今日はお昼イタリア人の友人と久々にお昼を彼女がしばらくバカンスで実家に帰る前に。
先月、彼女はサンティアゴ・デ・コンポステーラへ巡礼の旅へ行っていました。
彼女が歩いたのは半分の300キロ。それでもすごいなぁ、と。
「素晴らしい経験だった」と言っているのを聞いて、やっぱり私も興味を持ちました。
体力が残っているうちに…
いや、まずVia Francigena(フランチジェナ街道)でも。
これは以前から興味が有ったんです。
というのもフランチジェナ街道沿いには気になるフレスコ画や彫刻がいっぱい。
私はキリスト教徒ではないので、宗教心よりそちらですね。
巡礼の話を聞きながら面白かったのは、巡礼の街道沿いは全てフリーWIFIなんですって。
街道沿いはボランティアの人が巡礼者の必要なことに全て答えないといけないとか。
そして、WIFIフリーのお陰で道にはぐれた韓国人の女の子が見つかったり、けがをした人がすぐに救急車を呼べたりしたそうです。
技術の進歩ってすごいですね。
しかし、この巡礼中に彼女が知り合ったルワンダの青年が「日本に行きたい」と言っていたので
彼女は「日本にはフリーWIFIないよ」と教えたそうです。
「げっ、しれじゃあ止めた」って。
これ、日本人には分からないと思うけど、本当に日本って空港くらいしかフリーのところないですよね。
だから私も帰国中は家を出たらネットつながっていませんでした。
まぁ、それでもあまり困らないんですけどね。
しかし、他の国と比べるとかなり遅れています。
「新幹線ですらフリーwifiない!」って友達は憤慨しています。
オランダなんか路線バスでもフリーだったもんね。
で、ここで彼女の持論がすごく面白かった。
「ラジオを聞いてお金払えって言わないのに、何でWIFIにはお金がかかるんだ。おかしい」と
これ、考えたことなかったけど、面白い意見じゃないですか?
ラジオも電波、ネットだってしかりです。
私は妙に納得したんですけど。
まぁ2020年のオリンピックに向けてそこらへんは解消されて行くのでは?と思いますが…
「そうじゃないと世界中から馬鹿にされるよ」とまで言われてしまいましたが。
それにしても10年前はフリーWIFIなんてこと考えなかったけど、それなりに普通に旅が出来てたりしたのになぁ、と。
便利になればなったできりがないですよ。
ただ、不便な時代を生きて来たので(当時はそれが普通だったから不便と感じなかったけど)、
ネットがつながらなくても自力で何とかする方法を頭で考えることが出来るんだなぁ、
と今回の旅では実感しましたよ。
ということで前置きが長くなりましたが、マルケ州の2日目です。
今日はまずほとんどの土地勘のない人のために地図をまず載せましょう。
小さいからかえって分かりにくいかな?
赤い印が有る場所が1日目のMontefiore dell'Aso
真ん中あたりの黄色い星がいっぱい有るのがMacerataで今回はそこを起点にぐるぐるしていました。
2日目の午前中に訪れたのは、アンコーナの下のOsimoです。
あれ?バスはCentroには着かない…と思ったのですが、これ
マルケやウンブリアには山(丘?)の上に中心街が有る街が多いですが、御多分に漏れず、こちらもこのケーブルカーに乗って上に行きます。
ケーブルカーってすごく非日常なので、なんとなく気分が高揚しませんか?
高所恐怖症だから?
5分位で街に到着するし、2基動いているから待ち時間もほとんどないし、もちろん無料です。
上からの眺めは
下にバスターミナルが広がっています。
上ったところにはS.Francescoかな?
ここからは
エスカレーターで
頂上に到着。
インフォメーションの表示が有りましたが見つけられませんでした。
この街に来たのはロマネスクの大聖堂とVittorio Sgarbiという今のイタリアで一番有名な美術史家のコレクションを展示した展覧会を見に。
時間が有ったら、洞窟に入れるらしいので、それも…と思ったのですが、決められた時間のグループ見学になるので、時間が合わず、洞窟には行かれませんでした。
大通りに出ると
街中に市場が立っていました。
こんなに小さな街なのに、結構活気があります。
結構質が良いものも置いていて、うっかり買い物しちゃいました。
背後の時計が付いている塔はPalazzo Municipale con Lapidarium(市役所とLapidarium…は彫刻を展示している場所です)
入り口入ったところに、ローマ時代の彫刻かな?が有りました。
え~と、この建物に展覧会のポスターが張って有ったので、
ここかと思ったら違ったので、まずこの近くの大聖堂に行くことに。
途中
”ローマの壁”と書かれた壁が。
ローマ時代のcensori(財産調査官)、Q.Fulvio Flacco, A.Postumio Albinoが紀元前174年に請け負ったものと歴史家のLivioが印しています。
同時に広場にお店を作ることを決めたそうです。
紀元前295年Sentinum (現Sassoferrato)の戦いで、ローマ人がPiceno(ピチェーノ)を征服した時にOsimoもローマの支配下に置かれていました。
さてさて大聖堂ですが。
修復しているのが残念ですが、遠くから見て好みの顔。
何と言ってもこのRosone(バラ窓)
いっぱいいろいろなものが付いていますよ。
かわいすぎます。
Cattedrale di San Leopardo
最初のOsimoの司教であったLeopardoに捧げられた教会です。
建物は12~14世紀の石づくりのロマネスクーゴシック様式。
前身は5世紀に建てられた教会で、その上に建てられたもので、その下には更に異教徒の寺が建っていたようです。
屋根の下のこの部分にも
いるいる色々な子が。
すごいですねぇ。
本当にロマネスク彫刻は楽しい。
足組んでるし。
特筆すべきは2枚の門の脇の装飾…あれ?近くばかり撮りすぎて全体写真がこれしかない。
く~
こちらの装飾は
こんなのとか
ちょっと怖いけど、ブドウを摘む人?
そしてこの外側には
聖人たち。
これは鍵を持ってるからSan Pietroね。
そしてもう1枚の扉の方が更に面白い。
こちらはもう少し正面で撮りたかったのに、この門の前に高校生かなぁ?若者がず~と座っていて、正面に立てなかったんです。
これ、初めて見たんだけど、この下の部分
これ蛇の尻尾。そして
蛇だよ。蛇の顔。
素晴らし~
ライオンとか蛇って確か、悪が教会に入らないように入り口にいるんじゃなかったか?
という思いと、「あれ?悪の化身か?」という疑問が湧いて来たので、ちょっと調べてみたら
”旧約聖書での「アダムとイブの誘惑」をしたものとして蛇は「悪の象徴」とされてしまいましたが、これは「ユダヤ教」においてのことで、イエス自身は「賢さのシンボル」として語っているのも良く知られています(マタイ福音書10.16)。
そんなわけで初期キリスト教の時代の「グノーシス的キリスト教」においては、蛇は「この劣悪・災厄の世界を作った劣悪な低次の神」を見抜いて解放に向かうように導く「賢者の象徴」として描かれていました。
「ユダヤ教的キリスト教」が勢力的に勝ち残ったため蛇は悪者にされてしまっただけです。”
という記述がありました。
いやいや、それにしてもすごいよこれ。
他にもこの門の横に
聖母子と12人の使徒。
みんな同じではなくて微妙に違うのがすごいんですよ~
ねっ。
中は…
地下礼拝堂にちょっと古いものが有ったけど
ほとんど新しくなっていてそれほど興味が有るのものは残ってなかったですね。
大聖堂を後にして「Panorama」と書いて有る方へ。
見晴らしが良い場所に出るんでしょう。
公園みたいです。
ローラースケートとかしたら気持ちよさそう…昔は私もできたけど、今は命取りです。
少し歩いていくと
誰かいる。誰だろう?
暑くて日向に留まる気にならん…
マルケ~っぽい景色です。
そして
すっごく大きな松の木。
木陰は涼しそうです。
ここから大聖堂に再び戻ります。
あわよくばさっきの小僧(失礼!)たちが教会の前からいなくなっていれば、蛇を正面から撮れるのに…と思ったのに、涼しいものでまだ居ました。
海にも行けない子供たちは、宿題もせず、日がな一日何もせずにうだうだしてるんだろうなぁ。
まぁ昔の自分だって大して変わらなかったですけどね。
時間も限られていることですし、さっきの横撮り写真で我慢して、博物館が有るはずなのでそちらの方に。
決して開いていることは期待していませんでしたが、案の定日曜のみでした。
では洗礼堂のドアは開いていたので覗いてみました。
なんか珍しいものが…
そしてこの天井
洗礼堂なのにこのゴテゴテ感。
あまり好みではありませんね。
天井はSarti(って誰?)のもので、このブロンズ製の洗礼盤は17世紀初頭にJacometti兄弟によって作られたものです。
Jacometti(ジャコメッティ)兄弟?
ってあの細い人のジャコメッティのようですねぇ。
ふ~んそうと分かっていたらもっとジロジロみたのに。
洗礼堂は本来12世紀に建てられたものですが、その後何度も建て直されていてこのようになったそうです。
洗礼堂を出て、奥に行くとテラスが有って
こんな眺めが見られました。
市場のお店が広場を埋め尽くしています。
さてさて、ここから目的の展覧会の方へ
途中ジェラートでも食べようと入ったBarで、あからさまに外国人ということで無視され、ひっさびさにかなり不愉快になりました。
結果的にはここで食べなかったので、美味しいGelateriaを発見できたのですが…
大聖堂と展覧会の会場は丁度街の両端に有るようで、街を端から端まで歩いたようです。
ようやく到着・・・
Le stanze segrete di Vittorio Sgarbi
”ヴィットリオ・ズガルビーの秘密の部屋”って日本語にするとちょっと笑う。
この人ねぇ、先にも言いましたが、今イタリア美術史家ではたぶん良くも悪くも一番有名。
有名=優秀ということではありません。
もはやRoberto Longhiのような世界に名をとどろかせるように美術史家なんか存在しないですからね。
彼を有名にしているのは、政治活動もしているからです。
またキャラもなんかちょっといただけない。
そちらの方しか知らなければ単なる変ないじられキャラの政治家で終わる感じ。
そこらへんがいまいち好きになれないんだけど、去年?おととしか?彼がFabrianoでオーガナイズしていた”Da Giotto a Gentile”という展覧会で
彼が解説しているビデオを見たら、すごく解説が分かりやすかったんですよね。
大学でも教えていたくらいだし、政治家だから話がうまくて当然ですが、そこでちょっと見直しました。
この展覧会は彼の、正確には彼の両親のコレクションを集めたもの。
個人のコレクションで入場料7ユーロ…高いぞっ。
いやいや、個人コレクションで美術館を持っている人は世界中にいますから、驚くに値しないんですけど、
やっぱりお金持ちなんだなぁ、なんて思ってしまいました。
60~70点くらい有ったのかな?
有名どころはLorenzo Lottoが2点と、Artemisia Gentileschi、Guercinoが一枚づつでしたが、まぁそれなりに面白い展覧会でした。
たまたまこの旅に出る前にこの展覧会の記事が出ていたのと、いきなり時間が開いたから行ったんですけどね。
そんなこんなであっという間に3時間過ぎてしまいました。
Macerata-Osimoも他の場所よりバスの本数も有るし、バス停も分かりやすく行きやすかったです。
帰りのバス停は、行きのバスを降りる時にちゃんと聞いておきました。
ケーブルカーを降りて真っすぐ、階段を上がったところです。
分かりやすいうえに、行きは途中から私一人しか乗っていなかったのですが、
帰りはここから乗る人が数名いました。
Macerataまでの途中の窓から至る所にひまわり畑が。
残念ながら既に花の時期は過ぎてしまったようで
みんなお辞儀
もし咲いてる時期に来られたらすごかっただろうなぁ、と。
ひまわりってどうしてこんなに人を元気にしてくれるんだろう。
ところどころ花が残っているところも有り、それだけで幸せ~と思うのは私だけかな?
しかしこれはなんの為に植えられているのかな?
ひまわり油?
時間通り2時にはMacerataのバスターミナルへ戻りました。
このバスターミナルはマルケ州をバスで周るには要所です。
数年前に来た時は、切符売り場がなく、私が二日連続で朝ご飯を食べていた併設のBarで切符を買わなければいけなかったのですが
今回は切符売り場が出来ていました。
しかし、ここもしっかりお昼休みが…それだけこの時期は利用客が少ないってことだよねぇ。夏休み以外は学生がいっぱいで、満席なんてことも有りますから。
大抵は途中で降りるけど。
時間通りに帰って来られないことも考えて朝は午前中の切符しか買ってなかったんです。
ちなみに窓口でクレジットカードは10ユーロ以上からでないと使えません。
自動販売機は有るのですが、料金が分からない。
どうしようかなぁ、と思っていたら同じような状況の外国人が、丁度出て来た係の人を捕まえて聞いていたので私もそれに倣いました。
このおじさんちょっと面倒な切符だったのですが、嫌な顔一つせず丁寧に教えてくれました。
更に料金が分からず、閉まってリ窓口に聞いていたんだから、窓口開けほうが早いじゃん、ってね。
はいはい、ここはイタリアですよ。
そうそうOsimoまでは片道3.15€のTariffa6でした。ご参考までに~
午後はロマネスクの教会2カ所を回る予定だったのです。
だから切符はMacerataから教会1まで、教会1から教会2まで、そして教会3からMacerataまでという3つの区間別の切符を買わなくてはいけなかったんですねぇ。
念のためメモにしたためておいたので、分かってもらえましたけどね。
視覚に訴えることってとても重要です。
こうして無事切符も買えたので、バス出発まで1時間で腹ごしらえ。
見学がメインの時はお昼は軽めです。
この暑さですから当然ビール。
午後は教会がメインなのでちょっとトイレが心配ですが、飲まずにはいられないでしょう!!
普段イタリアではイタリアビールを飲むので、ハイネケンは避けるんだけど、これプレミアハイネケンでした。
味は…変わらん。
食べるものはこれくらいしかなくて…でも切り売りのわりには結構おいしく、一切れでは足りなくて、もう1枚。
ここのBarの人たちも感じがいいんだよねぇ。
マルケの人は本当に感じのいい人ばかりでした。
Osimoの外国人差別したBarの店員以外はね。
さてさて、本当は一気に2日目を仕上げるつもりでしたが、予想外に長くなったので、午後の話はまた明日~
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