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イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Cividale del Friuliーその1

2015年10月04日 18時28分07秒 | イタリアの小さな街・大きな街(Fi以外)

今日は土曜日にいつも日本語を教えている、日本語補習校の運動会だったのですが(この件については今まで濁してきましたが、実はそんなこともしています)、あいにくの雨。
会場まで行ったにもかかわらず中止になってしまいました。
朝から雨は降っていたのですが、もしかしたら、という思いで決行と決断したのに…
しかし、今(14時)青空が…まぁ朝の豪雨ではどうしようもなかったですけどね。

まぁ昨日南フランスの方で大被害を出した低気圧が、こちらに向かっているらしいので仕方ないでしょう。
日本と違って雨天の場合来週に、ということが出来ず(会場のこともあるし、授業数の関係も有るので)年に一回楽しみにしてきた行事が無くなるのは残念…生徒と保護者はね。
私は…疲労が溜まっていたのでちょっとうれしいかも。
ということで、この空いた時間を有効に使いましょう。 
今週も出かける予定なので…

さて、Udineで一晩明かして、朝食を食べにホテルのレストランに向かうと、なんと大学の教授が。
向こうはいくら外国人でも一生徒、それも数年前の生徒など覚えているはずはない、と頭をよぎりながらも、口は
「Buon giorno professore(おはようございます教授」と発していた。
まぁ教授の方だった、教授って言ってるからには、生徒だろうということで、挨拶を返してくれました。
当然何してるの?という話になり、私は美術品を見に、教授の方は昨日おとといとUdineで授業があったそうです。
大学の事も聞かれたので、もうすぐ卒業して日本に帰る予定だという話までして別れました。

そして、教授の方が早く食べ終わって、席を立ち、通路側に座っていた私に
「帰る時は連絡下さい」と言いおいて行きました。
実はこの教授、図書館学のイタリアでは結構有名な教授なのですが、日本に自分の研究を発表するとか
日本の図書館のことなどにも興味があるそうで、機会が有ったら協力してほしいと言われていたんです。
そんなことすっかり忘れていたけど…
まぁ珍しい偶然が有るもんだ。
いや~それにしても世界は狭い!
でも私かつて他の教授なんだけど、Romaの展覧会で偶然会ったことがある。
実はこの教授とはFirenze内の某レストランでも会っているんだよねぇ…まぁフィレンツェないならわかるけど。

さてさて、朝そんな衝撃の出会いがあったのですが、

Udine8時33分の電車でCividaleに向かいます。

行きは古い列車が来ましたよ。
私が乗ったところには3人しか乗っていませんでしたが…
30分ほどでCividaleに到着。
降りてびっくり!

なんなのこの駅前!?
駅は小さいのに、駅前にこれほど大きなショッピングセンターが・・・
ちょっと行くと昔の駅がありました。

駅から旧市街の方へ向かいます。
10分から15分かな?

これはどこの教会だったかな???

門は古いものだろうなぁ…

門を入ったら門の下がお店になっていました。

Giulio Cesare(カエサル)の広場
”この都市は、ユリウス・カエサルが築いた古代都市にさかのぼり、中世にはこの地方の政治的な中心都市のひとつであった。
フリウーリという地方名はこの都市の古名が起源となっている。現在は静かな小都市であり、中世の面影を残した市街地は観光地となっている。
ランゴバルド王国が遺した遺跡は、ユネスコの世界遺産に登録されている。
標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。
フリウリ語: Cividât、スロベニア語: Čedad、ドイツ語: Östrich
この都市は、古くはラテン語で「ユリウスのフォルム(広場)」を意味する Forum Iulii といい、これは当地の総督を務めていたユリウス・カエサルにちなんで付けられたものである(フランスのフレジュスも同じ語源を持つ)。
フリウーリという地方名はこの都市の名が変化したものである。なお、ジュリア・アルプス山脈は、その麓にユリウス・カエサルが築いたこの都市があることからの命名である。”(wikipediaより)
またCivitaはイタリア語のcivitas”都市”から来ているそうです。 

Casare広場の隣に

Duomo広場。

こちらのシンプルなファサードがDuomo
1448年の地震で前の教会が崩れたことにより、1457年今の教会が建てられた。
この地区は結構地震が多く、何度も教会の一部が崩れている。
中は

ちょっと見えないけど

黄金の主祭壇、Pala di Pellegrino II
1195年から1204年まで総大司教だったPellegrino II(ペッレグリーノ2世)の依頼で作られたもので、真ん中が聖母子、その両脇に大天使、その他計25人の聖人が彫りこんであるんですと。
大きさは縦1メートル、横2メートル。
銀の浮彫彫刻を金で塗ったもの。
ここら辺はロンゴバルドの金細工の影響もあるのではないかなぁ???
近くで実物が見られなかったのがちょっと残念。

あと

古いオルガンが有りましたね。
重要なのはこの教会よりも(失礼!)隣に付属しているMuseo cristiano
こちらは10時からだったのでまだ時間が有ったので、後にして街をぶらぶらすることに。

うわ~閉まっているのが残念。
カウンターバーだよね、これ。

こちらは...う~んPonte del diavolo(悪魔の橋)を渡ったところに有った教会。
あっ、たぶんS.Maria dei Battuttiだ。
で、これが

悪魔の橋。
全景を撮るために対岸に渡った。
どこか全部入るところないなぁと探していたら、展望台がありました。
サービス良いじゃん。
この橋ですが1442年Jacopo Daguro da Bissoneによって着工されも1452年Erardo da Villacoまで完成しないままだった。
って、ん?
誰が作ったか分かっているのに、”悪魔の橋”
イタリアには”悪魔の橋”と呼ばれている橋は結構あるんですよね。
こちらはなんでも深い渓谷を流れるナティゾネ川に、丈夫な石の橋を作るのがその両側に住む住民たちの悲願だった。
難しい工事の前に、ある日、住民たちは悪魔と契約を結び、橋を架ける手伝いを頼む。
しかし悪魔の条件は、橋が完成したあかつきには、最初にその橋を渡るものの命を奪うというものだった。
そしてでき上がった橋を前に、住人は偶然通りがかったネコを新しい橋に向かって放り投げたのです。
猫は橋の途中で消えてしまいました。 

というのがこの橋が”悪魔の橋”と言われる所以のようです。


ユネスコマーク付いてます。
まだ街をぐるぐる

頭の上で物音がする…と思ったら屋根の上に猫がいました。
そして

おっ、これはロマネスクか?
ファサードはのっぺりしているけど、ちょっとだけ彫刻が残っていました。

レストランにもロンゴバルドの名が。

そしてケルト人のお墓
鍵が…どこにあるのか分からなかったので、とりあえず後回しに。
このお墓の前を通ってメインのTempiettoへ行くのですが…まだ開いてない。
ということでまず初めに行ったのが

考古学博物館。
学割きいたので、無料で入れました。
この恩恵を受けられるのもあとわずか…
ただ今回はここが無料だったので、共通券が買えず、それでもこことTempiettoとMuseo cristianoの3か所9ユーロが別々で買って8ユーロということで1ユーロしか特はしなかったんですけどね。
3階?4階か?とにかく上からスタートです。

ここの見どころはやはりロンゴバルドの遺品
大学の授業で、唯一印象に残っているのは、ロンゴバルドと言えばベルトのバックル。
とにかく細かい作業が得意な民族だったんでしょうねぇ。

レベル高いですよ~

細かい細工、貴重な石。
豊かな民族だったことも証明していますねぇ。

説明書きのプレートの絵がちょっとシュールで良いわ。

これは型

この袖口、襟ぐりの装飾を作るための型が残っているんですねぇ・・・

本当に繊細で、ため息が出るよ。

こんなのとか

メダルにも

これは何だろう?神?

最後にイタリアのロンゴバルドの地図がありました。
そして1階に下りると

ロマネスクの彫刻。

すごく充実していましたね。

アクロバット~

魚?

おっ、Gradoで見たモザイクの柄みたい。

ビザンチン時代のものかな?

受胎告知

ライオン

そしてこちらはローマ時代のモザイク
とにかく収蔵品が多くて、思ったより時間がかかってしまった。
これはまずい、Tempiettoに行かねば~

ということで博物館を後にした。

別の教会。

そうそう、偶然ツーリストインフォメーションを見つけて、地図をもらってみた。

この時は天気良かったんだよねぇ…

古い建物だってこの柱を見ればわかるのよねぇ。

というところで、今晩は中国のオペラを観に行くので、この辺で終わり~!
続きはまた次回



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
受胎告知 (Leslie)
2015-10-05 09:27:19
心癒やされました。沢山見せて下さってありがとうございます。
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いえいえ (fontana)
2015-10-05 15:50:02
Leslieさん
いえいえ、写真はものすごい量あるので、その中からどれを選ぶか悩みます。
返信する

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