大変ご無沙汰しております。
更新はなんと1年以上ぶり!!
もうこのブログは仮死状態となっておりましたが、昨日どうしても書き残しておきたいものを見たので、久しぶりの更新だ~!!
今年は暑い!
昨日も、台風一過とは言わないが、非常に暑い一日だった。
この暑さだと、外に出るのが容易でないのだが、イタリアから一時帰国している友人と今月末から1か月イタリアに遊びに行く友人と都内で会うことになっていて、さてこの暑さ、どこに行こうか?となった時、イタリア文化会館がX(旧Twitter)にあげていた
明治時代「お雇い外国人」の一人として来日した、イタリアの芸術家エドアルド・キヨッソーネ。
— イタリア文化会館 東京 - IIC Tokyo (@IICTokyo) July 22, 2024
紙幣のデザインを行ったり日本の職人の育成に携わるなど、明治期の紙幣づくりに大きく貢献しています。
キヨッソーネがデザインした紙幣や、キヨッソーネへの命令書などが資料として展示されています。 https://t.co/vMabLR6gzu
このポストを思い出し、初めて国立公文書館に行くことにした。
ここで初めて知ったのだが、日本の紙幣の誕生にイタリア人Edoardo Chiossone(エドアルド・キヨッソーネ)が大きく関与していたことを初めて知った。
キヨッソーネ(個人的にはキオッソーネだと思うんだけど…)と言えばGenova(ジェノバ)にあるイタリア一の日本美術コレクションを所有する、キヨッソーネ東洋美術館(Museo d'Arte Orientale Edoardo Chiossone)を真っ先に思い浮かべるが、今まで彼が「日本近代紙幣の父」と呼ばれていることは知らなかった。(いや、知っていたのかもしれないけど、完全にスルーしていた)
詳細に関してはウィキなどみていただければ良いかと思うのだが、このキャプションにちょっと気になることが書かれていた。
Vincenzo Ragusa(ヴィンチェンツォ・ラグーザ)まで関わっていたのかぁ…
2019年、最後にイタリアに行った時に見た”Qaundo il Giappone scoprì l'Italia”(日本がイタリアを発見した時)という展覧会の関連展示で彼らのことを初めて知った。(なんでこの展覧会について何も書いてないんだよ…)
ヴィンチェンツォ・ラグーザもキヨッソーネと同じ”お雇い外国人”として日本に招聘された1876年に来日。
日本最初の美術教育機関、工部美術学校で彫刻を教えていた。
工部美術学校は、「画学科」「彫刻科」の二科で、純粋な西洋美術教育のみの機関だったため、日本画や木彫は行われなかった。
講師は全てイタリア人!?
当時、美術の先進国として認知されていたフランス。そのフランスではなく、ルネサンス美術の中心地、イタリアから招聘された点は興味深い。
ちなみに絵画の講師はAntonio Fontanesi (アントニオ・フォンタネージ)だった。
ラグーザは1882年イタリアに帰国する。妻玉とその兄夫婦も一緒だった。
ラグーザのモデルを務めた玉とは、その2年結婚、年の差は20歳だった。
絵画を学んでいた玉はパレルモ大学の美術専攻科で学ぶ。
1884年ラグーザはパレルモに工芸学校を開設し、玉は絵画科の教師を務めた。
画家としての彼女の評価は非常に高い。
「昇天祭の夜」(1939年)(写真:Wikipedia)
1927年ラグーザが亡くなる。
愛する人がいない異国での生活が耐えられなかったのだろうか、彼女は日本に帰国することを決意し、ローマの日本大使館へ赴くと、そこで以外なことを言われてしまう。
「おまえは日本人ではない」
玉66歳、帰国の願いは絶たれてしまった。
失意の玉。もうシチリアに骨を埋めるしかない…
そんな彼女の望みをかなえたのは、1931年木村毅が著した新聞小説「ラグーザお玉」だった。
1933年、51年ぶりに日本に帰国した玉は、日本語を忘れていたそうだ。
母語をそんな簡単に忘れるはずはないと私は思うのだが、「日本人ではない」と言われた時、彼女は日本を捨てる覚悟をしたのだろうと考えてしまう。
自分の祖国に裏切られたのだから。
詳細はこちらの本に
木村毅(編)『ラグーザお玉自叙伝』恒文社、1983年
確認したら、やはりミラノの展覧会を見た後、この本を読んでいた。
帰国後も絵を描き続けた玉は、1939年、79歳で亡くなった。
いやいや、今回は何も考えず、ただ涼しいところということで訪ねた公文書館だったけど、再びイタリア熱が出た感じだ。
更に時期的な時別公開だが、本日まで「終戦の詔書」つまり玉音放送のシナリオ(?)の原本が見られる。
署名は終戦の日前夜
ここに名前を連ねている大日本帝国最後の陸軍大臣だった阿南惟幾は、ここに副署したのち、15日未明自決したとキャプションに書かれていた。
あれから79年、日本は平和だが、世界を見渡せば戦争は止まず、悲劇は繰り返されている。
外は35度超える猛暑日だが、涼しい室内で色々なことが学べる興味深い展示会だった。
懐かしいお札たちを見ることもでき、結構楽しめる。
そして無料!!
参考
令和6年夏の特別展 「お札に描かれた人物―公文書で見る紙幣の歴史―」
国立公文書館
9月16日まで
https://www.archives.go.jp/exhibition/
コメントありがとうございます。ご心配をおかけして申し訳ありませんが、元気にしています。
円安や仕事のせいで、なかなかイタリアに行けないので、最近はイタリアネタから遠ざかっていて、大変ご無沙汰になってしまいました。
今はどちらかというと、日本美術に舵を切り、仏像を見て回ったりしています。西洋美術にどっぷり浸かったからこそ、日本美術の良さをより感じられる気がします。
毎日暑いので最近は私も旅行など全くしていなくて、都内の美術館に時々行く程度です。イタリア美術関係では、日本美術と西洋美術の論文探しによく行っている上野の東京文化財研究所で、矢代幸雄が100年前に英文著書BOTTICELLIを出版した時に使った写真の原版を見に行ってきました。1カ月ぐらい前に放送された東文研の紹介テレビ番組をヒントに、矢代の写真も保存されているのではないかと思ったためです。期待していたとおりウフィッツイの聖母戴冠やプリマヴェーラの部分写真がありました。今後は時間がある時に再訪して、矢代の集めた写真のうち、ボッティチェリの工房作や周辺作家の聖母子画トンドなどを調べに行くつもりです。