イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

日本人の技

2012年08月28日 20時15分56秒 | 日本のこと

先週新潟に行っていた。
座談会と客員講師(そんなたいそうな話ができなかったのでちょっと恐縮ですが・・・)をやらせていただき、参加していただいた方には喜んでいただけたようなのでほっとした。
いや~これも経験をつんでいかないといけないなぁ、とちょっと反省しております。
それにしてもここ数年毎年帰国時には訪れているのだが、かの地に行くと必ず面白い出会いがある。
人しかりものしかり…
ホント縁は異なもの味なもの!(あれ?この縁って男女関係だけのことをさすのかしらん???)

新潟とは若い時から浅かりし縁があるようだ。
実は20代の頃、冬季は毎週のように新潟のスキー場に通っていた。
今の私からは想像に難いでしょうが…
というのも、大学時代の友人に新潟出身者が多かったから。
「いっそ新潟に引っ越してくれば」と言われていたくらい。
お酒もおいしいし温泉も有るしね。“水が合う”という感じ・・・かな?
そんなこんなで今では新潟は第2?第3の故郷みたい。

そして最近友人から、「もし日本に帰ってくるなら、いっそ地方で働いた方がいいのでは?」と助言をされた。
もう10年近く会社勤めをしていない私。
イタリアから引き上げたら、イタリア語を教えるか、文化講座の先生をやるか、もちろん両方やっても厳しいだろうなぁ…
それに、都会では需要も多い分ライバルも多い。
いっそ地方に行った方が…というのが提案理由。
まぁこれはイタリアから引き上げてから、というお話。

ちょっと前置きが長くなってしまったが、人以外にも今回もすばらしい発見があった。

それは友人が連れていってくれた燕市産業資料館でのこと。
あっ、久々に今回はちょっとまじめ&長めのお話になると思うのでお付き合いよろしくお願いします。

こちらの資料館には燕市の産業製品などが展示されている。
燕市と言えば洋食器で有名ですが、ちょっと面白いところではみつ豆スプーンなど。

よく見たらブイヨンスプーンだって珍しい!?
スープ用ってことかしらん???
それにしてもこの”みつ豆スプーン”
う~ん、登場回数少なそうですが…
「みつ豆の会社とコラボして売ったら」なんて余計なことを考えた私たちでありました。

しかしちょっとおかしかったのは、ここを訪れたあと、知り合いのお宅で偶然にもあんみつが出たこと。
もちろん普通のスプーンでいただきましたが。
ごちそうさまでした。

スプーンのコレクションもなかなか楽しいものがありましたが、特に目をひいたのは煙管入れのコレクション。
自分の人生の中でこんなじっくり見たことないかも…しかしこれが面白いのなんの。
現在でも売れそうなデザインのものばかり。
私たちが一番興味を引かれたのはこの袋の留め金。
これが実によくできている。
おじさんみたいなのがついているのを見て「かわいい」と言ったら、友人に「どこらへんが?」と突っ込まれてしまったのですが…しかしよく見ると浦島太郎が玉手箱を開けたところ(この写真がそうだと思います)とか、ものすごく手が込んでいる。

私たち以外に来館者はいなかったので、じ~くり観察できた。
私たちのような変わり者(友人には失礼ですが)にはとても面白い資料館だった。

そして帰り、友人がこちらの学芸員さん、知り合いだというので、挨拶しているとこの煙管入れの説明をしてくれたのですが、説明を聞いてびっくり!
実はこのケース舶来ものなんですって。どおりでおしゃれ!!
これ「金唐革(きんからかわ)」というものらしい。
初めて聞いた・・・
世の中にはまだまだ知らないことばかり・・・なんて思っていた。
しかし、この後の説明で更にびっくり!
何でも西洋の壁紙を再利用した製品で、なんと学芸員さんがいうにはこの金唐革を作ったのは、なんとボッティチェリだと言われていると言うじゃないですか!?
こちらの学芸員さん、考古学畑の出身者でイタリアで発掘経験もあるとか。
つわものだわ・・・
それにしてもイタリアの壁紙???
今まで注意して見たことなかったので思い出せない。

でも最近向こうでも壁紙を再利用した作品が注目されているらしい。
今年のMilanoのSaloneでも壁紙を使った作品が出展されていたらしい。
う~ん、知識ってこうして数珠繋ぎにつながっていくものなんだなぁ・・・

ちょっと調べてみると、イタリア語ではCuoio d'oroと呼ばれていて、なめし革の上に特殊な塗料で金属箔を貼り、金型で文様をプレスしたうえに彩色したもので、ルネッサンスの時代にメディチ家の庇護のもとに発展したということ。
書物の表紙を美しく飾り、椅子の背に張られていたが、何といっても壁面の装飾、高級な壁張りとして発展していった。
ヨーロッパの住まいも小さな部屋がふえ、城館や教会用に莫大な需要を誇っていたタピスリーの生産も、17世紀を境に衰退が始まった。
そこで代わって金唐革が人気を集めるようになった。 
金唐紙は宮廷や城、協会の壁を飾り、そのデザインできばえが競われた。
そして改築の時期を迎えると新しい壁布、壁紙に張り替えられ、剥がされた古いものが日本にやってきたそうだ。
早速イタリアに戻ったら調査してみようと思っている。

で、日本の方のお話は、金唐革は17世紀の半ば位に渡来したようで、当然当時は非常に貴重なものだったようだ。
当時はオランダとしか貿易をしていなかったのだから、そこから来たのかな???
ヨーロッパに比べると、日本の皮革工芸は大幅に遅れていた。
いかにも異国的な、豪華な金唐革は珍重され、武士は刀の柄や馬具などに、富裕な商人は煙管入れをつくったり屏風仕立てられたが、輸入品が増えすぎて寛文八年(1668年)、ついに禁止令が出る。
徳川4代将軍、家綱の時代だね。
贅沢な金唐革も「無用なもの」として指定されてしまう。「金唐革御停止」
しかし禁止令は、いつの世でも表向きだったのはいうまでもなく、日本ではこれを機に皮革工芸が進歩します。
その後平賀源内が、浮世絵版画の手法で、模様の上に漆を塗って金唐革を模作しますが、失敗。 
しかしやがてこの高価な革を、日本の和紙を加工して作れないかと模造が始まりました。

というのが金唐革→金唐紙の概要。
で、この金唐紙の方はその後逆にヨーロッパに輸出されるようになった。
う~ん何でもまねしてそこから更にいいものにして行くという日本人気質を非常によく反映しているなぁ。
バッキンガム宮殿の壁などもこの金唐紙が使われているらしい。
もちろん日本の洋館(旧岩崎邸など)にも使われているらしい。
残念ながら明治末期、機械漉きの和紙の台頭で品質が落ち、金唐紙は廃れてしまう。
第2次世界大戦後、かろうじて復活、国会議事堂などの壁に利用されたようだが、産業として成り立つほどの需要はなかった。

これを見ていて、そうかぁあの甲州印伝もこんな感じかと思ったら、印伝は「南蛮貿易が盛んな17世紀、東インド会社より輸入されたインド産の装飾革に『応帝亜(インデヤ)革』と呼ばれた革があり、印度伝来を略して印伝となったと伝えられている」そうだ。
こちらは鹿革だけど・・・

そしてその日の帰りの新幹線のなかでこれまた紙つながりで面白い記事を発見。

宮城県の白石紙子。

こちらは「紙で作る衣服」だそうです。”風を通さず暖かいために、防寒着などに使われた。白石紙子は丈夫で肌触りも柔らかいので、江戸時代の人気ブランドだった”という。現在はさすがに衣服としての需要はなくなってしまったが、小物雑貨などがこの生地で製作されているようです。

いやいや、いろいろサイトを見てみたらすばらしい。
これぞ日本が世界に誇れる和紙の技術!!いつか実物を見てみたいものです。

なんかちょっとアンバランスな記事になってしまいましたが(集中力が切れた・・・)お許しを。
どちらにせよ、日本人の技術ってすごいなぁ!!
いやいや、今回も本当にいろいろなことを勉強させていただきました。

新潟でお世話になった皆様本当にありがとうございます。
また来年お会いできるのを楽しみにしています。



最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
行けなかった燕三条 (M.SATO)
2012-08-29 00:01:19
「泉」さんが燕三条に行ってらしたなんてびっくり。娘はイタリア人G君と彼の地に行きたいと手を尽くしたらしいのですが、お盆と重なりハサミ職人さんのアポが取れなかったとか??工芸の街なのでしょうか?
※9月1日予定ありで桜木町には伺えそうにありません。残念。
返信する
次回は (fontana)
2012-08-30 13:50:23
M.SATOさん
あちらには毎年行っています。職人さんは日本もしっかりお盆休みを取るでしょうね。言ってもらえば地元の友人に聞いていたのに・・・残念でしたね。
返信する
パイプ入れ (Shoko)
2012-09-01 10:15:54
実は私の実家には昔のパイプセットもあります。江戸時代末期からの庄屋さん(米問屋)の家なので、貧乏ながらも古いものがたくさんあります。私にとってはガラクタだけど、本当は価値のあるものなのかな。
いつかは家を継ぐ人がいなくなるから、いっそのこと骨董品をどこかに寄付しようかとも、他の家族のメンバーをさておき、勝手に考えています。
返信する
追伸、和紙 (Shoko)
2012-09-01 10:25:18
今年の7月にドイツ人10名と共に私の実家に行きましたが、家にあった鎧兜(よろいかぶと)のいろんな部分に使われている黒い部分は何から出来ているのかという質問が出ました。
ある知り合いの女性が、「それは和紙を厚くして、漆を塗って矢が通らないようにしているのよ」と言いました。
私も知りませんでした。ドイツ人を通じて日本の文化を学ぶとは、、、、(苦笑)。
返信する
私も・・・ (fontana)
2012-09-01 11:12:58
Shokoさん
本当に自分たちの文化なのに知らないこと、多いですよね。普段そんなこと考えていなかったことを外国人に指摘されることも多いし。(苦笑)視点を変えるだけで日々新しい新しいことの連続です!
和紙は修復に利用されるなど本当に奥深いです。恐るべし日本人!!
返信する

コメントを投稿