イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

かわいい浮世絵 おかしな浮世絵ー太田美術館 その1

2019年01月31日 11時00分00秒 | 展覧会 日本

1月27日に閉展してしまっているのですが、先週ぎりぎりでこちらの展覧会へ行ってきました。

学芸員さんも言っていましたが、平日だってのにすごい賑わい。
成人の日を含めた三連休は、来館者一日1000人を超え、大わらわだったらしい。
太田記念美術館は、浮世絵に特化した美術館で展覧会の切り口が非常に面白い。
表参道から一歩入ったところ、という場所柄もあって、外国人の来館も多い…割に英語表示は少ない。
SNSを多用して、今までにはない若い世代の興味を惹きつけ成功している数少ない美術館の1つだと思う。
最近特別展などもそうだけど、インスタ映えするようなシーンを増やしたり、色々考えてるなぁと思う。
美術館経営などを考えたら、渋い日本美術に如何に若いファンを増やしていくかということは大切なことだと思う。
お行儀が悪い来館者が増えるのはいただけないけど…館内ではお静かに!

私が開館した日は14時と15時に学芸員によるスライドガイドが開催されていたこともあって、特に混んでいたのかも。
ただこのスライドガイド、欲を言えば、キャプションに書いてあるようなことではなく、もっと掘り下げた話が聞きたかったけど、無料なうえ30分強で語れることは限られている。
ここのスライドショーと比べると、出光美術館の学芸員によるガイドツアーはクオリティーが非常に高くておすすめ。

今回は浮世絵の中の動物やおかしな人たちに焦点を当てていた。
・かわいい生き物・おかしな生き物
・かわいい子供たち
・おかしな人々
・かわいい!奇抜?江戸のデザイン
の大きく4つのテーマに分かれていた。
面白かったのに、残念ながらカタログがなかったので(この美術館はどんな時もカタログ作らないのか?)覚えている範囲で記録しておこう。
(館内は撮影禁止のため、写真は太田記念美術館HPやWikipediaなどから拝借。)

始まりはこれ

哀愁漂う猫の後ろ姿が愛らしい、歌川広重の「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」
猫は田んぼのあぜ道を行く行列を眺めているのかしらん?
この行列は今でも11月に行われる酉の市の帰り客たち。大きな熊手が遠くに見える。
知らなかったけど、熊手って毎年少しずつ大きなものの買い替えていかないといけないって。
学芸員さんが毎年新しいのを買っているけど、いつも同じ大きさです、と苦笑いしていた。
猫の背後に置いてある簪も実は熊手の形。
客が買ってきたものだろうか?

お次は猫の蕎麦屋。「しん板猫のそばや」4代歌川国政。
この絵の中にいるのは擬人化された猫。でも本物の猫が一匹だけもぐりこんでいる。(左上)
猫の蕎麦屋というだけで面白いが、当時の蕎麦屋の様子が正確に描かれているのも興味深い。
かけそばは当時80文。
手前には今まさに出前に出ようとする猫やてんぷらを揚げる屋台。
言葉まで読んでみれば右側では親猫と思われる猫が子供にもっと食べるように勧めるも、子どもはいらないと答えている。

次は再び歌川広重の「名所江戸百景」の「高輪うしまち」
犬のおしりもさることながら、食べ終えたスイカの皮に草履の紐を加えた子犬。
江戸時代、野良犬はものすごくいっぱいいたらしいけど、この子たちが悪さをするとは思えない。
西洋画の遠近法なんて全然関係ない。

これまた歌川広重「江戸名所道戯尽 十六 王子狐火」
狐たちは挟み箱の代わりにカボチャを担ぎ、毛槍の代わりにトウモロコシをくくりつけた竹を担いでいる。
すっかり狐に化かされて籠に乗ってる男性は、いったいどこに連れていかれるのだろうか?
広重は「名所江戸百景」に王子稲荷神社のそばにある大きな榎に集まる狐たちを描いている。(「王子装束ゑの木大晦日の狐火」)王子稲荷神社は、関八州の稲荷の総元締めで、ここには大晦日の夜、多くの狐が集まるという伝説がある。
そして化かすのは狐だけではない。人間はどれだけおろかなんだ…

狸登場。狐と狸のばかし合い。
この狸、いい音がしそうなお腹してる。
「江戸名所道外尽 浅草反甫の奇怪」
こっちは狐バージョンよりひどい。
まるで指揮者のような2本の棒を使って人間を操っているようだ。
3人の男がまるで毛槍のように鍬を掲げ、真ん中の人はちょんまげか?頭に草履を乗せ、口をへの字に真面目顔。更にふんどしがほどけ、だらんとしている。
対照的に両端の二人、何が楽しいのか笑顔だ。

ここは浅草の北側に広がる田んぼで、遠くに見えるのは吉原の遊郭。
この人たちは遊郭で飲んで遊んだあと、ご機嫌で狸に化かされたのだろう。
歌川広重と言えば「東海道五十三次」などの風景画で有名だが、なんだかこういう「ぷっ」と噴き出してしまいそうな絵も得意だったのだなぁ。

そんな広重、こんな作品もある。

「月に兎」
輪郭線を配乗したふわふわした兎。色々才能のある人だったのね。
そして

揚州周延の「世界第一チヤリ子大曲馬ノ図」
揚州周延が誰かはおいておいて、この3曲1組の浮世絵、明治19年にイタリアのサーカスが日本に来た時の様子を描いたと言うからびっくり。
非常にリアルな情景描写。
それにしてもイタリアのサーカス団が明治時代に来日していたとは…

「西洋見世物団として初めて、元治元年(1864)アメリカのリズリー・サーカスが横浜に来日。2回目は明治4年(1871)フランスのスリエ曲馬団が来日。3回目は明治19年(1886)にイタリアからきたチャリネ曲馬団が来日し、猛獣を含むサーカス興行は一大センセーションを巻き起こしました。
チャリネは明治22年(1889)再度来日し、西洋曲馬と言えばチャリネと言わしめるほどの大きな反響を残し、以降サーカスをチャリネと呼ぶ人もあったそうです。
その後も大きな興行団ではないが外人曲馬師たちが来日しています。」(引用:日本サーカス史

1階で気になったのはこんな。さぁ、2階へ!!
ということでつづく…



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