例えば高野山の八大童子や金沢文庫運慶展に出た愛知県滝山寺の梵天像)」、第四は「運慶作という記録は何もないが、美術史研究により運慶作と推定可能な作品(運慶に帰属)」の4分類です。1と2はほとんど異論はありませんが、3は異議を唱える研究者もいます。4では3より多くの研究者が異議を唱えることがあります。この分類を西洋美術に当てはめると、ヴァザーリの列伝に記載されている作品は2と3の間ぐらい(ヴァザーリと同時代人で面識がある人の作品なら2もある。15世紀までの作品は3)、Cerquetoの聖セバスティアヌスは1に準ずるものといったところでしょうか。
バロック絵画の署名に関することではカラヴァッジョの署名のことを思い出します。2016年のカラヴァッジョ展記念講演会(イタリア文化会館)で、私は個人蔵のメデューサの楯の署名について会場から質問したのですが、講演者のM先生は「マルタの聖ヨハネの署名はカラヴァッジョが騎士団へ加入するという血で書く必然性がある。メデューサでは血で書く必然性がないし、カラヴァッジョの首切りの絵はたくさんあるのに、どれにも署名はない。あの楯の署名は話ができ過ぎで、あの署名がなければよかったのに」というご意見でした。そしてM先生から主催者側としての意見はどうかということを振られた西美のK学芸員は「マルタの聖ヨハネの斬首の署名の原型がこのメデューサの楯の署名だと考えれば、署名の形式がよく似ていてもおかしくない」というご意見でした。最近私はZoffili編集のFirst MEDUSA/Prima MEDUSAという英語伊語併記の本を詳細に調べる必要があったのですが、署名部分の調査も含めたこの本の科学調査の結果を見ると、この楯がウフィッツイの楯の準備作品でありカラヴァッジョの真筆と考えてもおかしくないと思うようになりました。最近の研究者も徐々にそう考えるようになってきたようです。従来からの常識ではカラヴァッジョの署名は「マルタの聖ヨハネの斬首しかない」ということで、その後に出てくる署名入りの作品は全てコピーと思ってしまうという先入観があったようです。なお、この個人蔵の楯、昨年秋の名古屋のカラヴァッジョ展に出ていたので、2016年の時は半信半疑でしたが、今度は真筆だろうという思いでじっくり見てきました。
工房で作られる作品の署名というのも面白くまた難しい問題を含んでいます。クラーナハの工房では弟子が描いた作品でも、あの羽付き蛇のシンボルマークを入れてクラーナハ作として出しているし、日本美術でも例えば快慶工房の仏像では弟子の行快作と判定できる作品(耳の彫り癖で判定できる)でも親方の快慶の署名入り(立っている仏像では足ホゾという台座に立てるための足裏の長い棒状部分に署名する)で注文者に引き渡されます。(昨年の東博大報恩寺展の時に私は十大弟子の耳の違いばかりを長時間眺めていました。)工房の問題で今疑問に思っているのは、ペルジーノやギルランダイオは多くの作品に署名を残しているのに、なぜボッティチェリは工房を持っていたのにほとんど署名を残していないのか(LNGの神秘の降誕とベルリンの神曲挿絵のうちの1枚の2点だけ)ということです。大規模なフレスコ画が少ないということに関係しているのでしょうか。上記のクラーナハや快慶の工房のように親方が署名してから外部へ出すのが当然と思うのですが。
とりとめのないことを長々と書いてしまいました。時節柄聖セバスティアヌスや聖ロッコと疫病のことなど、他にも書くべきことがいろいろあるので、それは次の機会にして、今回はこの辺にしておきます。
まずこの使い勝手の悪いコメント欄に、非常に興味深いお話をこんなに長文で書いていただいたこと、感謝いたします。もっと色々お話を伺いたいので、快適な方法が有ればいいのですが…
今回の件に関しては、私も非常に勉強になりましたので、こちらこそお礼を言わなければと思います。
昨日イタリア語の資料を読み終わったので、ようやくペルジーノ展のカタログを読み始めたところでした。(笑)
些細な翻訳ミスで、内容が大きく変わってしまうのは本当に残念ですし、私も気を付けなければと思っています。
在伊中、現地に住んでいなければ見られない多くのものを見て来ましたが、頭の引き出しの奥にしまい込んだままになっていました。
本来なら、今頃イタリアで、またあちこち回っている予定だったので、今は仕事もなく、家にいるのになんとなく何もする気にならなかったので、こうしてきっかけを作っていただいたことで、いろいろ頭に浮かんできました。ただこうしていると、資料も不足していますし、また現地に行きたくなります。
真贋、署名に関する提言に関しては、私も思うところがあるので、改めて書かせていただきたいと思っています。非常に面白い話があります。
1つ安易な意見ではありますが、署名に関しては、芸術家が自分を芸術家として意識した証であって、「職人」ならサインはいらないと考えていたと聞いたことがあります。署名の価値の変化はもう少し調べてみないと分かりませんが、ルネサンスは署名の価値の過渡期だったので、署名する人としない人といたのではないでしょうか?署名するかしないかは、芸術家たちが決めていたのではなく、注文主の意向だったとも考えられますし。
例えばルーベンスのように弟子が製作したものには全て自分サインを入れていた画家もいますよね。それはまるで中国で制作されているのに、ブランド名さえつければ高級ブランド品として価値が付くのと同じ原理かと。
安易な意見だとは思っていますが、今はそれしか思い浮かばなかったもので、失礼しました。この辺りのこともこれから気を付けてみていきたいと思います。
今回は上の追加説明で書かれた本のことで質問です。Cerquetoの聖セバスティアヌスの写真が掲載されている本としてご紹介されたSCALA社の本ですが、これは以前SCALA社が画家別のシリーズとして出していた(英語版では)「THE LIBRARY OF GREAT MASTERS」に収められた画家のうち、ペルジーノを含む8人だけを集めて1冊にした本なのでしょうか?このシリーズは東京書籍発行の日本語版では「イタリア・ルネサンスの巨匠たち」として30巻出ていますが、ペルジーノは採用されていません。英語版、日本語版とその他の外国語版でこのシリーズは何冊も持っているのですが、Garibaldi氏の書かれたペルジーノは持っていません。Garibaldi氏はペルジーノ以外は書いていないようで、ご紹介された本がこのシリーズから再録されたものならGaribaldi氏を含む8人の研究者が書いたものになります(あるいはこのシリーズとは全く別の新しい本なのか)。私はこのシリーズの英語版ペルジーノとピントリッキオが欲しいのですが、ネットで探してもドイツ語版ぐらいしか見つからないので、どうしようかと思っていました。今後の購入検討のために、(収録されている残り7人の画家が誰なのかも合わせて)ご教示ください。
最後に、この時節柄疫病退散の話題を少々。ボッティチェリが最も好きな私としては、聖セバスティアヌスというとまず頭に浮かぶのはベルリンの絵です(ファンになってからこの絵を見るまでに40年かかりました)。Cerquetoのペルジーノ作品の5年前の絵であり、2人ともヴェロッキョ工房を離れた後の作ですが、ボッティチェリの優美さとペルジーノの力強さという好対照が感じられます。ボッティチェリで他にこのテーマの絵は工房作のヴァチカン絵画館の絵ぐらいしかありませんが、ペルジーノは複数の聖人の中に描かれたものも含めれば10点以上の聖セバスティアヌスが残されています。ペルジーノは聖ロクスの絵も描いていますが、こんなにたくさん描いていても最後はペストで亡くなっているので、疫病退散のご利益の効果はなかったようです。なお、聖ロクスの絵とペストについては下記の論文がインターネットで日本語で読めますのでご一読を。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/217007/1/Diaphanes_3_83.pdf
本の件ですが、筆者は下記の通りです。
Ghirlandaio:Emma Micheletti, Perugino:Vittoria Garibaldi, Pinturicchio:Cristina Acidini Luchinat, Signorell:Antonio Paolucci, Mantegna:Ettore Camesasca, Giovanni Bellini:Mariolina Olivari, Carpaccio:Francesca Valcanover, Veronese:Filippo Pedrocco
本の中に「I Grandi Maestri dell'Arte」のデジタル縮小版ですと書いて有りました。知らなかった…
http://www.scalabooks.com/catalogo.php?mode=LIST_SOTTO_COLLANE&collane_ID=5&NavigationPage=1
論文ですが、昨日丁度次に書こうと思っている題材について調べていて、この河田淳氏が書かれた論文を見つけて読んだところでした。教えて頂いたもの、ともう1本気になるものを見つけたのでゆっくり読んでみようと思います。ありがとうございます。
そうそう、公共交通手段で行き難い場所が多いイタリアですが、Cerquetoは本数はさほど多くないですがPerugiaから直通のバスが出ていますので、いつか是非実物を見に行って下さい。
古代マヤの署名 URL
をあげてみました。
さて、早速の素早いご回答、いつもながら感謝しております。
やはりSCALA社の本は私の推定していた通りのものでした。手持ちの本や関連資料により、各画家毎の著者も上記ご回答の8人と同一であることを確認しました。この8人の画家のうちPerugino、Pinturicchio、Veronese以外は全て東京書籍発行のシリーズとして日本語で読めます。私の方は今後、持っていない分のうちPerugino、Pinturicchioの英語版を手に入れるように努力してみます。
こちらからCerquetoの絵の追加情報を一つ。
この機会に自分が持っているPerugino関係の資料を全て確認したら、現状の銘文が後補だということに触れた日本語論文がありました。美学 第68巻2号(251号)2017.12掲載の「ペルジーノ作ガリツィン祭壇画におけるフランドル絵画の影響」(江藤匠)というものです。ワシントンNGの磔刑図三連画について、ファン・エイクの磔刑図などからの影響を論じたものですが、この中でCerquetoの聖セバスティアヌスに触れています。銘文についての記載は注の部分ですが、以下のように書かれています。
(注32)途中略…壁画は18世紀の改修の際、右壁の第二祭壇に移された。Wood 1985,p.38,p.68.
(注33)Gnoli,Umberto,I documenti su Pietro Perugino,Perugia,1923,p.3. 壁画下部の現状の銘文は、「PETRVS PERVSINVS P A MCCCCLXXVIII」であるが後補である。壁画移設以前のペルージア図書館の古文書(MS.F.22.F.115)では、「Petrus Perusinus pinxit MCCCCLXXIII」になっていた。Bombe,Geschichte der Peruginer Malerei bis zu Perugino und Pinturicchio,Berlin,1912,p.355. ウッドは様式的観点から、1473年の方が制作年として妥当だとしている。Wood 1985,p.46,p.71. ペルジーノがフィレンツェの聖ルカ組合に登録されたのは1472年のことである。Bradshaw, An Annotated Chronicle, 1998,p.256.
なお、Wood 1985はWood,Jeryldene,The Early Paintings of Perugino,Ann Arbor,1985 (University of Virginia,Ph.D.thesis) (注7より)
また、本文には、この絵は腕を後ろ手に円柱に縛られた伝統的な姿(ピエロ・デラ・フランチェスカのキリストの鞭打ちの影響―Wood 1985)であるが、1480年代に入ると、違ったタイプの絵(両腕を掲げて手首を木の枝に結い付けられている―ストックホルムNG)を制作しており、これはショーンガウアーなどドイツ版画の影響の可能性。また、ストックホルムの絵の聖セバスティアヌスの周囲に純潔や受難の象徴の花が咲き乱れているのはイタリアの絵画伝統にはなく、メムリンクなど北方絵画の影響 とあります。
この論文については2年ぐらい前にコピーを取って読んだのですが、さらっと読み流した程度であり、Cerquetoの聖セバスティアヌスに触れていることなど全く記憶にありませんでした。問題意識を持って読まないと身につかないものですね。
山科さん
お久しぶりです。その節はRizzoliの本やLightbownのCrivelliの書誌情報についてお世話になり、ありがとうございました。Nelson、Zambrano のFilippino Lippiについてはまだ手に入れていません。大学図書館にはあるので、必要なカタログレゾネの部分だけコピーしようかと思っています。
いつも役に立つ情報をありがとうございます。
記事、紹介させていただきました。