ペストがなぜ流行るのか、科学的な知識の乏しかった人々は、疫病が流行るのは、神が人間に罰を与えたと信じられていた。
今回の新型コロナの流行ですら、「神の怒り」と考えている人がいないわけでなないのだから、中世やそれ以降の人々が、神の仕業と思うのはごく当たり前のことかと。
そして人々は神の怒りを鎮めることこそ、この病から逃れる唯一の手段だと考え、教会を建てたり、絵画を奉納したりしたのである。
中でも、神への「仲裁者」として人気だったのは、人間で有りながら、キリストを生んだ聖母マリアと元は人間だった聖人たち。人間は直接神に訴えることは恐れ多くてできないのだ。
中でも一番人気だったのは、先日も書いたようにSan Sebastiano(聖セバスティヌス・セバスチャン)
矢で射られても死ななかったSebastiano。
「黒死病」と言われていたペストの症状が、まるで矢で射られた跡のようだったからだ。
他にも、San Rocco(聖ロクス)がいる。
このSan Roccoに関しては、興味深い論文を教えてもらったので、興味がある人はそれを読んで欲しい。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/217007/1/Diaphanes_3_83.pdf
さて、先日以来、Perugino(ペルジーノ)がCerquetoに描いたSan Sebastianoの件を色々調べていたのだが、そんな中、見たことのないSan Sebastianoを発見した。
この手前の人がSan Sebastianoだという。
Sebastianoは大抵、裸で矢で狙われていたり、矢が突き刺さった状態で描かれるのが一般的なパターンなのだが、このSebastianoは服を着ているし、矢傷もない。唯一彼と特定できるアトリビュート(西洋美術において伝説上・歴史上の人物または神話上の神と関連付けられた持ち物。その物の持ち主を特定する役割を果たす。)の矢によってその人と判定できるのだ。私の記憶の中では(あまり正確ではないが)、このパターンは初めて見た気がする。
背景に金が使われた後期ゴシック色の濃いこの作品もPeruginoの作品と考えられている。
先日から話題にしているCerquetoのSan SebastianoとこのDerutaのSan Rocco(聖ロクス)が描かれたこの作品
とは関係が伺われる。
上のSan Sebastianoに関する手元に有る唯一の資料によると(Perugino, V. Garibaldi, Silvana)、この作品は多分三福対祭壇画の一部と考えられるが、これ以外の部分は残っていないし、誰のために作られのか、ペルージャの何処かだとは思うが、どこに置くために制作された作品なのかもわかっていない。
絵画の様式から、1468年Piero della Francesca(ピエロ・デッラ・フランチェスカ)が描いたPolittico di Sant'Antonio(聖アントニウスの多翼祭壇画)の影響は見られるが、同じSebastianoとは言え、Cerquetoのものとは全く共通点がない。
だからMasaccio(マサッチョ)、Botticelli(ボッティチェリ)、Buffalmaco(ブッファルマコ)、Fiorenzo di Lorenzo(フィオレンツィ・ディ・ロレンツォ)などなど様々な画家たちの可能性も秘めていて、更なる研究が必要とされている。
現在はフランスのMusée des Beaux-Arts de Nantes(ナント美術館)が所蔵している。
今ちょっと調べていることが多すぎて、中々イタリア語の資料を消化できずにいるので、今日は軽めの内容にしておきました。
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私も入門者向けの絵の解説の本を何冊か持っています。アトリビュートについて、ちょっと解説されているものです。軽めの軽め-という本です。(^ ^)
首都圏や関西の展覧会が、6月からは見られるようになるかもしれませんね。新たな感染者が減り続けなければなりません。
カンサンさんのブログの、世間の状況を忘れるような素敵な花々の写真で癒されます。
大阪は感染者が減っているようで良かったですね。関西の方は6月以降美術館等の再開が見込めそうですが東京は緊急宣言が解除されても、「ロンドンナショナルギャラリー展」などの再開はなかなか難しいでしょうねぇ。
またこの先、人が大勢集まりそうな特別展は入場制限を設けるなど、かなり不便な感じになるかもしれないですね。人が少ない方がゆっくり見られるメリットは有りそうですが、滞在時間を制限されたり、料金も上がるでしょうね。海外にも暫く簡単には行けないですし、美術鑑賞の敷居が高くなりそうです。
聖ロクスについてよくまとまっていて、わかりやすいものでした。ただ、モンペリエ生まれということは、モンペリエ大学が中世以来欧州の医学の総本山の一つであったことと関係がありそうですね。
どちらにせよ、1347-48年の黒死病大流行の中から出てきた聖人伝であったことは疑いないことですし、当時、疫病と闘った多くの医師聖職者の伝説からできてきた尊いイメージだと思います。
私は日本美術、西洋美術ともに図像学はあまり得意ではないのですが、今回の着衣の聖セバスティアヌスの件は気になったので、手持ちの資料などで確認したところ、15世紀後半のフィレンツェ周辺で、他に4件の着衣の事例がありました(ベノッツォ・ゴッツォリとギルランダイオが各2件)。
ベノッツォ・ゴッツォリの方はサン・ジミニャーノのサンタゴスティノ聖堂のフレスコ画(1464年)とNY METの4聖人の絵(1481年)です。
前者の絵は上空から激怒する父なる神と天使がペストの矢を降らせ、下の方では別の天使がセバスティアヌスの横でこの矢を砕いているので、セバスティアヌスには矢は刺さりません。父なる神の横にいる天使は一緒になってペストの矢を降らせているのに、下の方の天使はこれと反対の行動を取っています。父なる神のすぐ下に描かれた聖母マリアと神の子キリストが仲裁者として「とりなし」をしているために、下の天使はそれを受け入れて行動を変えたということで、上記本文引用の河田氏の論文の「執り成し」についての非常に分かりやすい図解となっています。
ゴッツォリは同時期に同じサン・ジミニャーノで他に3点の聖セバスティアヌスを描いていますが、この絵以外は全て普通の裸体に矢が刺さっている絵(サンタゴスティノ聖堂内陣の聖アウグスティヌス伝に2枚、コレジアータに1枚)なので、明確に着衣の像と区別して描いています。着衣の方は「ペストからの守護聖人」としての意味合いを強調するために、矢が刺さった裸体像にはしないというわけです。
後者のMETの絵も上記河田氏の論文に解説があり、p99には図も掲載されていますが、この絵では矢を降らせるのが天使だけで仲裁者の2人もいないし、聖セバスティアヌスと聖ロクス以外の別の2人の聖人も描かれているの、サン・ジミニャーノのフレスコ画よりも分かりにくい絵となっています。
ギルランダイオの絵はフィレンツェ近郊ブロッツィのサンタンドレア聖堂の「聖母子と聖セバスティアヌス・聖ユリアヌス」(1473年頃)、ルッカのサン・マルティーノ大聖堂聖具室の「聖母子と聖クレメンス・聖セバスティアヌス・聖ペテロ・聖パウロ」(1479年頃)の2点です。この2点はともに普通の聖母子と聖人の祭壇画であり、上方にペストの矢を降らせる父なる神や天使は描かれていないので、ペストからの守護聖人として着衣にしたのかどうかは分かりません。
ナント美術館のペルジーノの絵(1476~78年頃)は聖人2人の部分の断片なので、上方にペストの矢を降らせる神・天使の部分があったかどうかは不明です。ゴッツォリのMETの絵が、聖セバスティアヌスと聖ロクスという同じ役割の2人を「瓜二つの姿で鏡合わせになるように」(上記河田論文p92)描く一方で、別の2人の聖人も描いているので、ナント美術館のペルジーノの絵にもう1人の聖人(パドヴァの聖アントニウス)が描かれていても、これがゴッツォリのMETの絵のタイプかギルランダイオの2点の絵のタイプかは判定できません。
ペルジーノはその後描いた聖母子と諸聖人の絵の中に聖セバスティアヌスを描く場合は全て裸体像タイプであり(ウフィッツイ美術館、ウンブリア国立美術館、グルノーブル美術館に各1点)、その他の画家の絵でも同様です(例えばボッティチェリ工房1499年作のモンテルーポの祭壇画、2016年上野ボッティチェリ展に出品 など)。思うにゴッツォリがサン・ジミニャーノで描いた「ペストの矢を降らせる父なる神や天使と仲裁者の2人が伴う」タイプは「ペストからの守護聖人」の聖セバスティアヌスとしてとても分かりやすい絵であるのに対し、ギルランダイオが描いた2点の絵のタイプ(着衣であるがペストの矢が降っていないもの。ナント美術館のペルジーノの絵も同様?)は当時の人々にとっても意味が分かりにくかったのではないでしょうか。そのためにこのタイプはその後ほとんど描かれなくなってしまったのだと考えています。
なお、SCALA社の東京書籍版「イタリア・ルネサンスの巨匠たち12」のゴッツォリ(日本語で読める唯一のゴッツォリの本)と同シリーズ12のドメニコ・ギルランダイオに上記の絵の図版が掲載されています。(SCALA社の8人の画家を集めた伊語の本の中のGHIRLANDAIOのページも同様。)
また、河田氏の論文ですが、インターネットで読める別の論文として以下のものがあります。上記引用の聖ロクスを扱った論文より前に書かれた「イタリア・ルネサンス美術におけるペストからの守護聖人」の全般を扱ったものであり、慈悲の聖母の役割や脚注でミラード・ミースの「ペスト後のイタリア絵画」、岡田温司氏の「ミメーシスを超えて」(第3章にペストと美術)などが紹介されている点でも有益です。
https://repre.org/repre/vol19/note/02/
他にどんな服を着た聖セバスティアヌスがあるのか、調べてみようと思っていたのですが、興味が別の方へ行ってしまっていたところだったので、わざわざ教えて頂きありがとうございます。後ほどゆっくり確認したいと思います。
全然関係ないのですが、教えて頂いた河田氏の論文を見て、突然河田氏を直接知っていることを思い出しました。(今まで男性だと思い込んでいたので、全然ピンとこなかったのですが…)彼女がフィレンツェに留学していた頃のことで、京大の大学院の話はしていましたが、まさかこんな研究をしていたとは知りませんでした。懐かしい思いと、今の自分を顧みて少々落ち込みました。
「1470年代フィレンツェ派の祈念画におけるフランドル絵画の影響―ギルランダイオの初期作ブロッツィの《聖会話》を中心に」(江藤匠 鹿島美術研究年報別冊27号2010.11)というものです。(少し前にコメントで書いたペルジーノ作ガリツィン祭壇画-ワシントンNGの磔刑図三連画-におけるフランドル絵画の影響という論文も同じ江藤氏の著作であり、この方は15世紀後半のフィレンツェ周辺の絵画に対するフランドル絵画の影響を研究しているようです。)
著者はこの中でフィレンツェ西8kmのサン・ドンニーノにあるサンタンドレア・ア・ブロッツィ教会のフレスコ画キリスト洗礼図とその下にある聖会話について、「上段の洗礼図は、ブロッツィがアルノ川右岸に位置し洪水の多いことと関係し、下段の聖会話の聖セバスティアヌスについては、周囲が湿地のためマラリアに悩まされていた地域なので、その守護聖人として描かれたといわれる。また(聖会話右側の)聖ユリアヌスも…川にまつわる守護聖人だったので、寄進と関係している(出典Cadogan, Domenico Ghirlandaio,2000他)」とあります。
上空から神や天使が矢を降らしていたり、聖セバスティアヌスと聖ロクスが対で描かれている場合はペスト除けという意味が明確ですが、そうでない場合は、聖セバスティアヌスが裸体であれ着衣であれ、ペストも含む広い意味で病気からの守護聖人という意味で描かれたと言えそうです。
そして聖母子と諸聖人の絵では1460~70年代ぐらいまでは着衣の聖セバスティアヌスが描かれることもあったが、(上空からペストの矢が降っていないタイプの)着衣の像は意味が分かりにくいので1480年代ぐらいからは裸体の方が圧倒的に多くなったように思えます。(上記コメントで上げたベノッツォ・ゴッツォリのNY METの4聖人の絵は矢で射られていない着衣の聖セバスティアヌスが描かれている1481年の作ですが、天使が上空から矢を降らしているタイプの絵です。)
ギルランダイオの着衣の聖セバスティアヌスはブロッツィの絵が1473年頃、ルッカの絵が1479年頃です。ペルジーノの例では、1476~78年頃のナント美術館の絵が着衣、1478年のチェルクェートの絵が裸体(聖ロクスが描かれているのでペスト除け)です。1476年のデルータの絵は現在の断片は聖ロマヌスと聖ロクスだけですが、聖セバスティアヌスが描かれていたかもしれません(その場合、着衣だったか裸体だったか、矢で射られているかはどちらとも言えませんが)。上記コメントで取り上げた聖母子と諸聖人の絵の中に裸体の聖セバスティアヌスを描いたペルジーノ作の3件の絵はいずれも1490年以降のものであり、また、ボッティチェリ工房作のモンテルーポの祭壇画(裸体に薄い布をまとった聖セバスティアヌスと太腿を見せる聖ロクスが描かれているのでペスト除けの意味を持った絵)も1499年の作ということで、これらは全て1480年代以降の絵です。
矢で射られているかどうかについては、上空からペストの矢が降っている場合は「ペストの矢をよける」という意味から必ず「射られていない」で着衣、ペストの矢が降っていない場合は「射られていて裸体」、「射られていなくて(手で持っていて)裸体」、「射られていなくて着衣」の3通りがあるようです。
結論として、ナント美術館のペルジーノの着衣の聖セバスティアヌスは、ペストまたはその他の病気からの守護聖人として、聖母子等を中心とする諸聖人を描いた祭壇画の一部であるが、この着衣の聖セバスティアヌスは通常の裸体のセバスティアヌスと比べて意味が分かりにくいので、1480年代以降はペルジーノもそれ以外の画家もあまり描かなくなった、ということが言えると思います。
なお、ギルランダイオ作ブロッツィのフレスコ画の上段キリスト洗礼図はウフィツィ美術館の有名なヴェロッキョ工房と若きレオナルドが描いたキリスト洗礼図(1470年頃)の影響を受けてギルランダイオ工房が1473年頃に描いたものですが、両者を並べてみると、いかにウフィツィの絵が優れているか(逆にブロッツィの絵はいかにも職人画家が描いたもの、そしてウフィツィの絵は盛期ルネサンスを予告する絵であるのに対して、ブロッツィの絵は15世紀の保守的な絵である)ということがよく理解できるようです(参考:Andreas Quermann著Ghirlandaio,1998英語版)。この比較はなかなか興味深いと思いました。地図を見るとサン・ドンニーノという場所はフィレンツェの中心部からそれほど遠くないので、バスなどで簡単に行けるようなら将来行ってみたいと思います。
お返事が遅くなって申し訳ありませんでした。非常に興味があるコメントを頂いたので、先週はBenozzo GozzoliのSan Sebastianoに関するイタリア語の資料を読み込んでいました。今週は少しずつご報告できると思いますのでご覧いただければ幸いです。