イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

ホットチョコレート用のポット

2018年01月22日 15時34分17秒 | 美術

天気予報、大当たりですね。
現在横浜も雪が積もり始めています。日本で見る久々の雪景色だ。
新潟在住の友人には笑われてしまいましたが、都心は1センチの雪が積もっただけで、交通機関が麻痺しますからねぇ…
あ~あ、大事に至らないと良いのですが。

さてさて、こんな寒い日にはホットチョコレートなんていかがですか?
って「いきなり何?」という感じですが、実は先日「ヘレンド展」に行った時に、ホットチョコレート用のポットがモデルになったコーヒー用のポット、というのが展示されていたんです。


普通のコーヒー用や紅茶用のポットと何が違うの?
そして1つ疑問が…
ホットチョコレートっていつごろから有るの?
いやいや、美味しいチョコを食べる事には興味が有っても、歴史について考えたことなんかなかったんです。
もちろんチョコレートはコロンブスが新大陸を発見したことで南米からヨーロッパにもたらされた産物の1つってことくらいは知ってますけど、それ以上の事は知らなかったんです。(コロンブス自身はカカオに興味を示さなかったらしいです)
だからチョコレートがヨーロッパに入って来てから暫く、チョコレートはほぼ飲用だったってことも。
ココアバターのせいで、非常に濃厚で飲みにくものだったらしく、18世紀の中頃まではでんぷんの粉などを混ぜで余分な脂肪分を中和させて飲んでいたらしいけど…美味しいか?
確か、薬として重宝されてもいたんでしたよね?

古代メキシコでは「神様の食べ物」と言われていたカカオのヨーロッパ最初のカカオの記録が残っているのは、1534年スペインのピエドラ修道院です。
翌1544年にはドミニコ会修道士たちがマヤ族の貴族を伴ってスペインを訪れ、フェリペ皇太子に謁見した際に、泡立てたチョコレートが用意されたそうです。
当時スペインに輸入されるカカオは少量で、大変高価だったので、チョコレートを享受できたのは王侯貴族や上層階級だけでした。
スペインの次にチョコレートが伝わったのは、お隣のポルトガル。
そしてそのあとはイタリア?
修道院や聖職者組織が現在のローマから南部の地方へ伝えたそうです。
Napoliがスペイン領だったことを考えれば、宗教関係者だけとは言えないかもしれませんが。
ただ1662年にはチョコレートの高い栄養価と官能的満足感から、受難節の断食期間中の飲用が適切かどうかが問題になったそう、ある枢機卿の裁断で飲用が認められたという逸話もあります。

フランスはと言いますと、こちらは1615年スペイン王女アンヌ・ドートリッシュとルイ13世の結婚の王女からの贈り物の中に砕いて湯に溶き、砂糖を混ぜて飲むカカオの塊があり、これがフランス宮廷にチョコレートが普及する足掛かりになりにました。
その後1659年ルイ14世はダヴィッド・シャリューという政商に、フランス国内のチョコレートの製造・販売の29年間の独占権を与えました。
フランスではこの独占権が消滅する1680年代末まで貴族・聖職者層以外はチョコレートを楽しむことが難しかったようです。
1660年ルイ14世はスペイン王女マリー・テレーズ(マリア・テレサ)と結婚し、王女とその侍女たちがフランス宮廷でもチョコレートを愛飲したため、宮廷にチョコレートが広まりました。
1693年にフランス国内におけるカカオ取引やチョコレートの販売が自由化され、カカオの輸入関税が引き下げられてチョコレートの価格が下がると、市民層にも普及して行くことになります。

スペイン領(低地地方)だったオランダでのチョコレートの伝播も早かったと思われます。
チョコレートはアムステルダムからドイツへ入り、アルプスを越えて北イタリアに入ったと言われます。

でもこの時代のチョコレートはあくまでも飲用。
「不老長寿」の薬と考えられていたこともあって、飲みにくいものでも重宝されていたようです。
それが19世紀に入ってようやく「チョコレートの4大発明」と呼ばれる技術革新が起こったことで、美味しいチョコレートが食べられるようになりました。

4大発明とは
1.ココアの発明
2.固形チョコレートの発明
3.ミルクチョコレートの誕生
4.コンチェの発明
でした。
これらが発明されたおかげで、現在私たちは美味しいチョコレートを食べられるというわけ。

実はホットチョコレート用のポットの特徴は、長い柄ではなく

蓋に開いた穴なんだそうです。
そこから撹拌棒(モニリーリオ)を通して、その棒で泡立つまでかき混ぜ、この蓋つきのカップに入れるそうです。
ということで、私が「ヘレンド展」で見たものは、ホットチョコレート用ではなく、形をまねただけのコーヒー用のポットということなんですね。
今ではこのホットチョコレート用のポットもカップもなかなか手に入らない貴重なものとなっているようです。

「日本チョコレート・ココア協会」のサイト参照

と甘いお話をしている間に、外は一面銀世界となりました。



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2 コメント

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知りませんでした。 (fontana)
2018-01-23 14:24:00
山科様
ブログを拝見していて、音楽にも精通されていることは存じ上げていましたが、感服しました。La serva padronaは2013年フィレンツェのゴルドーニ劇場で一度見ました。面白かったという記憶しか残っていません。芸術って様々な方面がつながっていて面白いと改めて思います。

普段ホットチョコレートを飲みたいと思うことはめったにありませんが、スペインへ行くと必ずチュロスをつけて飲んでしまいます。あれがチョコレートの原点(?)だったなんて、考えもしませんでした。
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Serva Padrona (山科)
2018-01-22 18:50:26
ホットチョコレートというと、
G.P. ペルゴレージのインテルメッツオ(オペラブッファ)
Serva Padrona  1733初演  ナポリ  サンバルトロメオ劇場
の冒頭ですね。

  ホットチョコレートはまだか。。

ですからね。

 マドリードの朝食のホットチョコレートを揚げパンにつけて食べるあれも、かなり古い食べ方だと思います。
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