イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Masaccio

2016年12月11日 21時17分58秒 | イタリア・美術

先週から真面目なネタが続いていますが、お楽しみいただいていますかねぇ…
まぁ一度は自分の為に振り返らないと、記録しておかないと思っていたので良しとしましょう。

さて、Masolino da Panicaleについて深堀してきましたが、ここに来てやはりMasaccioに触れずに最終回を迎えるわけには行かないなぁ、という事態が発生。
ということで、今日はMasaccioについて簡単にまとめてみましょう。
今回は昔大学2年目ぐらいで使ったテキストを引っ張り出して来ました。
わぉ、びっくり、すごく勉強してる。(笑)
というより分からない単語半端なかったなぁ…
そして再読してみると良く分かる。この頃は何もわかってなかったなぁ…と。

ではそのテキストを参考に始めるとしましょうね。
Masaccioは1401年San Giovanni Valdarno生まれ。
以前も言いましたが、この年はルネサンスの幕開けと考えられる、美術史にとっては重要な年です。
彼には弟もいたそうで、(Scheggiaと呼ばれていました)彼も画家だったようですが、Masaccioとは比べ物にならない凡人で、アートと手工芸の間のような作品を主に制作していたそうです。
片やMasaccioは若いうちから素晴らしい才能を開花させています。
そこに一躍買っているのが、昨日お話したPeposoのBrunelleschiとその親友で偉大な彫刻家Donatello。
以前放映していたテレビドラマの「Medici」の中では、Donatelloの価値を理解していたのはCosimo de' Mediciだけで、けちぇんけちょんにけなされていましたが、
これも新しい時代に目を向けられる人とられない人の差、ということでしょう。

いくら若い頃から活躍していたといえ、Masaccioの活躍時期は非常に短く、1422年からRomaで亡くなるわずか6年の間。
一番若い頃の作品とされているのはこちら


Trittico di San Giovanale、1422年4月の作品です。
残念ながらMasaccioのサインがないので100%Masaccio作とは言い切れませんが、ほとんどの美術史家がこの作品はMasaccioの若い時の作品と考えています。
ただRoberto Longhiなどは疑問を呈している研究者も少なくなく、Masaccioの追随者、もしくは弟のScheggiaの作品ではないか、とも言われていました。
そうは言ってもこの作品はルネサンスの一番古い幾何学的な遠近法が用いられた作品とされる重要な作品です。
また最近(と言っても10年以上は前の事ですが)の科学的は調査の結果、絵の下に描かれている下書きにMasaccioの確実な作品と同じ手法が見られたことから、
Masaccioの作品としていいのでは、という意見が高まっています。
この作品は現在 Museo Masaccio a Cascia di Reggelloに所蔵されています。

大きな鍵となるのはこの遠近法。
Masaccioが初期ルネサンスの代表的な画家として分類される理由はここに有ります。(他にも要因は有りますが)
絵画はそれまでの平面的な2次元の世界からの脱却を図り、いかに立体的に表現するか長い間模索されてきました。
3次元で表現することは、より自然でリアルだから。
一昔前までは2Dが普通だった映画に3Dが取り入れられた私たちの時代とまさに同じような状況だったわけです。
元々立体的だった彫刻の方が一足先にルネサンスに突入したのは当然のこと。
絵画の世界ではまずGiottoの登場が大きく、その次がこのMasaccioだと考えられています。
絵画の立体感を出すための最強の手段が遠近法。
Giottoは遠近法こそ用いていませんが、三次元的な空間と人物の自然な表現などを絵画に取り戻し、ルネサンスの扉に手をかけた画家でした。

例えばこのMasaccioとMasolinoの共作とされる


La Madonna col Bambino e sant'Anna(聖母子像と聖アンナ), 一般的にはSant'Anna Metterzaと呼ばれています。
1424年の作品。
現在はウフィツィ美術館で見ることができます。
真っ赤なマントを身に着けた聖母の母である聖アンナが娘のマリアを膝に抱き、マリアの膝にはキリストが座っています。
Metterzaとは、と思って辞書を引いてみましたが出てきませんでした。
これは中世の俗語から来ていて、キリスト、母、祖母の親子三代を描いたものをことを言うそうで、ドイツでは”Anna Selbdritt”と呼ばれ、13世紀非常にポピュラーなテーマでした。
イタリアや北ヨーロッパでは1400年代によく描かれています。

1940年、それまでCroweとかCavalcaselleなどの美術史家が唱えていた聖母とキリスト、右上の緑と赤の服を着てカーテン(?)を抑えている天使はMasaccioの手によるもの、
フォームがより伝統的な聖アンナと他の天使はMasolinoの手によるものという仮説をRoberto Longhiが更に後押しします。
現在でもほとんどの研究者がこの説に同意していますが、まだまだ意見が分かれるところです。(詳しくは割愛します)
まぁ素人の私が見ても納得というのは、このキリストのリアルな立体感ですかねぇ…でも怖いよこんな赤ん坊。お腹割れてるし。
この3次元な感じが当時は革新的で、Masaccioの特徴。
最初の聖母子と比べて(本当にこれがMasaccio作なら)2年しか違わないのに、成熟した感じがしますよね。

そしてこの後飛躍的に彼の作品が近代化(?)するのがCappella Brancacci(ブランカッチ礼拝堂)

Pietro Brancacciが建てたCarmine教会内のBrancacci礼拝堂に、1424年裕福な絹商人の甥のFelice Brancacciの依頼でMasaccioとMasolinoがフレスコ画を描いたことで有名。
2人の事が有名ですが、実は3人目の画家がいて、1480年代になってFilippino Lippoの手が加わってようやく完成をみました。
礼拝堂は隙間なくフレスコ画で飾られています。
実は天井にもMasolinoが4人の福音史家を描いていたのですが、これは1746-48年ここに小さなクーポラ(丸天井)を作った際に壊されてしまい、今はVincenzo Meucciのフレスコ画が描かれています。

壁に描かれたフレスコ画のテーマは原罪からPietro(ペトロ)の物語までの人間の救済。
なぜペトロの物語が選ばれたのかと言いますと、
ペトロはこの礼拝堂を建てたPietro Brancacciの守護聖人で有り、Brancacci家の守護聖人です。
(旧約の)創世記、(新約聖書の)福音書、(新約聖書の)使徒言行録、そしてJacopo da Varazzeの「黄金伝説」を元に絵は描かれていて、
ペトロはどの絵の中でも分かるように、深緑の服を来て、オレンジのマントを肩からかけて、白い短髪にひげを生やしています。

この礼拝堂で特に有名なのが

Masaccioが描いた「貢の銭」のシーン。
これが何で有名かというと、理由は色々。
描かれている内容は『マタイによる福音書』に書かれているSan Pietro(聖ペトロ)のお話のワンシーン。
神殿への税を支払うことが出来ないペトロに対し、キリストが魚の口から銀貨を見つけるように説いたシーン。
中央がキリストがペトロに魚の口を見るように言われているところで、左後ろに魚の口から銀貨を取り出すペトロ、右端に税金を払うペトロが描かれています。
このように1枚の絵の中に時間の流れに沿って複数のシーンが描かれることを”narrazione continua”(連続する物語)手法というのですが、
これはMasaccioが考えた手法ではありませんが、こうすることで私たちが現在漫画を読むように、物語をよりスムーズに理解することが出来るようになったわけです。

Masaccioの最高傑作と言われるこの作品は、中央のキリストの頭部を中心とした一点透視図法と遠近法が用いられています。
Vasari曰くBrunelleschiがこの方法をMasaccioに伝授したと。
ちなみに1417年に彫られたDonatelloの『聖ゲオルギウス』の台座『聖ゲオルギウスとドラゴン』は、

ルネサンスの透視図法の最初の表現とされていて、BrunelleschiとDonatelloの関係を鑑みれば、Brunelleschiの助言が有ったことは想像に難くない。

更に「貢の銭」でMasaccioは後にLeonardo da Vinciも使っている、遠くに有るものほど霞んで見えるという空気遠近法も使っています。
空気遠近法は、Masaccioが作ったものではなく、ローマ時代などにも使われていたのですが、長い間忘れられていて、再発見したのはMasaccioだと考えられています。
この空気遠近法を使うことで、奥行き感が増し、絵がより立体的に見えるようになるわけです。
Masaccioの描いたものには、彫刻に近い3次元性が顕著に表れているのに対し、Masolinoの方はまだ伝統的な手法から抜け出せない感があります。
それが良く分かるのが
この2枚

Masaccioの描いた「アダムとイブの楽園追放」と

Masolinoの描いた「アダムとイブの誘惑」
これを見てもらうと良く分かりますが、「楽園追放」ではよりリアルに絶望する二人が描かれていますが、
よく見るとこちらはちゃんと影まで描かれているんです。
更に人物に正面を向かせないことで、より立体感を出しています。
反対にMasolinoの描いた方は、全く2次元というわけでは有りませんが、上に比べるとまだまだという感じですよね。
ここら辺が片や時代の先端を行っていた若き天才と旧世代の画家という評価の違いになるわけです。

Masaccioの遠近法は進化を遂げ、最終的にはこの作品に行きつきます。
ルネサンス誕生をけん引した作品と言っても過言ではない

Santa Maria Novella教会に描かれたTrinità(三位一体)
Brunelleschiに伝授されたという一点透視図法の最たるもので、Vasariも「まるで壁に穴が開いているようだ」と大絶賛しています。
これは消失点がとても低いところに有り、見る人を絵の中に引き込むような効果を持っています。
この作品実はVasariのお陰で命拾いをして、こうして現代に残ることが出来ました。
Vasariも時には良いことするね。
というのもControriforma(反宗教改革)により元々描かれていた場所が破壊された時、既にこの作品の価値が知られていたことで、失くしてしまわず、新しい祭壇の裏に移されました。
そしてこの祭壇にはVasariがCapponi家の為に描いたVergine del Rosario(ロザリオの聖母)という大きな祭壇画描かれ、Masaccioのフレスコ画はこの祭壇画の陰にずっと隠され、長い間忘れられていました。
再発見されたのは1860年で、その時カンバスにフレスコ画は移され、ファサードの裏側に置かれていました。
ところが1952年祭壇を再度動かしたところ、なんと骸骨と石棺がみつかりました。
これによって、フレスコ画を再構築して元の場所へ戻すことが決まりました。
現在は1999年から2001年に行われた修復のお陰で、フレスコ画本来が持っていた色調も一部ですが取り戻すことが出来ました。
30歳にも満たない若さで亡くなった天才Masaccioがもしもう少し長生きをしていたら、絵画の世界はまた違ったものになっていたことでしょう。

ということで、特別なことは書いていませんが、遠近法に触れずに進むわけには行かず(数学的なことに弱いのであまり触れたくなかったのですが)
昔の資料を引っ張り出してMasaccioについてまとめてみました。



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