とんぼ玉・ガラスの装身具、盆栽鉢を制作する
ふちこまこと林裕子のブログです。
家族や趣味の事なども気儘に綴ります。
斑駒の戯言
柳宗悦「心偈」

先週の掛軸、柳宗悦のうたをもう一度
之モ亦 之モ サンゲノ 仕事カナ
私にとって思い出のあるうたです。
前に先生がこのお軸を使われた時の事。
お道具の拝見と一緒にお軸について訊ねると、
一冊の本を出して下さいました。
柳宗悦 「心偈(こころうた)」
昭和48年 春秋社発行
この本の最後に宗悦はこのうたを選んでいます。
「何んな仕事をしようが、懺悔でない仕事はない。
ふつつかな人間に、何うして全き仕事などが出来よう。
懺悔は謙虚のことなのである。 己れを誇れば、誇ることに
亂れが来て了ふ。仕事で人は、自らをいつはるわけにはゆかぬ。
何時だとて、佛に見られてゐる仕事である。懺悔とは、己を
素裸にして、自らを責める心である。-(後略)-」
重く響く言葉でした。
廃刊してすでに久しく、手に入れるのは諦めておりましたが、
すぐに夫が見つけてくれました。感謝感激、感涙ものでした。
それから暫らくのち、
いまの先生に入門して初めてのお濃茶手前をした時に、
あまりに間違えてばかりで不甲斐なく、
茶杓の銘は? と問われて思わず「サンゲ」です、と答えました。
社中の皆様はお優しくて「散華」ととって下さいましたが。
今でもこのうたを読むたびに恥ずかしく思い出します。


今日は単衣の小紋。
母の友人からどっさりお古を頂戴したうちの1枚です。
シルクの服地を着物に仕立てた物のようです。
今日のお軸は、李朝の民画。
「義」の字の頭の点を2羽の鳥にして描いた絵文字でした。
春慶塗の釣瓶水差、膳所の茄子型の茶入れで、
数ヶ月ぶりに濃茶の手前を致しました。
相変わらず「懺悔(サンゲ)」の手前です。
之モ亦 之モ サンゲノ 仕事カナ
私にとって思い出のあるうたです。
前に先生がこのお軸を使われた時の事。
お道具の拝見と一緒にお軸について訊ねると、
一冊の本を出して下さいました。
柳宗悦 「心偈(こころうた)」
昭和48年 春秋社発行
この本の最後に宗悦はこのうたを選んでいます。
「何んな仕事をしようが、懺悔でない仕事はない。
ふつつかな人間に、何うして全き仕事などが出来よう。
懺悔は謙虚のことなのである。 己れを誇れば、誇ることに
亂れが来て了ふ。仕事で人は、自らをいつはるわけにはゆかぬ。
何時だとて、佛に見られてゐる仕事である。懺悔とは、己を
素裸にして、自らを責める心である。-(後略)-」
重く響く言葉でした。
廃刊してすでに久しく、手に入れるのは諦めておりましたが、
すぐに夫が見つけてくれました。感謝感激、感涙ものでした。
それから暫らくのち、
いまの先生に入門して初めてのお濃茶手前をした時に、
あまりに間違えてばかりで不甲斐なく、
茶杓の銘は? と問われて思わず「サンゲ」です、と答えました。
社中の皆様はお優しくて「散華」ととって下さいましたが。
今でもこのうたを読むたびに恥ずかしく思い出します。


今日は単衣の小紋。
母の友人からどっさりお古を頂戴したうちの1枚です。
シルクの服地を着物に仕立てた物のようです。
今日のお軸は、李朝の民画。
「義」の字の頭の点を2羽の鳥にして描いた絵文字でした。
春慶塗の釣瓶水差、膳所の茄子型の茶入れで、
数ヶ月ぶりに濃茶の手前を致しました。
相変わらず「懺悔(サンゲ)」の手前です。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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とても優しい戒めを受けているようで、ありがたい言葉です。
ガラス作りも、道具作りも、納得がいかなければ、心が躍らないのは事実。いつも何かに見られている緊張感と、偽りのない思い。何かを生み出すための『素』の部分。
自分の手を使って物を生み出す有難さ。
『懺悔』・・・。自分を『素』に戻す為の、よいおまじない。
ありがとうございまいた。
はい。
「優しい」と感じられました?
私にとって、家事育児など形に残らない、
でも家族のために絶対に必要な仕事を考える時、
「完璧など無いのだから、自分が納得できるやり方でいいんだよ、」
というような優しさを感じるのですが、
ガラスの仕事に関しては、そうはいきません。
どこまで追い求めても、見えてくるのは自分の至らなさ。
技術はもちろん、それ以上に美意識。
一体私の作ろうとしている物は、
作り出す価値のある美しさを持っているのだろうか?
「よいおまじない」とはとても思えない、
厳しい言葉、なのでした。
人それぞれ、受け取り方が違う言葉の表現、
面白いですね!
えー私は心偈会という会で
なんと市中心に茶会をしてます
良かったら今度きてください
是非、お邪魔させて下さいませ♪