イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

立ち止まる

2015年06月22日 10時48分50秒 | イタリア・美術

またまた日があいてしまいましたねぇ・・・
昨日までフィレンツェと京都市の姉妹都市提携50周年記念の記念イベントの一環で笹倉鉄平氏の展示会の監視のお仕事をしていました。

展示会の監視、ということで一日座って本でも読んでいられるかと思いきや、場所が場所だったため座れず、更にほとんど動けなかった…
一か所に約11時間立ち続けるということがどれだけきついことか。
頭も使わない、体も動かさない仕事って本当につらい。
40数年間生きてきて、これほど辛い仕事はなかった、と言えるほどきつかった。
足もむくむわけではなく、腫れるわけでもなく、ただ熱をもっていました。
いやいや、もう少しで疲労骨折するとこだった。
残っていた湿布をふんだんに使いましたがそれでも仕事が終わるころにはもうへとへとでした。

こんな状態だったので、作品がどんなにすばらしくても段々憎くなってくる。
「坊主憎けりゃ袈裟まで」です。
作品見たらこの辛い記憶が戻って来る・・・と思っていたんですよ、おとといまで。
ところが昨日の朝偶然1つの発見をしたんです。
これでちょっと評価が変わった。 

作品の写真は著作権の関係で載せられませんが、確か「水の中の別の世界」というようなタイトルの作品だったと思います。
水面に移った紅葉がとてもきれいな作品で、イタリア人も展示されていた30枚の中でこれが良いという人が結構いました。
期間中何度も見ていたその作品を昨日ふと眺めていて、驚いたんです。
水面に池のふちに佇む女性の影が映っていたのです。
でもよく見ると実際に池のふちに立っているのは彼女は1人。そして少し離れた階段の上に男性が。
ところが水面には2人で寄り添うカップルが・・・

これを発見したとき画家の遊び心というかこの絵が現実を写し取っているものではないということが分かり、思わずうれしくなりました。
まぁタイトルが示唆していますけどね。
早速イタリア人女性にこの発見を伝えたところ、彼女は私と同じ意見。
水面に映っているのは、幸せだった頃の二人で、今は分かれてしまったのではないか?
というもの水面に映る男性のストールと現実の男性のストールが微妙に違う。

また別のイタリア人男性にもこの発見を伝えたら、彼は「未来」ではないか?と
今は何の関係もない二人が、将来寄り添うようになるのでは?と
なんだか男性の方がロマンチック。

実際作者でなければどういう意図でこの作品を描いたのかはわからないけど、にくい演出だなぁと。
ここで笹倉鉄平に対する評価が変わったは、私だけではなかったようです。
ただこれ、どれだけの人が気が付いたかなぁ・・・

美術史の勉強をするようになって、作品の細かいところまで他人が見たらちょっと異常じゃないかというくらい細かくチェックするようになったけど、こういう発見があるとうれしいですね。
皆さんも絵画を見るときは一瞬でいいから作品の前に留まって、じっくり覗き込んで見てはどうでしょう? 
作家の隠されたメッセージを受け取ることができるかもしれないですよ。

じ~としていた後はしばらくアクティブに、久々にイタリアの国外に出ます。
今回も大量の作品と対峙する予定です。 



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