Masolinoの最終回です。
同じ敷地内の、古い城の塔が建っていた場所に有った、元は貴族の礼拝堂だった場所が洗礼堂になっいて、そこに1435年Masolino da Panicaleは洗礼者ヨハネの生涯をフレスコ画で描きました。
このテーマはBranda Castiglioneが望んだテーマで、S. Giovanni in LateranoにGentile da Fabrianoが描き、教皇がRomaに戻ったお祝い(?)にPisanelloが完成させた(現存せず)作品の影響を受けています。
この真ん中のおじさんが建物内すべてを丁寧に説明してくれました。
小さな洗礼堂で、全面フレスコ画で覆われています。
物語はキリストの先駆者とされるヨハネが生まれることが父であるザカリアに知らされるシーンから聖人の死までが描かれています。
その中でも特に重要なのはこれ
これが入り口正面(南側なので状態が良い)に描かれてるキリスト洗礼のシーン。
全部は見えないけど、この洗礼シーンの上には全能の神と天使が描かれています。
この洗礼堂のフレスコはどれも保存状態が良いわけではないのですが、特に悪いのが入り口の上(後ろ?)の壁
これは私が撮った写真ではないのですが、これが入り口の方の様子。
洗礼盤もおいてありました。
洗礼者ヨハネの父Zaccaria(ザカリア)の元に大天使ガブリエルがやって来て、ヨハネの誕生とその将来を知らせるシーンですが、
実はここにはRomaの景色が描かれているのですが
写真だと余計悪い。湿気と硝酸カリウムのせいなんだそうです。こちら北側の壁なので、どうしても湿気はひどくなりがちですね。
PantheonやCampidoglioが描かれている…はずです。
これはよくあることなのですが、この絵がBuon frescoと呼ばれる完全なフレスコ画ではなく、Fresco secco(フレスコ セッコ)というやり方が最後の部分で使われ、その部分が剥落した結果です。
乾いた壁面の上に顔料に定着剤を混ぜて絵を描かれるセッコは、テンペラの技法や油絵と同じやり方で、石灰の固まる力で顔料が完全に定着するブオン・フレスコと違い、定着力が弱いので、かなり早期から剥落してきます。
Leonardo da Vinciが描いたミラノの”最後の晩餐”がその分かりやすい例です。
ただブオン・フレスコも湿気には非常に弱いですけどね。
ちなみにザカリアは大天使ガブリエルのお告げを信じなかったため(妻エリザベスが高齢だったため、子供を授かるなんて信じられなかった)、
ヨハネが誕生した8日目、割礼(現在でもユダヤ教徒やイスラム教徒は行っているらしい)と命名を施す日まで口が利けなかった。
口の利けなかったザカリヤは、子の名を問われ「その名はヨハネ」と書き板に記したところ、たちまち口が利けるようになり、
救世主の誕生とその備えをする者についての予言を行い、神を褒め称えたとルカの福音書に記されています。
洗礼堂の中でも一番有名なのはこのエピソード
このフレスコ画がMasolinoの最大傑作と言われています。
Banchetto di Erode(ヘロデ王の祝宴)
ヘロデ王にはErodiade(ヘロデヤもしくはヘロディアス)という愛人がいました。
彼女はこの元夫の異母兄弟であるヘロデ王と再婚します。ところが洗礼者ヨハネはこの結婚は不当である非難しました。
そんなこんなでヘロデヤはヨハネを恨んでいました。
ヘロデヤには娘が一人いました。それが有名なSalomè(サロメ)です。(前の夫の子)
ヘロデ王は誕生日の祝いの席で、このサロメを躍らせます。
ヘロデ王はうまく踊れた褒美に何でもサロメの望むものをやろうと約束します。
そこで母にそそのかされたサロメが望んだのは洗礼者ヨハネの首でした。
王は躊躇したものの、約束をたがえるわけにもいかず、獄中につながれた洗礼者ヨハネの所へ行き
首を切り、
ヘロデヤの元へ届けさせた。
このシーンの右側には膝の上に洗礼者ヨハネの首を乗せるヘロデヤが描かれていますね。
かなりリアル。
更にこのシーンの上の方に小さくヨハネが埋められるシーンも描かれています。
これも物語の連続(narrazione continua)
まぁこの洗礼堂全体が1つの物語として流れていますけどね。
これらのフレスコ画がMasolinoの最高傑作と言われる所以はそのリアリティーだけではないんです。
このシーンはMasolinoが描いたのに、遠近法がすごくないですか?
ようやく、いや最後にルネサンスに足を踏み込んだMasolino、ただやはりMasaccioのような空間的な統合というレベルにまでは達していませんけどね。
こちら天井に描かれたフレスコ画のなのですが
4つに分けられた帆型の中には4人の福音史家とシンボルが描かれているのですが、
この中心に描かれている白い牛…とぶら下がっているのはサラミ!?
あれ?これ何だったかな???
う~ん、分かったらまた載せます。
1876年洗礼堂の外側の壁を修復、特に北側の壁に控え壁が足されました。
更に1917年更に壁を強化する工事が行われています。
1935年には洗礼堂のフレスコ画の修復がMauro Pelliccioliの指揮で行われ、この時祭壇を作り直しています。
1964年フレスコ画の劣化が特に激しい2区画(シノピアしか残ってない)を壁から切り離し、
翌年それはまた北と西の壁に戻されています。
その後1999年から2001年にも洗礼堂とフレスコ画の修復が行われています。
この作品以降Masolinoの足跡はつかめません。
1447年埋葬の記録があるのみです。
あっ、しまった、全然深堀出来なかった…資料が少なすぎるのよね。
冬季(10月1日から3月31日):火ー土 9.30-12.30 · 14.30-17.30
夏季(4月1日から9月30日):火ー土 10.00-13.00 · 15.00-18.00、日曜、祝日:10.00-13.00 · 15.00-18.00
第一日曜日は 10.00-18.00で休憩なし。
月曜お休み
ありがとうございます。将来に向けて少しずつ勉強しなおしていますが、忘れていることが多くて困ります。